第12話 物語の中の魔族


「――人間達はルベルク山を突破したとの報せが入りました。やはり、あの『キース・シルヴァリア』という騎士が手強いようです」


 リリィとオズの間に亀裂が走った翌日。

 それでも、魔族を滅ぼさんとする人間達の進攻が緩まることはなく、メルは配下から聞いた情報をオズに伝える。

 オズは昨日、リリィの部屋を出てから自室に戻り、まるで魂でも抜けてしまったかのようにぼんやりと過ごしていた。今は少しばかり思考が戻ったのか、それとも現実逃避なのか、メルが持ってきていた本を読んでいるが。

 メルの報告が終わると、オズは読んでいた本に栞を挟むことすら忘れて閉じると、ゆっくりと口を開いた。


「物語の中で、魔族は常に同じような立場だ」

「それは人が創った物。必然でしょう」


 本を選んでいたときはまさかこんなことになるとは思わず、とりあえずリリィがよく読んでいた本を持ってきていた。また、書庫には魔族が書いた物以外にも、オズの母が好きで集めた人間が書いた本もある。どうやらそれが裏目に出たらしい。

 自身の立場を見誤られては困る、とメルはフォローを入れるも、オズにはあまり響いていないようだ。

 閉じた本を見下ろしながら、オズは淡々と言う。


「彼女は本が好きだと言っていただろう? お前も俺に勧めた」

「そうですね」

「理解することも必要だろうと、幾つか読んでみた」


 忙しいから、読む暇はない。読まなくても大丈夫だろう。

 そう言っていたあのオズが、たった一日で四冊の本を読破している。手元にある本で五冊目だ。

 積み重ねられた本を一瞥して、メルは再びオズに視線を戻した。


「愛する者には、自分が関わらずとも幸せになってほしいと願うのが普通らしい」


 自身が幸せにする、というのが最も理想的だろうが、時としてそれは叶わないこともある。

 オズは読んできた本の結末を思い返しながら、自嘲じみた笑みを浮かべた。


「そして、物語の魔族はほぼ同じ結末だ」

「オズ様……?」


 手元の本を重ねていた本の隣に置くと、オズは立ち上がって部屋を出るために扉に向かう。

 その背に嫌な予感がして呼び止めるようにメルが名を呼ぶも、彼が振り向くことはなかった。


「少し、出てくる」

「どちらへ? 私もお供いたします」


 オズを一人にしてはいけない気がした。

 一瞬で梟へと姿を変えたメルがオズの肩に乗ろうとしたが、オズに片手を挙げられて制される。

 宙で羽ばたくメルに視線を向けず、オズは扉を開いて言った。


「野暮用だ。一人で構わない。詮索はするな」

「…………」


 扉が閉じられ、オズの気配がかき消える。

 メルは本が乗ったテーブルに降り立つと、タイトルを見ながら溜め息を吐いた。


『こんなことならば、勧めるべきではありませんでしたね……』



   ◇◆◇◆◇◆



 陽の光さえ届かない深い海の底。

 北と南の海に境を作るかのように走る大きな海の谷は、海の生物でも滅多に近寄らない場所だ。いたとしても、せいぜい深海魚くらいか。

 その谷で唯一と言っても過言ではない幻聖族の住人であるアイリスは、谷の壁に開けた穴の中で、岩の机に広げた紙に多くの字を書き込んでいた。


「この術式では反対の現象を起こしていたから、ここの字を逆にして……」


 ぶつぶつと独り言を呟きながらペンを走らせていたアイリスは、集中していながらも決して油断はしていない。いくら生物の少ない深海とは言え、危険が潜んでいないとは限らないのだ。

 現に、背後に現れた気配に対し、アイリスは手を止めることなく言った。


「やれやれ。わしは魔術の開発に忙しいのじゃが、こんな海の底まで来るとは……。お主も余程、物好きなようじゃのぅ」


 普段ならば余程の用件でない限り、アイリスが自分から声を掛けることはない。よくここへ来ていたリリィですら、来ても会話を交わすことなくいつの間にか彼女がいなくなっていることもあった。それはただ、アイリスが「話す必要はない」と判断したからだが。

 だというのに、アイリスが珍しく声を掛けたのは、現れたのが人魚や迷い込んだ深海魚ではなかったからだ。

 ペンを置き、振り向いたアイリスは背後にいた人物に不敵に笑む。


「のぅ? “魔王”よ」

「…………」


 アイリスの元に現れたのは、呼吸のために自身を魔力の壁で覆うオズだった。


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