第17話 望んだはずのエンディング
「はぁ……」
部屋に戻ったリリィは、吸い込まれるようにベッドに倒れて深い溜め息を吐いた。
丘の上でキースの決意を聞いた後、彼は気まずそうに「混乱させてすまない。……帰ろうか」と言って屋敷に帰ってきた。
その途中のことはよく覚えていない。話という話もしていなかったはずだ。
キースは準備があるからと早々に別れ、食事も部屋で済ませた。
「キースが、オズのところに……」
体を捻って仰向けになれば、真っ暗な天井が視界に入った。
陽も落ち、寝る支度を済ませた今、部屋の灯りはベッドの横にあるランプだけだ。
今日、襲ってきた魔族はオズが指示を出したものだろうか。
だとすれば、リリィがここにいるのはオズの本意ではないということだ。
しかし、それにしては数が少なく、増援もない。帰り道も……急いだこともあるが……何も襲ってはこなかった。
心が靄がかったまま、望んでいたはずの現状を素直に喜べない。
「……こんなはずじゃなかったのに」
「そうじゃのぅ。わしも先が見通せるわけではないが、あの時、魔王に連れ去られなければ、お主はあの人間と会っていただろうに」
「アイリス!?」
「これ。夜更けに大声を出すでないぞ」
「ご、ごめんなさい」
アイリスはいつもの口調で、いつからそこにいたのか、リリィの顔のすぐ横に現れた。
姿は変われども、やはり海の魔女だ。
驚いたリリィを軽く注意すると、彼女も今の時間を思い出したのか咄嗟に口元に手を当てた。
「まぁ、あやつも魔族の長。そう簡単には敗れんじゃろうがな」
「……そう。そうよね。だって、オズの魔力は強いもの」
「つまり、お主はあの人間が死んでも構わんと?」
リリィの言い方ではそうとも聞こえる。
もちろん、そんなつもりで言ったのではないとアイリスも分かっているが、彼女の気持ちを整理させるためにもはっきりしていたほうがいいと思ったのだ。
「そんなことないわ。キースも人間達の希望だもの。死んでほしくないに決まっているでしょう?」
「じゃが、戦はそう甘くはない」
「っ!」
突然、アイリスの雰囲気が鋭くなった。
幻聖族であるリリィもアイリスも、争いに関わったことはない。
しかし、リリィよりも長く生きているアイリスはそれを何度も見ている。あの海の谷に居を構える前に。
「憎しみを断つには元凶を叩かねばならん。例え、それが次の憎しみを生もうとも」
「…………」
戦いに終わりはない。
どちらかが諦めない限りは、断続的に、永遠に続くのだ。
「……なんで、戦いを止めないのかしら」
「長く争い過ぎたのじゃ。剣を納めようにも、奪われたものは互いに多すぎた。どちらかが滅ばぬ限りは続くじゃろう」
アイリスは憂いるように溜め息を吐いた。
俗世との関わりはもちろん、同族すら寄せつけなかった彼女は、もしかするとどんな幻聖族よりも争いを好まないのかもしれない。
好まないからこそ、争いを見ないように引きこもり、他者との関わりを減らしたのかもしれない。
だが、どちらかが滅ぶ以外にも解決方法はあるはずだ。
「和解はできないの?」
「さてのぅ……。お互い、顔を合わせれば敵意を剥き出しにしておるのじゃ。話し合う前にどちらかがこの世を去っておるわ」
「…………」
確かに、和解ができるのならばとうの昔にしていてもおかしくはないのだ。
しかし、現時点でも尚、両種族にその兆しは見受けられない。
「お主も腹を括れ。魔王が万全ではない今、どちらに転んでもおかしくはないのじゃから」
「え?」
万全ではないとはどういう意味か。
問おうとする前に、アイリスは大きな欠伸をして言った。
「もう眠れ。わしももう寝る」
「あ。ちょ、アイリス……って、もう。消えちゃった」
まるでリリィの言葉は聞かないと言わんばかりの早さで、アイリスは姿を消した。
仕方なくリリィも寝ようとしたとき、ふと、アイリスが魔力を使ったせいか自分以外の魔力の残滓を感じ取った。
しかし、それはアイリスのものとはやや違う。
力強くもどこか精錬された、相手を威圧するようなそれ。
アイリスの魔力も強くはあるが、相手を威圧するほどのものはない。長い時をかけて熟成された、例えるならばワインのようなものだ。
しかし、今は彼女も姿を変えている。その影響で魔力も質が変わっているのかもしれない。
「……気のせい、かしら?」
そう思うことにして、リリィはランプの火を消してベッドに入った。
◇◆◇◆◇◆
「あれ? ここは……」
目を覚ますと知らない場所にいた。
石造りの広い部屋は、リリィが読んだ本の挿し絵で見た王宮の謁見の間に似ている。
