第18話 魔王の証


 馬へと変化したアイリスは、駆けながらもいくつかの魔術を使用し、あっという間に魔王城が小さく見える場所までやって来た。

 草さえ生えない荒れた大地には戦いの痕跡が多く残されている。

 遺体こそ片付けられたのか見えないが、血痕や折れた剣、放たれた矢があちらこちらに散らばっていた。

 また、魔王城の手前には人間達が押し寄せ、魔族と激しい戦いを繰り広げている。


『ふむ……。魔王城に入るにはあの軍勢の中を抜けねばならんようじゃが……さすがにちときついのぅ』


 魔王討伐軍には魔導師もいる。また、数は少ないが魔導師に協力する物好きな幻聖族も。

 剣や弓矢などの物理的な攻撃ならまだしも、彼らの放つ魔術を避けるのは、さすがのアイリスも骨が折れるようだ。

 リリィも良い考えが浮かばず、どこか他に道はないかと辺りを見渡す。


「……あれ?」

『どうかしたかの?』

「アイリス。あっちに行きましょう」

『ふむ……』

「魔王城の後ろは『海』なの」


 リリィが見つけたのは、左手側にある海だ。

 魔王城の背後には海が広がり、人間の軍は当初、そちらから攻め入ることも視野に入れていた。オズの力によってそれは叶わなかったが。

 だが、リリィならば邪魔をされることはないかもしれない。そもそも、城の前で手一杯であれば、背後の守りが手薄になっている可能性もある。

 緩やかな坂を下り、海の側に寄ったリリィはアイリスから降りて海にさらに近づく。


「泳いで行けば、城に入れる。それに――」


 海中でゆらりと縦に長いシルエットが動く。

 見覚えのあるものだったが、まさかここで見るとは思わず、アイリスは目を瞬かせた。

 やがて、陸に近づいたシルエットの主は海面から顔を覗かせた。


『へいへーい! そこの元人魚さん、乗ってくー?』

「バンちゃんがいれば、人間でも早く移動できるでしょう?」

『えっ。久しぶりの再会なのに、感動とか何もないの?』

『なるほど』


 確かに、尾鰭のない人間では泳ぐスピードはかなり落ちてしまう。だが、バンがいれば話は別だ。

 アイリスはバンの言葉を軽く流して頷くと馬の変化を解いた。そして、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「ならば、崖を登るのは任せよ」

「うん。お願いね」

『……あれ? ボク、運ぶの二人? アイリスはイルカにならないの? ねぇ、ちょっと』


 今になってリリィとアイリスを運ぶと気づいたバンは、つぶらな瞳をさらに丸くした。

 そんなバンをよそに、早速海に入ったリリィがバンの背鰭に掴まり、リリィの肩にアイリスがしがみつく。

 バンの抗議はもはや無視だ。

 いくらアイリスが少女の姿とはいえ、重さはリリィだけのときより増している。

 ゆっくりと泳ぎ出したバンだったが、背中にかかる重さに思わず弱音を吐いてしまう。


『お、重――』

「おお。そう言えば、わしはイルカの尾鰭が欲しいのじゃったのぅ」

『い、いやぁ! 軽いなぁ! ほら、ボクの尾鰭はとっっっても優れているからね!』

(バンちゃん……)


