第7話 勘違いの魔王


 閉じた瞼の向こうで、眩い光が射し込む。

 バンが悪戯で陽光石を近づけているのだろうか。彼はたまに子供っぽいことをするのだ。

 光から逃げるように顔を動かしたリリィは、柔らかい感触にぼんやりとした思考を停止させた。


(う、ん……?)


 宮殿では決して感じることのなかった感触。

 海鳥達のお腹辺りのふわふわとした感触に近く、一瞬、海鳥達の巣にでもいるのかと思ってしまう。

 ゆっくりと目を開けたリリィは、真っ白な布の上にいると気づいた。


(……こ、れって……)


 上体を起こし、寝ていた物を見る。

 挿し絵でしか見たことがないが、人間達が眠る際に使うベッドにそっくりだ。

ふかふかの布からは爽やかで良い香りがする。

 また、足元に違和感を覚えて体に掛かった厚めの布を捲れば、見慣れない二本の足が現れた。一瞬、誰の物か分からずに悲鳴を上げそうになったが、口から声が漏れることはなく、息を吸った音しか出なかった。

 そこで、リリィは気を失う前のことを漸く思い出した。

 海の魔女であるアイリスに頼み、声と引き替えに人間の足を貰ったことを。


(そっか。私、本当に足を貰ったんだ……)


 今頃、アイリスは魔術の成功を喜んでいることだろう。

 小さく笑みを零しつつ、では、ここは何処なのかと新たな疑問が浮かんだ。人魚姫の物語でいけば恋をした青年に会えるはずだが、見渡した部屋には誰もいない。

 また、室内には想像していたよりも家具という物がなく、今、リリィがいるベッドの他にはテーブルとクローゼットであろう四角い箱がある程度。壁も灰色の石煉瓦が剥き出しのせいか、どこか冷たい印象だ。床には磨かれた石のタイルが敷き詰められ、ベッドの下には深紅のカーペットが敷かれている。


(あの人のお屋敷にしては、大分、イメージとは違うけど……)


 人は見かけによらない、という言葉もあるくらいだ。

 たまたま、シンプルなデザインが好きなのかもしれない。宮殿も壁は石だったし見慣れているくらいだ、と前向きに捉えようとしていると、右手側にあったドアが乱雑に開かれた。


(もしかして、あの人が――)

「ん? ああ、目が覚めたか!」

(…………誰?)


 部屋に入ってきたのはキースではなく、見たことのない美声年だった。肩には黒い梟を乗せている。

 襟足の長い漆黒の髪に自信に満ち溢れた真紅の目が印象的な彼は、リリィが起きていると分かると顔色を輝かせた。

 ただ、いくら相手が美青年であろうと、リリィは見知らぬその青年に警戒心しか抱けず怪訝な顔を向ける。助けてくれたであろう彼に向けるものではないか、とすぐに後悔の念が芽生えたが。

 すると、ベッドの横にやって来た彼は、リリィの予想外の言葉を掛けてきた。


「気分はどうだ? 外傷はなさそうだが、内側に関しては本人にしか分からないこともあるからな」

(……意外と良い人?)


 リリィの気持ちを読み取ったのか、気遣う姿勢を見せた青年。助けてくれたことも含めて考えれば、そう悪い人ではないのかもしれない。肩の梟はどこか呆れ気味の顔をしている気がするが。

 そう思いつつ彼に「大丈夫」と伝えようとして、すぐに口を噤む。声を対価に差し出しているため、喋ることができないからだ。


(どうしよう……。どうやって伝えたら……)

「小さなことでもいい。『妻』の身に何かあるかもしれないと思うと、俺も気が休まらん」

(……ん?)


 身振り手振りか、紙に書くか。どうしようかと思っていたリリィは、聞こえてきた言葉に思考を停止させた。

 彼は今、なんと言ったのか。


(え? 待って。今、『妻』って……)

「ああ、そうか。まだ詳しく話をしていなかったな」

(つ、伝わった?)


 きょとんとしていたのが良かったのか、それとも読心術でも会得しているのか、彼は自身の発言について説明が不足していると気づいた。

 喋れなくてもある程度伝わるなら嬉しい話だ。

 彼はどこか自慢げに言った。


「先日、視察途中にお前の歌を聴いてな。俺の妻に、と探していたんだ」

(……話が飛躍しすぎじゃないかしら)

「そうかそうか。嬉しさで声も出ないか」

(いや、違うんだけど!)


