第10話 人間と魔族


(……遅い)


 夕陽が沈んで、今は半分ほどまで膨らんだ月が夜空の頂点に浮かんでいる。

 ゴブリンから人間の進攻を知らされたオズは、リリィの部屋を出てすぐに向かったようだ。

 少ししてやって来たメイに様子を聞けば、人間側にいる魔導師のせいで苦戦していたが、オズが到着してからは戦局は変わっていると言う。

 だが、戦局が変わったのならすぐに帰ってくるのではないだろうか? リリィは戦に詳しくはないが、これほど時間が掛かるものなのだろうか。

 疑問が浮かんだが最後。姉のアティ程ではないが、気になってしまうのだ。質問するくらいなら危険を伴わないだろう。

 リリィは読んでいた本を閉じると、意を決して花瓶に挿していた薔薇の位置を調整するメイに心の中で呼び掛けた。


(ねぇ、メイ)

「はい?」


 普通に会話をしているのと同じようにメイは振り向いてくれる。

 声が出ずとも伝わるのは便利だが、慣れすぎると後々、キースのもとに行けたときに厄介になりそうだ。

 ただ、それよりも今はオズの様子が気になる。

 彼のことを聞くなら、城の中で仕事をしているらしいメイよりも、オズの腹心と見られるメルのほうがいいだろう。


(メルはいるかしら?)

「……あ、はい。少々お待ちください」


 何故か返答までに間が空いたが、城内にいるかを考えたのだろう。

 メイが部屋を出て数分後、ノックの音がしたため、リリィは返事の代わりに自らがドアを開けた。

 てっきりノックをしたのはメイだと思っていたが、ドアの向こうにいたのは見知らぬ人物だった。全身を黒いローブで隠し、フードも目深に被っているせいで顔が見えない。

 きょとんとするリリィを見て、その人物はこの姿でリリィの前に現れるのが初めてだと気づいた。


「お待たせいたしました。メルヴィンです」

(えっ?)

「本来は梟の姿ですが、それでは不便も生じますので人に近い姿を取ることもあります」

(便利なのね……)


 梟だけでも過ごせなくはないが、いろいろなことをするのであれば人のような手は欲しいところだ。ただ、この魔術は自分自身にしか使えないのだが。

 メルは一つ頷いてから本題に戻した。


「何かご用でしょうか?」

(用、っていう用でもないのだけれど……その……)


 メルを呼び出しておいて、今さら後悔した。

 オズの様子を聞いたところで何もできない。また、いずれはここを去る身だ。

 言葉に詰まるリリィを見て、メルはある問いを投げ掛けた。


「オズ様のことでしょうか?」

「っ!」


 ぎくり、とリリィの肩が跳ねて固まる。なんで分かったのかと驚きに見開かれた大きな瞳にメルの姿が映った。


「メイから様子の変化をお聞きいたしました。花を見ては溜め息を吐かれている、と」

(別に、心配していたわけじゃ……)

「心配して溜め息を吐いている、とは言っていませんよ」

「…………」


 どうやら墓穴を掘ったらしい。

 気まずそうに視線を逸らしたリリィに、メルはそれ以上、感情の変化について追究はせず、自身が知ることを告げた。


「どうやら、人間の騎士に切れ者がいるようです。魔術のあしらい方を知る者が。その者が魔導師を率いて、先陣を切って進んできているとか」


 いつからだったか、人間の中にも魔術を扱うことのできる者がちらほらと現れ出した。遡れば魔族もしくは幻聖族に辿り着くとされる、所謂『混血』の者が。

 彼らは血が混じっているが故に魔族や幻聖族程ではないにしろ、人間からすれば十分な力となる魔術を扱える。また、彼ら自身の研究により、少ない魔力でも大きな効果が出るように開発されているのだ。

 そして、今、オズが対峙している人間達の中には魔導師はもちろん、魔術に対抗できる騎士がいる。


(大丈夫かしら……)

「というのは?」

(……え? あっ、ち、違うの! 別に、気にしてなんかいないの)

「…………」


 リリィも自然と思ってしまったのだろう。だが、メルには筒抜けだ。

 慌てて首を左右に振るリリィを見ていると、彼女は視線をさ迷わせた後、話題を変えようと訊ねた。


(そ、そういえば、昔はどの種族も協力して暮らしていたって聞いたわ。でも、今はこうして戦っている。それって、何かがあったからなの?)

