第13話 声の対価


「陸に住まう者が、こんな辺境の地に何用かえ?」


 アイリスは魔王であるオズが相手でも臆することなく、むしろ挑むような余裕の構えで問う。

 敵意を向けられることは多いが、見下される感覚は初めてだ。

 それでも、オズは怒りを覚えることはなく、淡々と返した。


「海の魔女ともあろう者が、ついにボケたか」

「ふんっ。たった一人の女子おなごに手を焼くお主に言われとうないわ」


 失礼な物言いに、アイリスは腕を組んで表情を険しくさせる。だが、それもすぐに消すと近くの棚から小瓶を取り出した。

 小瓶の中には一粒の真珠が入っており、容器を傾ければガラスに真珠が当たって小さな音を立てる。


「『これ』はあの娘が払った対価じゃ。それを返すならば、対価も戻してもらわなければならん」

「それは困るな。何せ、これは俺の独断だ。代わりを用意しよう」

「ふむ。お主に払える対価があると?」


 人魚にとって、声は命の次に大事なものと言っても過言ではない。まして、本人以外に渡すとなれば相応の対価は必要だ。

 対価を明言せず試すような視線を向けてくるアイリスに、オズは躊躇うこともなくあっさりと言ってのけた。


「命が欲しいと言うのならくれてやる」

「ほう?」

「だが、それでは意味がない」

「意味がないとは?」


 対価として命を差し出すのなら、アイリスも真珠を心置きなく渡してやれる。命を渡してオズが死んだとしても、声はきちんと返してやるというのに。

 しかし、オズが言う意味とは、リリィと共に過ごせないから、と言うものではなかった。


「俺の命が散るのは海の中ではない」

「……なるほど。最期まで抗ったお父上と違い、お主は自らその道を選ぶか」

「必然だ。そして、あいつにとってもそれが最善だ」


 オズが言わんとしていることが分かり、アイリスの表情から微笑が消える。

 彼は、リリィの幸せを願って命を散らそうとしているのだ。

 魔王としてはもちろん、魔族全体でも類を見ない自己犠牲だが、だからと言って今、対価が払われていないのに声を渡すことはできない。


「対価は今、払えるものでなければならん。特に、お主との約束とはいえ、命を貰いに行けば『知らぬ、存ぜぬ』で魔族に食われるわ。わしに自殺願望はないぞ」

「そうか。なら、今、俺が渡せる対価はあるか?」

「……命以外ならば何でもよいのか?」


 対価になるものはアイリスに選んでもらったほうが早い。ただ、オズは何も持ってきていないため、最悪、一度戻らなければならないが。

 確認するように問うアイリスに、オズはしっかりと頷いた。


「お前が望むものならば」

「言うたな?」

「……ああ」


 にやり、と不敵に笑んだアイリスを見て悪寒が走る。

 まさか、魔王たる自分がたかだか魔術の扱いに長けた人魚に怯むとは思わず、返事に間を開けてしまった。


「ならば、『それ』を寄越せ」

「……え?」


 アイリスがすっと細い指で指したのは、オズの胸元だ。

 そこに視線を落としたオズは、彼女が欲する物を知ってハッとした。

 だが、いずれ自分には必要がなくなる物だ。


「……分かった。いいだろう」

「よし。交渉成立じゃの。持ってゆけ」


 投げられた小瓶を受け取り、オズは対価となる物を渡そうと再び視線を落とす。

 しかし、それは既にアイリスの手中にあった。


「ではの。健気な魔王よ」


 ふふ、と妖艶に笑んだアイリスにオズは何も言わず、背を向けると一瞬で姿を消した。

 海の魔女の住処に再び静寂が訪れる。


「……残りの生を、無駄にするでないぞ」


 オズから貰った対価を握りしめて呟かれた言葉は、深海の闇に消えていった。



   ◇◆◇◆◇◆



 慣れた気配が部屋の外に現れた。

 漸く帰って来たか、とメルは焦る気持ちを押さえつつ扉を開ける。


「お帰りなさいませ、オズ様」

「ああ」


 オズは頭を下げて出迎えるメルに短く返すと、そのまま部屋の奥に入ってソファーに座り込んだ。

 疲労が滲む様子に訝りつつ歩み寄ったメルは、オズの変化に気づいてフードの奥で目を見張った。

 どうりで、彼に疲労が色濃く出ているわけだ。


「オズ様、もしや『あれ』を……!?」

「この事は他言無用だ。しかし、他の配下に知られては危うい。至急、代わりの物を用意してくれ」

「代わりになるような物など、すぐには……」


 オズが失った物は唯一無二の代物ではないが、そう簡単に手に入るような物でもない。それこそ、数百年に一度、手に入るかどうかだ。

 困惑するメルにオズは疲労を飛ばすように溜め息を吐いて言った。


「見た目が同じであればいい。あとは俺が誤魔化す」

「……畏まりました。すぐにご用意いたします」


 動くのは早いほうがいい。

 すぐに部屋を出たメルの気配が遠ざかるのを感じて、オズはポケットから小瓶を取り出す。


「これとの引き換えだと知れば、卒倒するかもしれないな」


 小さく笑みを零して立ち上がる。倦怠感は残るが、メルに知られる前に片をつけておかなくてはいけない。

 こっそりと部屋を出て廊下を少し歩き、周りに誰もいないことを確認して一日半ぶりに訪れる部屋の扉を叩く。

 中からの反応はないものの、構うことなく扉をゆっくり開けた。

  開けられたままの窓から涼しい海風が入り込む。夕陽が空や海だけでなく、室内をも赤く染めていた。

 何を言われるだろうか、と身構えていたが、予想に反して部屋の中はしんとしている。せいぜい、海の波音が聞こえるくらいだ。部屋の主であるリリィが喋れない、ということもあるが、彼女はベッドで寝ていた。

