第15話 夢見ていた時間
「わぁ……!」
翌日、リリィはキースに連れられて町中にやって来た。
レンガが敷き詰められた道は落ち葉さえ落ちておらず、道の両端には白い外壁の建物が建ち並ぶ。
ほとんどの建物が一階部分を店にしており、香ばしい匂いの漂うパン屋や色とりどりの花で飾られた花屋、きらびやかなデザインのドレスが置かれた服屋などが入っている。
また、少し先に行くと道幅が広がった。そこには木材を組み合わせて骨組みを造り、生成色の布で屋根を作られた小屋のような物が並んでいた。
「あれは何?」
「ん? ああ、あれは露店だよ。さっきまでは住居の一角をお店に変えたものばかりだったけど、この辺りはああやって簡単に組み立てられる露店でお店をやってるんだ」
「いろいろあるのね」
本だけでは分からない世界が目の前に広がっている。
屋敷を出てから、目に映るほとんどが珍しく、何か見つけるたびに足を止めてしまう。
露店に並べられた果物を眺めていたリリィに、キースは笑みを零した。
「ふふっ。良かった」
「え?」
「昨日、ちょっと元気がなさそうだったからね。強引に連れて来てしまったのもあるし、無理をさせているかなと思って」
「あ……」
そんなにも顔に出ていたのだろうか、とリリィは反射的に両手を頬に当てる。後悔してももう遅いが、それが原因で外に連れてきてくれているのなら申し訳ないことをしてしまった。
明日はまた命懸けの場所に行くと言うのに、これでは調子を崩してしまいかねない。
「ごめんなさい。明日、また発たれるのに……」
「あ! 違うんだ。そんな意味ではなくて、本当の笑顔を見れたなーと思って」
「…………」
「えっ! なんでそっぽ向くの?」
嬉しそうに言うキースだが、言葉の意味を分かっているのかと問いたくなった。
気恥ずかしさからキースを見られず顔を背けたリリィは、先ほどとは違う意味で両手を頬に当てながら言う。
「……胸に手を当てて、よく考えれば分かるわ」
「ええ?」
「ははっ! キース様もまだまだですねぇ!」
困惑するキースを見て、見ていた露店の店主が豪快に笑った。
まさか終始見られていたとは思わず、また、初めて会った人ということもあってリリィは固まってしまう。
そんな彼女に気づいているのかいないのか、キースは苦笑を浮かべつつ店主に向き直って言った。
「はは……。ずっと会いたかった人に会えたから、気持ちが舞い上がってるんです」
「おーおー。ごちそうさまです。にしても、随分とお綺麗な方ですね。この辺じゃ見かけないくらい」
「っ!」
ドキリと心臓が跳ねた。
リリィが人魚であったことは、キースや使用人の人達は知っている。だが、広く知られれば危ないかもしれない、と屋敷を出る前にキースに言われていたのだ。そのため、リリィの素性は明かさないでおこうという話になった。
早くもバレてしまうのかと内心でひやりとしたリリィだったが、キースは事前に答えを考えていたのか、にっこりと人当たりのいい笑顔を浮かべて言う。
「遠方の出で、昨日、ここに着いたばかりなんです」
「へぇ、遠方から!」
当然ながら、人間の住む町はここだけではなく他にも点在している。また、キースは魔族討伐で遠方にも出ているため、向かった場所で出会ったと言ってもおかしくはない。
素直に信じてくれた店主は驚きつつも嬉しそうに、今度はリリィが驚く発言をした。
「ということは、キース様、ついにご結婚なさるんですかい!?」
「け、結婚!?」
「あはは。まだそんな仲じゃないですって」
確かに、当初の目的からすれば最終的にはそういう関係になっていたかもしれない。オズの件もあった上、自分が知らない間にここへ来てキースに再会したため、すっかり頭から抜けていたが。
だが、リリィは改めて言われたことで、自分の気持ちの変化に気づいた。
(アイリスに言われた時もそうだった。あんなにも会いたくて恋しかった人なのに……。再会できたのは嬉しいけど、そこから先は……?)