「争いを好まぬ、幻聖族らしい質問ですね」

(……褒めてる?)


 メルの言葉には何故か嫌味が含まれていたように感じた。

 だが、メルが言ったとおり、幻聖族は争いを好まないため、人間や魔族とは極力関わらないようにしている。二つの種族が何故争っているのかさえ、知ろうとは思わなかった。

 メルは小さく息を吐いてからリリィに答えた。


「様々な説がありますが、人間が発展したからというのが最も有力な説です」

(発展……)

「人の力は我ら魔族や幻聖族には劣りますが、知恵は時に我らを上回ります。故に、魔術を学ぼうとした者が現れ、混血の者によって形となったのです」


 そして、力を得た人間は更なる繁栄を求め、時には人間同士で争うこともあった。だが、その影にはいつも強大な力を持つ魔族への怯えが潜んでいた。

 人間同士の争いの中でいくつかの国ができ、国同士で戦っては統治され、やがて一つの大きな国ができたのだ。これで争いも沈静化するかと思われた矢先、首都から離れた小さな村で、村人が魔術によって殺される事件が起こった。

 深夜、誰もが寝静まった中での魔術による犯行。いくら捜索しても犯人どころか証拠すら見つからなかったが、当時、魔術を扱える人間は村にはおらず、人々は自然と魔族を疑った。


「結果、人々に巣食っていた魔族への恐怖心が爆発し、魔族を討たんと奴らは武器を取ったのです」

(証拠もないのに、魔族だって決めつけるなんて……)

「ですが、犯人が魔族ではないと否定もできません」


 分からないからこそ、人間は元凶となりそうな恐怖の対象を排除しようとした。

 分からないからこそ、魔族は仲間を守るために暴動に対抗した。

 一見、魔族のほうが理不尽な扱いを受けているように見えるが、争いの火種は以前から魔族は中にも燻っていたのも事実。


「人間を擁護するつもりはありませんが、一部の魔族には全種族を魔族で統治せんと企む者もいました。ですから、人間の進攻をこれ幸いと考える者もいましたがね」

(メルは、あまり賛成してないの……?)

「平穏に暮らすためならば、戦いも致し方ありません。例え、それが何百年と続いていようとも」


 メルはフードの奥で目を閉じ、記憶の海に潜った。

 人間と魔族の戦いは古くから続いている。だが、どれもおよそ百年区切り程で現れる『勇者』や『騎士』などの戦闘に特化した力を持つ人間によって終息しているが。

 メルもすべての戦いを見てきたわけではないが、先代の魔王についてはよく知っている。


「先代の魔王……オズ様のお父上様も、百年程前に現れた勇者によって討たれました」

「…………」

「だからこそ、後継としてオズ様が魔王となっているのですが」


 確かに、オズが魔王であるからには、先代は亡くなっている。

 あまり深くは考えていなかったが、改めて聞かされるとオズにも苦労は多かったのだろうと思ってしまう。


「魔族は倒されるのが歴史の常。ですが、此度の代こそは、と誰もがオズ様のお力に期待されていますよ」


 まだお若いので、多少の周りのサポートは必要ですが。

 そう付け足したメルにも、相応の苦労の色は滲んでいた。

 リリィはオズから貰った薔薇へと目を向ける。そして、メイが花瓶と一緒に持ってきてくれてから読んでいた、薔薇の栽培法についての本の表紙をそっと撫でた。


(……ちょっとくらいなら、気を許してもいいかも)

「……明日は雨でしょうか」

(酷い!)


