第4話侵入者
じゃらり、と。暗い部屋で音がした。鎖の音だ。何者かを繋ぎ止めておく為の物がじゃらじゃらと音を鳴らしている。繋ぎ止められているモノが暴れているのだろう。
看守として牢人を見張っていた男はこの音をうるさく思い、重い腰を上げて音が鳴っている牢まで歩いて行った。
男の記憶では、牢の中にはまだ成人にもなっていない若い娘が捕らえられているはずだ。あまりにもうるさいのであれば無理やり黙らせる事も難しい事ではないだろう。あまりにも抵抗するようであれば体で服従させてやればいい。なにせ人間として扱わなくていいとまで言われているのだから。そんな事を考えながら、男は牢へと歩いて行く。
牢屋は暗かった。暗闇の中、一人のほっそりとした若い娘が指を動かして床に何か書いているのが見えた。目を凝らして見なければ分からないが、白い指には赤い液体が付着しているように見えた。長いこと牢に閉じ込められ、とうとう自分の血で落書きをするまで狂ってしまったのだろうか。さて、どんな絵を書いているのかと指先の下に目を向けた。大文字のTが二つ見えた。何か文章でも書いているのだろうか。首を傾げる男。
「……ボーティス」
「は?」
小さな声が聞こえた気がした。暗闇の中、娘以外の何かが目を光らせた。そんな気がして目を瞬かせる。何度見てもそんなものが見えてくるはずも無く、男は見間違いかと息を吐き出した。そして、牢屋の鍵が付いた鍵束を取り出すと躊躇いも無く牢屋の錠を外した。錠を外し、牢屋へと侵入した男は鍵束から鎖を外す鍵を探し当てると娘を拘束していた錠も外した。娘を開放すると、男は娘を放置して牢屋から出て行き、所定の位置へと戻っていってしまった。娘はよろよろと立ち上がると牢屋から足を踏み出した。その体には一匹の大蛇が娘のほっそりとした体に張り付いていた。娘は大蛇に気にした様子も無く男の後を追うように歩いて行き、男が見張り用の椅子に座ったのも気にせず、その目の前を通って牢屋を真正面から出て行く。男はそんな娘を止める気配すらない。
牢屋のある部屋は地下にあるらしく、階段は上に向かっているものしか見つからなかった。娘はしばらく周囲を観察していたが、上への階段しか見つけられなかったのかそのまま階段を登って行った。階段を登り詰めた先には、重厚に守られた鉄扉があった。傍のタッチパネルで開く方式らしいが、パスワードの手掛かりは辺りに無い。娘は大蛇の頭を一度撫でると大蛇の姿がフッと消え失せた。娘は未だ血が固まりきっていない指先を確認すると、その場にしゃがみ込み天秤に似た丸い文様を床に描いた。
「はぁ、」
娘はタッチパネルの反対側にある壁に背を預け休憩とばかりに大きく息を吐き出した。しばらくそうして息を整え、娘は改めて文様を睨みつけ、タッチパネルを睨みつけ、最後に鉄扉を睨みつけた。娘の小さな唇がゆっくりと開く。
「マルバス」
静かに呼ぶと、娘が床に描いた天秤に似た丸い文様が黒い光を放ち、そこから黒い鬣を持つ獅子が行儀よく前足を揃えて出現した。大きさは娘の腰程度まであるだろうか。主の指示を待つように、行儀よく足を揃え、娘を見上げている。
「開けて」
短い号令にも得心したのか、黒い獅子の瞳が赤く光った。その瞬間、誰も触っていないタッチパネルが何者かの手で操作されたかのように光、重厚な鉄扉が重々しく開いていく。外から溢れる光に目を細め、娘はしばらく光を眺めていたが、鉄扉が開ききり、視界が開けるとそこが研究所だと分かるとハッと我に帰ったように体を震わせ、黒い獅子の頭を撫でた。黒い獅子は頭を撫でられて嬉しいのか嬉しそうに目を細めた後その姿を消した。娘はもう一度深く息を吐き出し、自らが捕らえられていた牢屋へと目を向けた。
「おいで、ボーティス」
号令と共に、一匹の大蛇が牢屋から姿を表し、躊躇いも無く娘の元へと這いずってきた。大蛇は先程と同じように娘の体に絡みついてきた。娘は鉄扉を跨いで牢屋から脱する。
光の下晒された娘は、美しい容姿をしていた。少々やつれてやせ細っているが、透けるように白い肌に大きめの瞳。小さな唇。全体的な印象は緑色と言った所か。小さな唇は紫色に染まり、肩で大きく息をしていた。腕には未だ手枷から鎖が垂れ下がっている。あの男が外してくれたのは鎖だけで手枷は外してくれなかった。