『人魚姫』の物語では泡となって消えてしまった人魚。しかし、リリィの場合は恐らく泡となって消えることはない。アイリスが言い忘れていないのならば。
人魚だったとき、キースに恋い焦がれて、周りの反対も押し切って人間の足を貰ったと言うのに。
考えに耽るリリィを他所に、店主は目を丸くさせてキースを見ると右手の小指を立てた。
「ありゃ、すいません。てっきり『これ』だとばっかり」
「小指?」
「そうだね。何だろうねー」
何を意味しているのか分からずに首を傾げるも、微笑んだままのキースが流すように言ってリリィの背を押した。
「別の所も見に行こうか」と言うキースに、店主はまた笑みを浮かべると「今度、詳しく話してくださいよ」と返して仕事に戻った。
「良かったの?」
「うん。今はね。……あ、そうだ。せっかくだから、少し遠くにも行ってみようか。とっておきの場所があるんだ」
背中を押していた手が自然とリリィの手を引く形に変わり、少し先を歩いていたキースは悪戯を思いついたように笑みを浮かべた。
ただ、キースは明日にはまた戦いに出る。本来ならば体を休ませるべきだが、遠出をしてもいいのだろうかと心配になった。
「大丈夫なの?」
「馬で行けばすぐだし、剣は持ってきているから平気だよ」
心配するリリィをよそに、キースは数頭の馬が入れられた小屋に近づく。
外には縄で繋がれた馬もおり、小屋の傍らでは一人の中年の男性が木製の椅子に腰掛けていた。
男性は膝に鞍を乗せて、壊れた箇所を直しているのか真剣な表情で作業をしている。
声を掛けるのも躊躇いそうな雰囲気だが、キースは気にせずに歩み寄ると外に繋がれていた馬の頬を軽く撫でて言った。
「おじさん。この子、借りていきますね」
「……ん? おお、キースかい。いいよ。気をつけてな」
「ありがとうございます」
キースの声に気づいた男性は、作業を止めて顔を上げる。そして、声を掛けた主が分かると柔らかく微笑んだ。
馬が繋がれていた棒の横には、コインの入った袋が吊るされている。
キースは懐からコインを数枚取ると、袋の中に馬を借りる代金として入れた。
そして、どうすればいいか分からずに戸惑うリリィを「失礼、お嬢さん」と冗談めかして言って横抱きにし、あっという間に馬上に乗せる。
呆然とするリリィの後ろに乗ったキースは、上機嫌のままで手綱を取った。
「さて、行こうか」
一声の後、馬は小さく鳴いて歩き出した。
◇◆◇◆◇◆
町中は人通りが多かったこともあり、馬が通行人に当たらないようにゆっくり歩く。だが、それも町の外に出ると遠慮する必要はない。
キースが短い掛け声と共に馬の腹を軽く蹴ると、馬は「ブルル」と鳴いてから駆け出した。
「き、キース、速、いっ……!?」
「喋ってると舌を噛むよ」
(もう少し早く言って欲しかった……!)
止めようと口を開いたリリィだったが、振動で舌を噛んでしまい、片手で口元を押さえた。 初めて馬に乗るリリィにとって、駆け出した馬上は不安定で振り落とされそうだ。最も、キースの腕の中にいるため、落ちることはないのだが。
必死に鞍を掴んでいたリリィは、涙で視界を滲ませつつも周りの景色に目を向ける。町中にあったような建物は減り、背の低い家や野菜の実った畑が広がっていた。
(すごい……! 場所が変わるだけで、こんなにも景色が違うなんて……!)
「この辺りは農家が多いんだ。僕達もとても助けられているよ」
やはり、キースは馬に慣れているからか喋っても舌を噛むことはない。
説明をしている間にもまた景色は変わっていく。民家や畑は減り、手付かずの草原へと。道も緩やかな登りになっている。
岩肌が目立ち、果ては暗闇で見えない海底とは違い、草原の先は山が聳え立つ。また、草原に咲いた花のおかげで、緑以外の色もちらほらと見えた。海では珊瑚礁も綺麗だが、それも場所は限られている。
何処に行くのだろう、とリリィが前を向けば、道の左右に木々が生い茂る林の入口が見えた。
「あれを抜けた先だよ。……っ!?」
「きゃっ!?」
突然、何かに気づいたキースが手綱を強く引く。
驚いた馬が前足を高く挙げて嘶き、振り落とされそうになったリリィは咄嗟にキースにしがみついた。
キースは馬を落ちつかせながらも、視線は正面から離さなかった。その視線は鋭く、余裕がない。
何があったのかと視線の先を追ったリリィは息を飲んだ。
(魔族……!)