 窓から見えた空は快晴に近い。きっと明日も同じだろう。

 だというのに、メルは少し驚いたように冷やかした。

 しかし、決してオズを受け入れる姿勢を取らなかったのを知っている者からすれば、何事かと思うのも仕方がない。

 リリィは返す言葉が見つからず、けれどこのまま勘違いされるのも癪だ、と必死に思考を働かせていると、ノックが聞こえてすぐドアが開かれた。

 メルが何かを感じ取ったのか、ローブに隠された肩が小さく跳ねる。

 その理由はすぐに判明した。


「今、戻った、ぞ……」

「……お帰りなさいませ。ご無事で何よりです」

「メル。何故、お前がここにいる」

「っ!」


 オズから怒気が滲み出し、メルの雰囲気が強張った。

 リリィも自身に向けられたわけではないが、鋭い空気に怯んでしまう。

 だが、歩み寄って来たオズの腕や頬に傷があるのを見つけると、そんな恐怖心など消えてしまった。

 頭を下げて数歩下がったメルの前にオズが立った瞬間、リリィは反射的にオズの袖を掴んだ。


「え?」

(だ、大丈夫……?)


 まさかリリィから触れてくるとは思わなかったオズは、間の抜けた声を上げてリリィを見下ろす。

 先程まで纏っていた怒気など欠片も残っていない。


(見せて)

「は? な、何を……」


 困惑するオズに構わず、リリィは彼の頬にできた傷の近くに手を添えた。

 想い人に心配され、触れられている上に身長差があるせいで体は密着している。

 何が起こっているのか頭が処理する前に、リリィが触れた手から淡い光が発生した。そして、すぐに頬から手を離すと次は左腕に触れた。


「…………」

「治癒術、ですか」


 リリィが行っているのは魔力による治癒だ。

 まさかリリィがオズに使うとは思わず、治癒をされたオズはもちろん、見ていたメルも驚いた。

 傷口が塞がったのを見ると、リリィはオズから離れて気まずそうに視線を逸らして言った。


(か、勘違いしないで。薔薇のお礼よ)

「……そ、うか。ありがとう」


 漸く理解が追いついてきたオズは、詰まりながらも礼を口にする。

 本来であれば魔王に礼を言われるのは貴重だが、元々、彼の振る舞いに魔王らしさがなかったためか違和感はない。

 そして、リリィは土や血で汚れたオズを見ると小さく顔を顰めた。


(服についた汚れは取れないから、着替えたほうがいいわよ。……衛生的に)

「あ、ああ……。すまない。そうしよう」


 リリィに言われるがまま、オズは部屋を出て行った。

 ドアが閉じられ、気配が遠ざかるのを感じると、リリィは素直に引き下がったオズに首を傾げた。


(治したの、ダメだったかしら……?)

「いえ、むしろ助かりましたよ。あの方はかなり無茶をしますので」


 オズは戦闘となると、誰よりも先に相手の陣地に突撃する節がある。できれば後ろの方で待機しておいてほしいのだが、オズは自分が動いていないと気がすまないのだと言う。周りにいる配下のことも考えてほしいが。

 魔王は不死ではない。傷一つが致命傷にもなりかねないのだ。そのため、リリィの治癒は今後のためにも助かった。

 また、助かったのはメル自身もだ。

 小さく息を吐いたメルは、リリィに向き直って頭を下げた。


「ありがとうございます。おかげで私も助かりました」

(え?)


 目を瞬かせるリリィは、自分が何をしたのか分かっていないようだ。オズ本来の性分を知らないからかもしれないが。

 メルは「オズ様の様子を見て参りますので、失礼いたします」と断りを入れてから部屋を出る。

 ドアを閉じ、オズのいる部屋に向かいながらフードの奥で小さく笑みを零した。


「貴方があの方を止めていただいたおかげで、私は命を終えずに済んだのですよ」


 あの時、オズは無断でリリィに会っていたメルを殺さんばかりの勢いで詰め寄ってきた。

 それを宥めたのは、他でもないリリィだ。


「これは、オズ様のためだけでなく他の配下のためにも、ぜひとも魔王の花嫁となっていただかなくては」


 まずはリリィの心境の変化を伝えるべきか、とメルはオズのもとへと急いだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る