 歌を聴いて妻にしたい、とは随分と話が飛んだものだ。しかも、固まっていたのを自分の都合の良いように解釈している。

 否定の意を込めて首を左右に振れば、彼は納得したように腕を組んで頷いた。


「何も言わずとも分かっている。読心術の心得くらいはあるからな!」

(もう一度習ったほうがいいと思う)


 ほとんど理解できていない読心術を果たして読心術と呼んでいいものか。

 青年の肩にいる梟は小さく息を吐くと、表情が段々と怪訝なものへと変わるリリィを見て


『オズ様。そのお方、どうやら喋れないようです』


 やや淡泊に聞こえる少年の声に、リリィは目を見張った。青年だけでなく、梟も読心術が使えるのか。

 どうやら、梟はただの梟ではないようだ。動物と言葉が通じるのはリリィも人ならざる存在のためだが、梟からは海鳥達にはない魔力を感じ取れた。

 「オズ」と呼ばれた青年は、梟の言葉に目を丸くした。


「喋れない? 歌っていたぞ?」

『彼女は人魚のはずですが、人間の足を得ているでしょう? ですが、そのような魔術は聞いたことがありません。大方、海の魔女にでも声と引き替えに貰ったのでしょう』


 あの魔女ならやりかねません。

 リリィの状態から冷静に分析しながらそう続けた梟は、海の魔女ことアイリスのことを知っているようだ。

 まさか海以外で暮らす者にもアイリスのことが知られているとは思わず、リリィは目を瞬かせる。

 すると、彼はそんなリリィの心中を読んだかのようにしっかりと頷いた。


『ええ。海の魔女は我らの間でも有名ですからね。存じておりますよ』

(あなた、私の言葉が分かるの?)

『はい。私は「魔梟」ですから』

(魔梟って……)


 ただの梟ではなく、魔力を持つ特殊な梟だ。

 幻聖族にそんな種族のものがいただろうか、と考えていたリリィに梟が放った一言は、思わず耳を疑ってしまうほどのものだった。


『「魔族」に名を連ねるもので、メルヴィンと申します。メルとお呼びください』

(じゃあ、ここって……)


 何かの幻聖族の住処ではなく、魔族の者の住処ということか。つまり、それは目の前の青年も魔族であると言っている。

 人間と長く争っている種族。強い魔力を持ち、あらゆるものをその魔力で持って支配する者達だ。また、両親からは人間以上に、決して近づいてはならないと、強く言い聞かされている者達でもある。

 冷や汗が頬を流れた。

 梟――メルの目がすっと細められたものの、特に何かを言われることはなく、メルはオズに言った。


『オズ様。まだここが何処かをお伝えしておりません』

「ああ、そうだったな。私自身も名乗っていない」


 何度かメルが呼んでいるが、オズ自身は名前を言っていなかった。

 リリィとメルが話をしている間、彼は何か考えていたのか、メルに指摘されるとはっと我に返っていた。

 誤魔化すように咳払いを一つしてから、オズはまた口元に笑みを浮かべて言う。


「魔族を束ねる魔王、オズワルドだ。妻になるわけだし、呼び方は気軽にオズでいいぞ」

『いや、喋れないんですって』

「ん? 何だ?」

『いえ、何でもありません』


 呼び方と言ってもリリィは喋れない。声が出なくとも会話ができるメルはともかく、オズはまともに読心術ができないのだ。

 ただ、今のリリィにはそれにさえもツッコミを入れる余裕はなく、唖然とオズとメルを見ていた。

 メルの小さなツッコミはオズにはうまく聞こえなかったようで、きょとんとするオズにメルは首を小さく振って流す。


(最悪……! よりにもよって人間と対立している魔族の、それも魔王だなんて!)

「はっはっは! 嬉しすぎて声も出ないか!」

『ですから、これは魔術で出ていないだけですよ』


 先ほど、魔術のせいで声をなくしていると聞いたばかりだというのに、彼はすぐにそれを忘れてしまったのだろうか。

 メルが呆れ気味に言えば、オズはさして気にした様子もなく返した。


「そうか。まぁ、問題はない」

(大ありよ! 読心術も使えてないのに!)

「ほら、こいつも『ない』って言ってるぞ」

(読心術教えたの誰よ!)

『申し訳ありません』

(まさかの目の前)


 正反対のことしか言っていないオズに苛立ちを募らせていたが、まさか読心術を目の前のメルが教えていたとは思わなかった。

 ただ、今のオズの様子はメルにとっても予想を超えたもののようだ。


『どうやら、あなたへの想いが強すぎて、思考が暴走しているようです』

(……魔王なのよね?)

『ええ。新米ですが』

「何の話をしている?」

(聞こえてないじゃない!)


 読心術が使えるなら聞こえていたであろう会話だが、オズは首を傾げている。

 メルは小さく息を吐いてから、やや話を変えつつ手短に伝えた。


『魔王、と聞いて困惑されているようです』

「ふむ。さすがに、種族の頭が突然出ては驚くか」

『……オズ様。失礼かとは思いますが、ここは両種族の和平のため、婚姻の儀は延期なされてはいかがですか?』

(ちょっと待って。どこまで話が進んでいるの?)


 いくらリリィが気を失っていたとはいえ、話を進めすぎではないのか。さすがに婚姻ともなれば、リリィの両親も黙ってはいないだろう。

 メルにストップを掛けて言えば、メルからは冷ややかな視線と共に脅しにも近い言葉が返ってきた。


(人魚は少し黙っていてくれませんか? オズ様の逆鱗に触れれば、私もあなたも身が危ういのですよ?)

(っ!)