林の奥から出てきたのは二体の魔族だ。馬上のキース達と変わらない目線の高さは、魔族の大きさを痛感させる。
浅黒い肌に血のように赤い瞳、額には短い角。ボロボロ服の下から覗くぽってりとした大きな腹の割に、太く長い腕や短い足にはしっかりと筋肉がついていた。前に突き出た下顎は牙が唇の端から飛び出す。
荒い息遣いが距離を取っていても聞こえてきた。
手に持つ丸太のような鈍器は、ひび割れが目立つものの血なのか黒い汚れも目につく。
キースは「動かないで」とリリィに言って馬から降りると、腰に携行していた剣を抜いた。刀身が太陽の光を反射して煌めく。
「最近、静かだと思ったのだけれど、違っていたみたいだ」
今までの戦闘からすれば、相手は圧倒的に数が少ない。だが、今は背後にリリィがいる。
彼女を狙って動かれれば不利だ、とキースは先手を打たれる前に先に地を蹴った。
「はあっ!」
剣を振り抜けば、魔族の一体が受け止めようと鈍器を翳し、容易く弾き飛ばす。
もう一体の魔族が態勢を崩したキースに飛びかかるが、キースは足元の石を拾い上げて魔族に向けて投げた。
「グギャアァッ!」
「まずは一体」
怯んだところを剣で突き刺せば、魔族の体は端から黒い砂へと変化して消えていった。
キースは魔族の体が消えるより先に剣を抜き、殴りかかってきたもう一体の一撃をしゃがんで避けて懐を横に斬りつける。
恐怖を覚えるよりも先に片付いてしまい、リリィは開いた口が塞がらなかった。
しかし、キースの鋭い視線が何故かリリィに向けられた。
「え……?」
理由が分からずに首を傾げたリリィだったが、首筋にヒヤリとした感触がして心臓が大きく跳ねる。
リリィが振り向くよりも早く、地を蹴ったキースがリリィの腕を引き、背後にいた“もの”を斬った。
背後で聞こえた断末魔の叫びは、肉体が塵に変わると余韻を残すことなく消えた。
煩い心臓の鼓動はどちらのものか。引かれたままキースに片腕で抱き止められたリリィに判別する余裕はない。
頭が漸く働き出せたのは、キースが吐いた深い安堵の息と剣を落とした音が聞こえたからだった。
キースはリリィの存在を確かめるように、強く両腕で抱きしめた。
「……急に引いてごめんね。大丈夫かい?」
「だ、大丈夫……。キースは? 怪我はしてない?」
「あれくらいは問題ないよ。けど、君の後ろに魔族がいたのは、正直、心臓に悪かったかな……」
力なく笑ったキースの腕は微かに震えていた。リリィの肩に額を乗せたキースは、再度溜め息を吐く。
今まで何度も死地をくぐり抜けてきたであろう彼でも、まだ怖いと思うことはあるようだ。
リリィが「ありがとう」と小さく礼を言えば、抱きしめる腕の力が強くなった。
「危ない目に遭わせてごめん。けど、君のことは、僕が絶対に守るから」
「…………」
先ほど、襲ってきた魔族の姿がフラッシュバックした。同時に、姿こそ違えど、魔族を束ねる魔王であるオズのことも。
魔族はリリィの真後ろに現れた。姿をリリィが目にすることはなかったが、馬上にいたリリィよりも遥かに大きなものだったようだ。
あの魔族は、オズが差し向けたものなのか。ならば、このままキースと一緒にいてもいいのか。
彼は、オズに打ち勝ってしまうのだろうか。
「……魔王からも?」
様々な思いが交錯する中、その言葉は自然と口をついて出た。
まさか「魔王」という単語が出るとは思わなかったのか、キースの腕が一瞬だけ緩み、しかしすぐに元の強さに戻った。
「ああ。必ず」
「…………」
ありがとう、と言うべきなのか。
しかし、心のどこかではオズが倒される姿を見たくないと思ってしまう。
リリィは何かを言うことも、キースの背中に腕を回すこともできず、ただ彼の胸元をそっと握った。
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