リリィがいる両開きの大きな扉から部屋の奥まで深紅の絨毯が敷かれ、左右には円柱形の柱が等間隔で建つ。また、最奥は少し高く作られ、階段を上がった先には豪奢な椅子があった。
椅子の背後には天井付近から壁の半分近くまである大きな窓。
天井はかなり高く、これもまた豪華なシャンデリアが三灯吊るされている。
それまで誰もいなかったはずだが、突如、椅子の前にオズとキースが現れた。
オズは椅子の前に立ち、階段下のキースを嘲笑うように見ている。
しかし、何故か音は一切聞こえない。
何かを言ったオズに対し、キースの表情が一瞬、驚いたようなものになった。だが、それもすぐに憎しみの籠ったものへと変わり、次の瞬間には剣を構えてオズへと駆けていた。
「やめて!」
リリィの悲痛な叫びは届かず、キースの剣がオズを貫く。
直後、景色が歪んで意識が急浮上し、リリィは勢いよく飛び起きた。
心臓が早鐘を打つ。
息が苦しい。まるで、アイリスの住み処で人間になったばかりの頃のように。
すると、どうやら隣にいたらしいアイリスが目を丸くさせて言った。
「おお。漸く起きたか。随分と魘されておったぞ?」
「キースは?」
「あの小僧はまだ発っておらんはずじゃ。正面は賑やかじゃがのぅ」
「……止めないと!」
「まぁ、待て」
リリィのただならぬ雰囲気に、アイリスはすぐさま彼女の手を掴んで止めた。
子供の姿をしているが、リリィの手を掴む力はかなりのものだ。
「何度も言うたじゃろう? 今の状況が、お主の求めていたものじゃと」
「っ!」
「もう止められぬ。此度も、どちらかが倒れぬ限り終わらぬのじゃ」
繰り返されてきた歴史。人間と魔族の争いの。
リリィが止めに入れる隙間はないのだ。
「それでも……」
オズのもとで、魔族というものを知った。
キースのもとで、人間というものを知った。
姿こそ異なれども、どちらもとても似ているのだ。
「ならば、止めてみせるがよい」
アイリスがニヤリと不敵に笑みを浮かべた。
着替える時間も惜しかったリリィは、ストールを羽織って部屋を出る。
アイリスの言っていたとおり、玄関の方が少しざわついていた。
途中、擦れ違った使用人に驚かれたが、今はそちらを気にしている場合ではない。
「……キース!」
「ん? ……ああ、ごめんね。騒がしくしてしまって」
リリィの格好を見て慌てて出てきたことに気づいたのか、キースは苦笑いを浮かべて謝った。
しかし、今はそれよりも大事な話があるのだ。
頭がうまく働かないせいで言葉が出てこないため、切り出すのに時間が掛かってしまう。
少し息を整えてから、リリィはキースに何とか出陣を止めさせようと切り出した。
「あ、あの――」
「キース様。転送魔法陣が完成しました。お急ぎください」
「分かった」
リリィの言葉と走ってきた魔導師の言葉が重なった。
タイミングが悪すぎる。そして、転送魔法陣とは何のことか。
唖然とするリリィをよそに、二人は話を進めていた。
そして、リリィに向き直ったキースは嬉しそうに笑んだ。
「見送りありがとう。必ず、戻るよ」
「あ……」
引き止めようと手を伸ばすが、颯爽と去っていくキースに触れることはなかった。
周りにいた使用人が「行ってらっしゃいませ」と言う中で、まるで対価として声を差し出したときのように喋れない。
使用人の中から歩み出たエルザがリリィに近づくと、困ったような笑みを浮かべた。
「さあさあ、お着替えしましょうか。慌てて出てこられたのですねぇ」
「え……」
「大丈夫ですよ。キース様はお強いですから」
エルザに促され、仕方なく部屋に帰る。
着替えをエルザが手伝ってくれようとしたが、アイリスと話したいこともあったため、「お手を煩わせるわけにはいきませんから……」と断りを入れた。
朝食の準備をしてきます、と部屋を出たエルザを見て、リリィは部屋を見渡しながら呼び掛ける。
「アイリス」
「止められんかったようじゃのぅ。まぁ、あの状況で引き止められる者がおったら見てみたいが」
アイリスはベッドに潜っていたようだ。
シーツの下からひょっこりと顔を出したアイリスは、玄関先でのやり取りを見ていたかのように言う。
そして、枕に凭れ掛かりながらもリリィを真っ直ぐに見据えた。
「して、お主は何故、ああまで焦って飛び出したのじゃ?」
「……夢を見たの」
「夢、とな?」
「そう。オズが討たれる夢よ」
今も鮮明に覚えている夢。
音こそ何も聞こえなかったが、光景はとてもリアルだった。
「本望では?」
