第11話 進展して、後退
小さい頃から夢を見ていた。海の魔女に人間の足を貰い、人間の青年と恋に落ちる夢を。
だが、夢の半分まできたと言っても過言ではない今、目の前にいるのは人間の青年ではなく、魔族の青年……それも魔王だ。
「――人間との戦いで疲弊した配下を救ったのは、偶然、近くを通り掛かった幻聖族だった。その幻聖族が濁った泉の上を駆け抜けただけで、泉を清めてしまったのだ」
【清められた水は飲めるの?】
「汚れを取り除いたくらいならば魔族にも害はない。ただ、魔族を討ち破る力を込められていたら話は別だがな」
読心術は疲れるから、という理由をつけ、リリィはメルに紙とペンを借りて筆談でオズと話をしていた。本当はたまにオズが読心術を失敗するからだが。
リリィはオズのケガを治癒してから、少しは彼とも話をしてみてもいいのかも、と部屋に来たオズをすぐに追い返すこともせず話を聞くようになった。贈り物については相変わらず断ったが。
人間との戦いの話は少し怖かったが、リリィとは無縁だった世界のためか耳を塞ごうとは思わなかった。また、今回のように人魚以外の幻聖族を見かけたという話や、見たことのない物を持ってきてくれたときには素直に喜んだ。
そんな二人の様子を見ていたメルは、このままリリィがうまく人間の青年のことを忘れてくれればいいと思った。
(ここにいれば、あの青年に会うことはない。会う前に片を着けてしまえば問題はないでしょう)
あとは、想定外のことさえ起こらなければいい。
そう思って席を外そうとしたメルだったが、想定外の出来事は案外、すぐに起こってしまった。
「そうだ。この前も、人間が海路を使って攻めてくるということがあってな」
「……ん?」
「大きな船を何隻も用意していたようだが、メルが事前に情報を得ていたから対処にも困らなかった。リリィを見たのも、その視察に向かったときだったな」
オズが話し始めたのは、先日、リリィと会ったときのことだ。
ただ、それだけで終わるのなら良かったが、何かを察したリリィが表情を強張らせながら【その船、どうしたの?】と紙に書いた。リリィの様子の変化に気づいたのはメルだけだ。
メルの制止よりも早く、オズはどこか得意気な顔で言った。
「オズ様――」
「俺の力は嵐をも起こせる。あんな船など、一瞬で沈めてやったぞ」
「ああ、このお調子者……」
「なんだと?」
つい口をついて出た言葉にオズから苛立ったような反応を向けられるが、それどころではない。
メルは溜め息を吐いてオズにリリィを見るよう視線で促す。
訝りながらもリリィを見たオズはぎょっとした。
「…………」
「な、何故、泣いている?」
声が出ないせいで、リリィはただ静かに涙を流していた。
狼狽えるオズは何が悪かったのか本当に分かっていないようだ。彼はリリィを好いているが、彼女が漸く自身に向き合ってくれた嬉しさから忘れていたのだろう。
やれやれ、と小さく首を振ってから、メルは悟らせるように言った。
「オズ様。お忘れですか? 彼女が何故、人間の足を貰ったかを」
「…………」
リリィは、ただ人間になりたくて足を貰ったのではない。人間の青年に恋をしたからこそ、大事な声と引き換えに足を貰ったのだ。
漸く思い出したオズは、自身の先程の発言を振り返り、そして彼女の涙の理由を知って愕然とした。同時に、胸の奥で黒い靄のような物が浮かんだ。
「だ、だが、今まで人間との戦いの話は普通に聞いていただろう……?」
「実際に体験しているものとそうでないものへの感じ方は大きく変わってきます。まして、船にはあの騎士がいた」
「…………」
「黙っていれば、ただの嵐で済ませたものを……」
虫のいい話だが、関わっていない事を聞いても物語と同じだ。特に、似たような事を……戦いを知らないリリィにとっては。
だが、あの嵐にはリリィは大きく関わっている。そして、瀕死の騎士を救った。
「――っ!」
「リリィ!」
堪えられなくなったのか、リリィは突然立ち上がると部屋を飛び出した。
ここにいる配下はリリィのことを知っている者達ばかりだが、決して安全とは言えない。後のことを考えず、目先のことを考えて動く輩も少なからずいる。
だからこそ、オズはこの部屋に入れる配下を必要最低限に留めている上、なるべく部屋から出さないようメルに言い聞かせていた。
慌ててオズも追いかけようとしたが、その前に立ち塞がったのはメルだった。
「お待ちください、オズ様」
「そこを退け、メル」
「いいえ、退きません」
「っ!」
フードの奥で、深紅の瞳が真っ直ぐにオズを捉えた。
苛立ちを滲ませても、メルが怯む気配はない。
「今はオズ様や私が何を言っても聞く耳を持たないでしょう。暫くはそっとしておきましょう」
「……だが、ここも必ずしも安全とは言えない」
「ええ、そうですね。ですからーー」
メルの体が黒い煙に包まれ、それが晴れると見慣れた少女ーーメイがいた。
確かに、リリィの世話をしているメイならば、オズやメルの言葉よりも聞くかもしれない。
「オズ様はお部屋でお待ちください」
「……ああ、分かった」
メイがオズの背を押して部屋から出るよう促せば、彼は納得していない様子ではあったが頷いて部屋を出た。
自室に戻るオズの背中を見送ってから、メイは目を閉じて城内の気配を探る。