 ベッドでシーツを被ったリリィに歩み寄れば、目元が涙で濡れていることに気づいた。

 起こさないよう気をつけつつベッドの縁に腰掛け、そっと指で拭ってやる。


「……思えば、最初からお前はあいつを見ていたな」


 気づかないはずがない。彼女が何を見ているのか、何を想っているのか。目を逸らそうとすればするほど、嫌と言うほど思い知らされた。

 人間との戦いの話でも、あの騎士が出てこないと分かると安堵していたのだ。

 オズは胸の奥で燻る黒い感情を潰すように胸元を握った後、ポケットから小瓶を取り出す。

 コルク栓を抜き、中から真珠を取り出してリリィに近づければ、元の主を見つけたからか真珠が弾け飛んだ。夕陽を反射してキラキラと輝く欠片が宙に舞い、リリィに降り注ぐ。


「寄り道は終わりだ。お前を物語の本筋に帰してやろう」


 頬に手を添え、起きないでくれよ、と願いつつ軽く口付ける。本当なら、同意の上でしたかったが。


「……お別れだ」


 眠ったままのリリィから離れたオズは、片手をリリィに翳す。

 リリィを包むように淡い光が生まれ、瞬く間に姿を覆い隠す。

 ゆっくりと光が収束していくと、リリィの姿はどこにもなくなっていた。


「……これで、いいんだ」


 リリィがいた場所を触れば、まだ温もりが残っている。

 逃すまいと触れていた手を握りしめ、オズはベッドから立ち上がった。



   ◇◆◇◆◇◆



 ――……お別れだ。


 酷く悲しげなオズの声は、果たして夢だったのだろうか。

 確かめようにも、羽毛のような柔らかく優しい感触がリリィを包み込み、意識を深い夢の底へと誘った。




 耳に届く波の音がいつもより随分と穏やかだ。

 メイが起こしに来たのか、先ほどから肩を揺すられている。


「――? 大丈――!?」

「……?」


 覚醒前の寝惚けた頭で僅かに認識できた声が記憶の物と違う。

 メイのような少女の声ではなく、しかし、メルよりも低い青年の声だ。どちらかと言えばオズに近いか。

 だが、部屋を飛び出してから戻っても彼がリリィの前に現れることはなかった。メイ曰く、「とても反省しております」とのことだが。


「ねぇ! 君、大丈夫かい!?」

「……? っ、きゃあ!?」


 ゆっくりと瞼を開いたリリィは、思っていたよりも近くに、思ってもみなかった人物の顔があったことに驚いた。

 だが、それよりも自身が声を上げたことにまた驚きと困惑が走った。


「え? な、なんで声が……。それに、どうしてあなたが……?」


 確かに、リリィは部屋に戻って寝ていた。事実を思い返せば辛いが、どうにかして落ちつこうとして。

 何故、声が戻っているのか、目の前にリリィが恋い焦がれて止まない人であるキースがいるのかは分からない。漸くキースに会えたというのに、今は困惑しているせいか嬉しい感情が薄い。


「何があったのか分からないけど、僕が来たときには君はここで気を失ってたんだ。……あ、僕は『キース・シルヴァリア』。君の名前は?」

「リリィよ。……ありがとう。起こしてくれて」