「はぁ……」
深く息を吐き出し、その施設を歩き始める。研究所と思しきそこは、脱出した娘に気が付いた樣子も無く作業を進めている。その様子に、娘はホッとした様子だった。だが一応周囲を警戒するように周囲を見渡しながら娘は出口まで急ぎ足で歩いて行く。出口に着き、娘はゆっくりと息を吐き出しまた吸い込んだ。そして、また誰に咎められる事無く研究所から脱出したのだった。
外に出た娘の目を焼いたのは真っ赤な夕日だった。どうやら山の中腹に建てられていたらしい。娘は夕日を眺めつつもゆっくりとした足取りで研究所から死角になるであろう木の陰に腰を降ろした。
「……少しの間、ここで……!」
にわかに研究所内がざわめいているのが聞こえてきた。もう悟られてしまったのか。休む暇も無いと舌打ちし、娘は絡みついている大蛇に指先を噛ませ指先から血を滲ませると先ほどと同様地面に何らかの文様を描き始めた。まるで迷路のような丸い文様を描くと、娘はゆっくりと息を吐き出してその名を呼ぶ。
「ストラス、ここへ」
また黒く文様が光り、巨大なフクロウを模した奇妙な鳥が出現した。その姿はフクロウそのままなのだが、片目には眼帯を付け、王冠まで冠っている。フクロウは娘の言いたいことを理解しているのか、羽を拡げて娘に背を向けた。娘は躊躇う事無くフクロウの背に乗った。フクロウは翼をはためかせ、娘を背に乗せたまま上空へと舞い上がる。その瞬間研究所から何者かが飛び出してきたように見えたが、娘は気にせずフクロウの背中にその身を預けていた。
土砂降りの雨だった。
朝は晴れていたのに夕暮れを過ぎた辺りから雨が急に降りだしてきた。本降りになった雨を見上げながら、少女は深い溜息を吐いていた。
少女の名は、櫛田雛。高校3年生で今年18歳になる。家庭科部所属。部活の帰り道に雨に降られ雨宿りの為に屋根付きのバス停に避難したはいいが、既に雛の体は幾ばくか濡れてしまっている。どんよりとした雨空を見上げ、雛は溜息を吐いた。傘等と言う便利な物は無い。これならば向かいに住む兄貴分に電話して持ってきてもらえば良かったと後悔するも既に遅い。数分程度雨空を見上げ、携帯電話を取り出してネットに繋ぎこれからの天気を確認してみるも止む気配はどうにも無さそうだった。既に夕暮れも過ぎており夜へと時間は移動している。これならば走って帰った方が良いだろう。そう判断を下し、雛は自分の頭に申し訳程度にハンカチを乗せ帰りの道を走っていった。
雨の中少々急傾斜の坂を登り、自宅の玄関まで一気に走っていった。運動部に所属しているわけでも無いため、これだけで少し息が切れてしまった。いつもは誰かさんが迎えに来てくれるのにと文句を言いたくなるも、そんな我儘が通じる年齢でもない。その『誰かさん』の部屋へとなんとなく目を向けた。窓が開いたままだ。あれでは雨が部屋の中に入ってきてしまうだろう。部屋は暗い為、恐らくまだ帰宅していない。馬鹿だなぁと吹き出しそうになるも、次の瞬間雛は硬直した。
彼の自宅の屋根の上に一人の少女が座っていた。少女は周囲を見渡し、危うい足つきでその開いている窓から部屋に侵入を図っていた。雛は呆然と少女が部屋に消えていくのを見つめていた。一瞬だけ少女と目が合った気がした。そして、気が付いた様に体を震わせ、焦るように向かいの家へと走っていった。慌ててインターホンを押し、中からの応答を待つ。
「はいはい……あらあら雛ちゃん。どうしたのびしょ濡れじゃない」
「あ、あのおばさん、どろぼ、!」
「あ、また家の鍵忘れて入れないのね。いいわよーお風呂なら湧いてるから入ってらっしゃい。あ、着るものなら脱衣場に光太の高校時代のジャージがあるはずだからそれ着てちょうだい」
「いやあのおばさ、!」
雛の発言は無視である。強制的に家に上がらせられ、雛は脱衣場に閉じ込められてしまった。恐るべし家族ぐるみの付き合い。親しくしているとはいえここまで開放的とは。雛ははぁ、と溜息を吐く。一瞬だけ合った目には感情が映っているようには見えなかった。が、悪いことをするようにはなんとなく思えなかった。それに、もしかしたら見間違いだったかもしれないし。雛はそんな事を無理やり自分に言い聞かせ、服を脱ぎ始めた。