多くの魔族の中に、一際澄んだ魔力があった。
まだ動いてはいるものの、行く先にあるものを視て、メイは大きな目を開いた。
「……仕方ありません。慣れないことですが、これも我らが王のため」
メイは小さく息を吐くと、感じ取った気配の近くに移動するべく魔力を集中させ、一瞬で姿をかき消した。
◇◆◇◆◇◆
ショックを受けたのは、オズがキースの船を沈めたことだけではなかった。
オズに対して怒りを覚えなかったのもショックだった。
(分かってる……。あの人は魔族の、それも王だもの。配下のためにも人間達と争って、勝つのが一番良いことだもの。あの人は間違ってない。けど……)
好きな人を危険に晒したのだ。何故、怒りよりも悲しさが先立つのか。
魔王本来の力を見ただけだ、と自身に言い聞かせても、涙は止まってはくれなかった。
あの時、オズに「何でそんなことをしたのか」と怒れたら、キースへの想いも薄れていないと実感できたはずなのに。
声が出ないからではなく、考えすら浮かばなかった。
何処に向かうわけでもなくただ廊下を歩いていたリリィは、ふと、鼻腔を掠めた香りに足を止めた。
(これ……)
数日が経っても未だ枯れることのない深紅の花が浮かんだ。
匂いのする方に足を向ければ香りは段々と濃さを増し、さらに進んで角を曲がるとガラスだけで出来た扉を見つけた。
ただ、透明度の低いガラスのせいで中はよく見えない。
汚れを知らない銀色のドアノブに手を掛け、ゆっくりと扉を押し開ける。香りはさらに濃くなり、室内を満たしていた。
「……!」
そこには、オズが持ってきてくれた薔薇が数多く咲いていた。
一歩、また一歩と室内へと足を踏み入れ、辺りを見渡す。
部屋にある深紅の物以外にも、薄紅色や黄色、白一色や白に赤い色が斑に入った物もある。
どの薔薇も花びらだけでなく、葉や茎までもしっかりしているのが分かった。
(……もしかして、オズのお母様が育てていた……?)
「そうです」
「っ!?」
突然、背後から声が掛けられ、リリィは肩を大きく跳ねさせる。
勢いよく振り向けば、いつもと変わらぬ感情の読みにくい表情でメイが立っていた。
「リリィ様。城内にいる魔族は必ずしも安全ではございません。お部屋にお戻りください」
(でも……)
「魔王様も心配されていましたよ」
「…………」
先の今では会いにくい。だが、ここから出られない以上、また顔を合わせるだろう。
視線を落としたリリィを見て、メイは小さく息を吐く。そして、周りで咲き誇る薔薇を見渡して言った。
「ここは、オズ様が許した者しか入れない場所です」
扉にはオズが魔術を仕掛けており、彼が許していない者が入ろうとすれば電撃で真っ黒に焦げてしまう。
リリィが何の問題もなく入れたのは、やはりオズに好かれているからだ。
「魔王様のお母様は、魔族にしては大変お優しい方でした。人間さえも平等に見ることのできる。……ちょうど、あなた様のような方でした」
だからこそ、オズは歴代の魔王よりは傲慢にはならなかったのかもしれない。
リリィを混乱させるだけかもしれないが、メイは淡々と言葉を続けた。
「今、オズ様はご両親の仇のために戦っておられるのです。勿論、我々魔族が支配するため、という目的もありますが」
(仇……)
先代の魔王は人間に討ち取られている。仇のために戦うのは当然といえば当然なのかもしれない。
だが、今までの魔王は仇のためではなく、ただ魔族による統治のみを目的としていた。
「あの方は魔王にしては些か優しすぎるのです。あと、あなたのこととなると周りが見えない」
「…………」
後者についてはリリィもよく知っている。できれば直してほしいところだが。
メイはリリィに向き直ると、恭しく頭を下げた。
「本来ならば私が言うことではございません。ですが、どうか誤解だけはしてほしくないのです」
決して、残虐を好んで行っているわけではない。あの嵐は、両親の仇にリリィを想う気持ちが重なった結果だ、と。
魔王らしくないと言えばそれまでだ。だが、今までの魔王と同じと思われたくもなかった。
しかし、リリィもいくらオズの心根が悪くはないと聞かされても、すぐに気持ちの整理がつくはずもない。
リリィは小さく息を吐いてメイに言った。
(ありがとう、メイ。でも、今は少し一人で考えさせて)
「……畏まりました。ですが、今はお部屋にお戻りください。魔王様も部屋に戻っていますので」
(分かった)
オズが部屋にいないのなら、戻らないと言う理由もない。
先導して扉を開けてくれたメイと共に部屋に戻りながら、リリィはふと、感じていた違和感の正体に気づいた。
(そういえば、メイはここに入れるのね)
「……手入れを任されておりますので」
リリィの発言は、先のメイが「許された者しか入れない」と言うことを指している。
ただ、メイの正体がメルであると発覚しては命が危ないため、メイは恐る恐る理由を伝えた。
リリィは理由を信じてくれたのか、何処か悲しげに笑みを浮かべた。
(信頼されてるのね)
「……嫉妬でございますか?」
(ちっ、違うから!)
あっさりと納得してくれたことに安堵しつつ、これからは発言にもっと慎重になろうと決めたメイだった。
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