 何が起きたのか真相を知る人はいない。

 だが、リリィが城から消えたとなればオズが黙っていないのではないのか。

 考え込むリリィを見て、キースは神妙な面持ちで訊ねた。


「あの、人違いならすまない。おかしなことを訊くけれど、一つだけいいかな?」


 躊躇いからかリリィから一度視線を逸らしたキースだったが、再びリリィを見据えて言う。

 その目に迷いはなく、問いすら確信を得るためのものだと分かる。


「嵐の時、船から落ちた僕を救ってくれた人魚は君かい?」

「…………」


 まさか、救ったことを覚えていたとは思わず、リリィはどう返せばいいのかと言葉に詰まる。

 大好きだった『人魚姫』はどう返していただろうか。そもそも、あの物語では王子と再会したときには声がなかったのだ。

 固まるリリィを見て、キースは見当違いだったか、と視線を落とした。


「……すまない。人魚が人間になるなんて、物語みたいな話が――」

「わ、私です」

「え?」


 言っても許されるのだろうか。

 だが、どこまで話してもいいのか、どう説明すればいいのか分からず、今度はリリィが視線を泳がせる番だった。


「アイリスに……えっと、海の魔女に、お願いして……その……」

「……本当に、君なんだね」

「え?」


 疑いの言葉ではなく、安堵したような言葉。

 目を瞬かせるリリィがキースを見たと同時にキースの姿が視界から消え、体が何かに絞めつけられる。

 彼に抱きしめられているのだと気づくのに少しだけ時間が掛かった。


「良かった……! あれから、ここに来られる日はいつも来ていたんだけど、まったく君の姿を見なかったから……」


 どうやら、キースはずっと探してくれていたらしい。

 しかし、リリィはオズに拾われたことにより、ここからは遠く離れた場所にいた。

 だが、キースにそんなことが分かるはずもない。人間と魔族の争いを知るリリィの口から言うのも憚られた。


「まさか、君が物語みたく人間になってここにいるなんて、夢を見ているみたいだ……」


 キースは心の底から喜んでいるようだ。

 笑顔を見れば見るほど罪悪感に苛まれ、恋心とは違う胸の絞めつけに反射的に胸元を軽く握った。


「そうだ。こんな所に長居をしている場合じゃないね。僕の屋敷で改めてお礼をさせてほしい」

「えっと……」

「ごめん。君の用件を後回しにしてしまうようで申し訳ないのだけれど……どうかな?」


 魔王城を出たリリィに行く宛はない上、そもそも人間になったのはキースに会うためだ。彼の発言から察して、リリィが人間の足を得たのが自分のためとは思っていないようだが。

 後ろ髪を引かれる感覚はあるが、行く場所がない以上、ここは彼に世話になる他ない。


「……よ、よろしくお願いします」

「こちらこそ。さて、立てそうかい?」

「なんとか……」


 差し出された手を取り、リリィはキースに導かれるまま歩き出した。

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