「うげぇ」
げんなりとした表情で光太は肩を落とした。本降りの雨に降られ、全身ずぶ濡れになった光太は自宅玄関前で申し訳程度に持っていたタオルで体を軽く拭き玄関から自宅に入った。自宅玄関から入り、慌ただしく靴を脱ぎ居間に居た両親に帰宅の挨拶をして廊下を駆けると乱暴に脱衣場の戸を開けた。
「風呂湧いてるか……な、」
「………………」
光太の視界に飛び込んできたのは、まず初めに白い肌だった。程よい肉付きのある肢体。柔らかそうな肌にピタリと付いた下着の色はなんと淡いピンクだった。向こうも呆然と光太を見ている。光太の脳内は思考停止し目の前にある半裸の少女を見つめるしか無い。
服を脱ぎかけている雛がそこに居た。
雛と風呂に入ったことは確かに何度かあるが流石にそれは小学生までの話である。この年になってまさか幼馴染のあられもない姿を見る時が来るとは予想もしていなかった。何か言葉を吐き出そうにも口がパクパクと動くのみで光太は何も言えそうに無かった。そんな光太を見、ようやく状況を認識したと思われる雛が無言で近くにあったドライヤーを投げ、光太の顔面に見事にヒットさせた。
鼻を押さえ、光太はひとまず着替える為に階段を登っていた。投げつけられたドライヤーを手に持ったまま階段を登り切り、自室の戸を開いた。そこで光太は眉根を寄せる。そういえば家を出る前に換気目的で窓を開けてしまったのを思い出した。窓から雨が入り込んでしまっている。深い溜息と共に肩を落とし窓を閉めるために窓際へと近寄っていった。窓を閉めてから電灯から垂れ下がる紐を引き自室に明かりを灯す。そこでようやく、光太は異常に気が付いた。
「………………は?」
「………………どうも」
お邪魔してますと言わんばかりに、ずぶ濡れの娘が一人床に座り込んでいた。カーペットに雨が染みこんでしまっている。光太は呆然とした様子で娘を見、頬を引き攣らせる。窓が開いていた。きっとそこから入ってしまったんだろう。
不法侵入ですよ、お嬢さん。と口から出る気力も無い。色々と聞きたいことが多すぎて頭が混乱してきた。光太は疲れたようにぺたんとそこに膝を付いた。今日は厄日か何かだろうか。朝のニュースで運勢を見ておけばよかった。きっと最下位に違いない。
「……なにしてるんですか? ってか誰ですか?」
「雨宿りを。安心して。何も盗ってないわ」
雨宿り。雨宿りなら仕方がない。それに何も取ってないのなら安心だ!
そんな思考回路になりつつある頭を強かに床に打ち付ける光太だった。
「本当にただの雨宿りなんですか?」
自分で床に打ち付けた額をさすりつつ、光太はそんな質問を娘に投げかけていた。娘は無表情でコクリと頷く。
「えぇ。疑うならここで脱いでもいいけれど」
「け、結構です!」
服のボタンを外し始めた娘に対し、光太は慌てたように制止の声を上げた。こんな所でストリップを見ていて下手に家族の者が入ってきたら困る。そもそも知らない娘がここにいる時点で大問題なのだが。
が、娘のボタンを外す手は止まらない。光太の表情が焦りに染まり、娘の手を思わず掴んでしまった。娘の感情を移さない水晶の様な瞳と目が合った。
「な、ななななななななにしてるんですか!?」
「着替えたいの」
「へ?」
「肌に張り付いて気持ち悪い」
確かに、娘は全身ずぶ濡れである。衣服が水を吸って肌に張り付いてしまっていた。このままにしておけば風邪を引いてしまうだろう。だからといって、目の前でストリップを許せるほど光太も常識を捨てていない。光太は疲れたように肩を落とすと閉ざされたままの押し入れを開いた。中に入っていたタンスなどを適当に開き、光太は目的の物を発見するとぶっきらぼうに娘に差し出した。
「僕の中学時代のジャージです。部屋出るんで着替えたら教えて下さい。あと、流石に女性物の下着は無いのでそこは勘弁して下さい」
「……ありがとう」
少し驚いたようにジャージを受け取る娘。光太は深い溜息と共に部屋の出口へと歩いて行った。娘の感情の薄い瞳が光太の背中に突き刺さる。光太はその視線に気が付き肩越しに娘へと視線を寄越した。娘の宝石の様に美しく、そして何の感情も映さない瞳と目が合った。光太は眉根を寄せて口を開く。