 不穏なことを口走ったアイリスに、忽ちバンが言葉を変えた。心なしかスピードも上がっている。

 リリィは今さらながら申し訳なく思いつつも、バンの背鰭を掴む手は緩めなかった。



   □■□■□■



 石造りの広い部屋は、魔王の配下が魔王に謁見するためのものだった。

 しかし、謁見の間は今や戦場の一部と化している。

 多くの魔族が斬り倒され、また、多くの人間も命を散らせていた。

 そんな中で、オズは掠り傷ひとつ負うことなく、城に乗り込んできた人間の一人であるキースを見据えて嗤った。


「はははっ! 騎士の力とはそんなものか!」

「っ!」


 オズが手にした剣を振るえば、軌跡から黒い斬撃がキースへと放たれた。

 それを剣でいなしたキースだが、衝撃は大きく手が痺れる。

 剣が手から離れ、石畳の上に落ちた。

 痺れる右手を左手で押さえつつ、歩み寄るオズを見据える目は険しい。

 戦意は失っていないと分かると、オズは小さく鼻で笑ってから言った。


「ああ、そうだ。最近、元人魚を拾ったらしいな?」

「何故、お前が彼女を知っている?」

「…………」


 怪訝な顔を向けるキースに、出来ることなら「俺が先に拾った」と言ってやりたかった。

 しかし、それでは全てが無意味になってしまう。

 演じろ、と自身に言い聞かせ、頭に刻みつけた『魔王』の姿を思い描く。


「優秀な配下がいれば何でも見えるものだ。……ああ、そうだ」


 閃いた言葉に、我ながら魔王としての顔もしっかりと身についているのだと内心で自嘲してしまう。


「お前を殺し、彼女を手に入れるのもまた一興か」

「っ、貴様ぁぁぁ!」


 痺れなど消えてしまったのだろう。

 激昂し、落ちた剣を再び手にしたキースがオズに向かって床を蹴った。

 それでいい、と形ばかりの剣を構える。

 心の中で配下達に謝りつつも、脳裏ではリリィの笑顔が浮かんだ。


(これで、あいつは幸せになれる――)


 自分のもとにいては、リリィまで人間の標的にされてしまう。

 物語のように。そして、かつての母のように。

 構えた剣がキースの剣によって弾き飛ばされ、防ぐものが何もない。

 無防備な体に突き刺さったのは、物語では常にと言っても過言ではないほどに勝利を納める騎士であるキースの剣だ。


「っ、オズ!」


 幻聴が聞こえた。

 ずっと聞きたかった声が。

 最期の最期まで諦めが悪いな、とオズは自身を嗤った。

 だが、目の前にいるキースはその声に反応したかのように視線を横へと逸らし、酷く驚いていた。

 そして、彼の口から紡がれた名前は、幻聴を現実だと突きつけるものだった。


「リリィ!? どうしてここに……!?」

「若いの。説明は後じゃ」

「子供……?」

「見た目はの。元はこやつと『同じ』じゃ」


 愕然とするキースに、リリィの肩から降りたアイリスが答える。

 そして、倒れたオズの上体を抱え起こしたリリィを視線で示した。

 リリィは泣きそうな顔でオズの名を繰り返し呼び、傷口の近くに手を軽く当てている。

 しかし、彼女が治癒を施す素振りはなく、ただ傷口から血が止めどなく流れることに眉を顰めた。


「どうして……なんで、傷が塞がらないの……?」


 オズは以前、怪我をしても魔石から溢れる魔力のお陰で傷はすぐに治ると言っていた。

 しかし、キースに刺された傷は一向に塞がらず、ただ血を流し続けている。

 また、魔石から魔力が溢れるのも感じなかった。

 オズがネックレスとして着けている魔石に触れたリリィは、漸くあることに気づいた。


「……魔力がない?」

「え?」


 リリィの呟きを聞いたキースも「何故?」と視線をオズへと向ける。

 だが、意識が朦朧としているオズから返事があるはずもなく、変わりに答えたのはキースの側にいたアイリスだった。


「魔石は『ここ』じゃ」

「アイリス!?」


 アイリスは服の下からネックレスを引っ張り出すと、その先についている青紫色の石を見せた。

 オズが身につけているネックレスとよく似ているが、アイリスの方は膨大な魔力を秘めていると分かる。


「お主の声と引き換えに貰った物じゃ」


 アイリスのもとを訪れたオズは、リリィの声を返せと言ってきた。そして、対価として魔石を貰ったのだ。

 アイリスも最初は他の物を、と言われると思っていた。もし、言われれば別の物を貰おうと思っていたのだが、彼はすんなりと魔石を差し出したのだ。


「魔石は魔力を永久的に放ち続ける石だ。お主ら魔族やわしら幻聖族にとって、魔力は体内にある分までしか使えぬ。枯渇すると一時的に弱ってしまう。じゃが、魔力を常に供給する魔石があれば話は別じゃ」


 ただ、魔石は誰にでも扱えるものではない。相応の強さを持った者でないと、魔力に肉体が耐えきれずに壊れてしまうのだ。

 だからこそ、魔石を身につけている魔王は他の魔族を従えることができる。

 アイリスは魔石を扱えるほど体は強くはないが、魔術や魔石についての知識ならば十分にあった。

 ただ、それでも魔石を受け取った当初は魔力の抽出に失敗し、今でこそ治癒しているが怪我も多く作ったが。

 そして、何とか魔力を僅かずつ抽出する方法を編み出し今に至る。

 我ながら次期魔王の座も狙えるのでは、と思ってしまった。


「好いた者のためならば命も惜しまぬと、こやつは言うておったのだ。しかし、海で散らせてしまえば意味がない」


 リリィの幸せを思えば人間の手に掛かるほうがいい。

 だからこそ、命ではなく魔石を対価にし、リリィをキースのもとに送り出した。


「ほんに、魔王らしからぬ魔王よのぅ」


 そう小さく零したアイリスは、呆れを滲ませつつも微笑んでいた。

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