「ち、違うわ! ……そりゃあ、まぁ、最初は……いろいろ強引だし、人の話を曲解するし、すぐ拗ねるし面倒だったけれど」
「中々の言いようじゃな」
呆れたように溜め息を吐いたアイリスに、リリィは言葉に詰まる。
確かに、オズのもとにいた日々は、最初の頃はとても辛かった。精神的に。
しかし、徐々にオズのことを知っていくうちにその思いは和らいだ。
「けど、それだけの人じゃないって……根は優しいところもあるって分かったもの」
「まぁ、そうじゃのぅ。その気になれば、手篭めにするのも容易かろうにせんかったしな」
「アイリス」
「ほっほっほ。すまんの」
茶化すにしても言葉というものがある。
窘めるように名を呼んだリリィだが、アイリスは懲りた様子もなく笑っていた。そして、口元に笑みを浮かべたまま言葉を続ける。
「じゃが、お主の目も間違ってはおらんよ」
「え?」
「お主に感化されて読んだ本では魔族は必ず討たれ、実際、今までの魔王も討たれてきた。自分のもとでは幸せにはなれん、と声を取りにわしのもとへ来たくらいじゃ」
「……っ」
声を取り戻しに行ったのは聞いていたが、まさかそこまで考えてのこととは思わなかった。
オズは強引なところはあるが、本当に嫌がることはしなかった。
リリィの言葉を曲解しても、それを鵜呑みにして行動は起こさなかった。
そして、最後はリリィのためを想って動き、声を取り戻してくれた。
こんなにも想われているのに、自分はまだ何も返せていない。
俯き何も言わなくなったリリィに、アイリスはさらに続ける。
「魔導師の作った転送魔法陣は、目的地まで一瞬で向かえる。つまり、今、あやつらは魔王城のすぐそばだ」
「っ!」
ここからあの城までどのくらいの距離があるのか、移動途中を知らないリリィには分からない。
しかし、昨日、見晴らしの良い丘から望んだ景色の中に魔王城らしきものはなかった。
このままでは間に合わない。
ただ、アイリスは魔術に詳しい海の魔女だ。初めて目にしたものでも、もしかすると使えるかもしれない。
「アイリス。あの魔術、使えないかしら?」
「ふむ……。恐らく、あれは移動先にも同様の陣が必要じゃ。出発を急がせていたのは、時間制限があるのじゃろうな」
「じゃあ、もう使えないのね……」
「そうじゃな。あの魔法は使えぬ。じゃが……」
魔法陣を思い出しているのか虚空を見つめていたアイリスが、何かを閃いて妖艶に微笑んだ。
「人間の足より早く移動はできよう。何故なら、今のわしなら目にした動物に化けることが可能じゃからのぅ。例えば、お主が昨日、乗っていた馬とか」
「アイリス、お願い」
まだ力を貸す、とは言っていないが、リリィは真剣な目でアイリスに詰め寄ると小さな手を両手で握った。
まさかリリィがここまで詰め寄るとは思わず、アイリスも珍しく目を丸くさせる。リリィの瞳の奥に宿る想いを読むと、今度は慈愛に満ちた表情で言った。
「……良かろう。餞じゃ。本当に愛する者が誰か気づいたお主への、な」
そう言った直後、アイリスが着ていた黒いシャツの下で眩い光が発し、彼女の全身を包み込んだ。
至近距離でその光を目にしたリリィは咄嗟に目を強く瞑った。
直後、何かに掬い上げられ、体の下でベッドとは違う少し固い感触がした。
恐る恐る目を開けば、目の前には漆黒の鬣があった。
上体を起こし、何の上にいるのかを確認する。
『しっかり掴まっておれ』
それは、アイリスが変化した漆黒の馬だった。
慌てて背中に跨がると、アイリスは前足で床を数度蹴る。
そして、躊躇うことなく勢いよく部屋の扉を擦り抜けた。
「え!?」
『ほっほっほ。ここで漸く、障害物を無くす魔術が役に立つとはのぅ!』
「なんでそんなの考えたの!?」
まるでこうなることを予見していたかのような準備の良さだ。
廊下にいた使用人達は突然の馬の登場に驚き、中には「魔族が出たぞ!」と声を上げる者もいる。あとで誤解を解いておかないと大変なことになりそうだ。
階段を駆け下り、玄関をするりと抜ける。
あとはひたすら走るだけだ。
『ふむ……。こんなことなら、翼も考案するべきじゃったな』
「やめて。怖いから」
『まずは骨組みから考え、体を浮かすための――』
(ああ、アイリスの病気が始まった……!)
走りながらもぶつぶつと難しいことを呟くアイリスは、すっかり普段の様子だ。
何処かにぶつかったりしないだろうかと不安になりつつ、リリィは振り落とされないよう体にしっかりと手を添えた。
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