「僕は部屋を出るから着替えてくれる? 雨宿りだって言うなら何も盗らないでね」
改めて釘を刺し、光太は部屋を出た。娘が反応した様子は無いように思えたが、こんな大したものも無い男の部屋で盗るもの等無いだろうと光太は勝手に結論を下す。幸いな事に光太の全財産が詰まった財布が入ったリュックサックは今光太の手にある。ひとまず娘に気付かれないように向かいの部屋にリュックサックを静かに隠した。
「髪も濡れてたし……バスタオルか何かも必要かな。ってか、僕も着替えたいんだけどなー。あ、ドライヤー持ってくれば良かった。どうせ雛の事だから長風呂だろうし」
ぶつくさを言いながら階段を降りていく。部屋に持ち帰ってしまったドライヤーもついでに持ってきてしまえば良かった。置いておく位なら娘に使い方を教えて使わせても良かったかもしれない。
そんな事を思いながら幼馴染は未だ風呂に入っていることを想定して脱衣場に侵入する。案の定、風呂の中からシャワーの音が聞こえる程度で幼馴染は風呂の中だ。タオルが仕舞われた棚からバスタオルを取り出した。自分の髪の毛も濡れていることを思い出し、一枚は自分の頭に被せて一枚は手に取った。
「光ちゃんの部屋に入ったあれってホントにどろぼ……」
「?」
独り言を呟きながら幼馴染の雛が丁度風呂から出た。シャワー音が鳴り止まなかった為まだ出ないと油断していた。雛の目は最初詰替え用のボディーソープに向いていた。ばっちりと。光太の視界に少女の濡れた全裸が入り込む。雛は考え事をしていたらしく、脱衣場に居た光太に気が付かなかったようだ。光太の喉がゴクリと動いた。雛の白い肌はわずかに上気してほんのりと赤く染まっている。雛の程よい肉付きの体は妙にそそるものがある。慎ましい胸が呼吸でわずかに上下していた。
あぁ、雛は胸よりも腹から腰に至るラインがエロいんだなと光太は認識した。
相手は高校生とはいえ歳の差はわずかに一つ。身体的に見ればそこまで変わらないような年代だろう。あまりのことに呆然とする光太と雛。ようやく頭が理解し、先に言葉を発したのは光太だった。予想外だったのは光太も同じだ。まさか同じ日にこんなドッキリハプニングが二回も起こるなどと。
「……奇跡」
「、ふっざけんなぁぁぁぁ!!!」
素早く身を翻し、光太は脱衣場から逃走を図る。光太の顔面めがけて髪を梳く櫛が柄の方から飛んできたがそれは流石に直撃させるわけにも行かず全力で避ける。
雛が涙目で物を投げまくって来る中、光太は全力で逃走を図り脱衣場を後にして戸を閉める。脱衣場では雛がまだ何か叫んでいるように聞こえたが、光太は無視して階段を駆け登っていた。
逃走を果たしたように部屋に戻ると、娘が一人行儀よくジャージに着替えて床に座っていた。生憎とハプニング三回目という結果にはならなかったようだ。安堵して胸を撫で下ろす。
「どうしたの?」
「いや、こっちの事。はい、これで髪拭いて。なんだったらこのドライヤーも使っていいから」
娘にタオルを差し出すと、娘はおずおずとそれを受け取りバスタオルを光太の真似をするように頭の上に乗せた。ゆっくりと髪に付いた水滴を吸い取らせるようにバスタオルで髪を拭いている。光太はその様子を眺めつつ、押し入れをもう一度開き自分が着替える服を取り出した。娘に部屋で待っているよう言い含め、光太は自室を出て向かいにある誰の部屋でも無い空き部屋でそそくさと着替えた。この家の無駄に多い部屋数に今改めて感謝せざるを得ないだろう。
それにしても少し見ない内に幼馴染の少女はしっかりと育っていた。胸は少々期待できないがそれでも色々と良い感じだ。何が良い感じなのか光太には上手く説明できないが、少女のあの裸体は完璧に脳内に刻みつけてある。しばらく頭から離れそうには無い。次に会った時にまともに目が合うか分からないのが不安である。
服を着替えて自室に改めて戻ると、そこには既に雛が仁王立ちで娘の前に陣取っていた。その光景に思わず言葉を失い、もう一度扉を閉めてしまう光太だった。
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