「メル」


 メルは口には出さず、リリィの脳内に直接語りかけるように言ったが、リリィが息を飲んだためか聞こえていないオズにも異変は気づけた。

 咎めるような声音と苛立ち混じりの魔力が滲み、メルの表情が一瞬だけ強張った。やはり、「魔王」と呼ばれるだけはあって、彼の持つ魔力は刃のように鋭い。


『申し訳ありません。オズ様の妃となる方のお名前を伺っておりました』

「ああ、そういえばまだ聞いていなかったな」


 オズやメルは名乗ったが、リリィは自分が喋れないこともあってか名前を言えずにいた。最も、知られなくとも困らなかったが。

 すると、またしてもメルがリリィに直接「名は?」と訊いてきた。メルの言い方では既にリリィから名前を聞いているようなもので、向けられた視線には早く名乗れという催促の意が込められている。


(リ、リリィよ……)

「そうか。リリィか!」

(これは聞こえるのね……)


 メルは何も言っていない。だが、オズが名前を聞けたということは、やはり読心術は一応は備えているようだ。

 オズはリリィの名前を知れたことが嬉しいのか、素直に喜色を浮かべていた。本当に魔王なのかと疑いたくなるほど、彼は表情豊かだ。

 やや浮かれるオズに、メルは当初の話に立ち戻って言う。


『リリィ様ですが、人魚の王の末姫様です。また、幻聖族は人間だけでなく魔族とも交流を断つ種族ですから、本人の困惑も解けぬまま妃にされては、人魚の王の怒りを買うことになりましょう』

「では、人魚の王に話を通すべきか」

『……いえ、それもそうなのですが。今のままでは連れ戻されかねません』


 一瞬、メルの脳裏に恋人の両親に挨拶に行く人間の姿が浮かんだが、今回は相手があの幻聖族だ。そう一筋縄でいくものではない。


『幻聖族は同種族内での結託は強固ですから、人間と対立する今、下手に火種を増やすべきではありません。それに……』


 ちら、とリリィに視線を戻したメルは、ある決定的な理由を述べた。

 三つ巴になるだけならまだいい。しかし、味方が必ずしもいつまでも味方ではないこともあるということを。


『声が出なければ、肝心の「歌」も歌えません。つまり、妃と認めぬ者も出ましょう。オズ様を慕う魔族の女性も数多くいますし、妃を危険に晒すことにもなりかねません』

「手を出した者を始末すればいいだろう?」

『それでは、やがて内部崩壊を招きかねません』


 始末するのは簡単だが、それはあくまでも相手が人間や幻聖族であればの話だ。同族内で、それも一人の妃のことで始末されるともなれば反論の声が多く上がりかねない。

 いつかの人間の王や、何代か前の魔王がそうだった、とメルは記憶を探る。

 ただ、何事も力で圧してきたオズには、それ以外の方法が思いつかない。


「では、どうしろと」

『簡単な話です。夫婦となる前に親睦を深めつつ、声を取り戻す方法を探しましょう。魔術に関しては私が当たりますのでご心配なく』

「親睦……」


 今一つぴんとこないのか、オズは難しい顔をしたままリリィを見る。

 リリィからすれば、方法を聞かれても親睦を深めようとは思わないので困るのだが。


『贈り物などはいかがですか? リリィ様は陸に来られて間もないですから、陸の物はあまり目にしたことがないでしょうし』

「なるほど! 名案だ! 探してこよう!」

(行っちゃった……)


 漸くオズの中で親睦に関するイメージが沸いたのか、彼は「少し待っていろ」と言って意気揚々と部屋を出て行った。

 その際、メルはまだリリィに用事があるのか、オズの肩から離れてベッドの足下のほうに乗る。ふかふかの布に埋もれた姿は、巣にいる梟のようだ。


『はぁ……。お父上亡き後、がむしゃらに人間との戦を起こしていた方と同一人物とは思えませんね』

(ありがとう、メル。助かったわ)

『別に、あなたの為ではありませんよ』

(それでも、少し考える時間が欲しかったから)


 魔族の一員とはいえ、メルは心根は優しいのかもしれない。また、あの魔王の肩に乗れるほど、信頼を得ているのだろうと。

 ふい、と顔をリリィから逸らしたメルに、リリィは小さく笑みを浮かべた。


『そうですか。では、私も魔術に関する手掛かりを探さねばなりませんので、これで』

(うん。ありがとう)


 そう言うと、メルは両翼を広げ、開けられたままの窓から外に飛び出した。

 窓の外は海が近いのか潮の香りが入ってくる。聞こえてくる波音は少し荒い。


(……そっか。魔王は北の海を越えた先って言ってたものね)


 本来の目的とは異なる、遙か遠い所まで来てしまったと、リリィは深い溜め息を吐いた。



   ◇◆◇◆◇◆



 魔王城の建つ崖の下に広がる海。高い波が崖にぶつかっては散っていく。また、波の合間には魔族らしき黒い影もちらほらと見える。

 危険の多い北の海では魚達も息を潜めているのか、崖から少し離れた城の全体が見える位置で佇むバンは未だに話ができる相手に会っていない。


『どうしよう……。リリィ、大丈夫かな……』


 つい勢いで追ってきてしまったが、引き返してシリオスに報告をするのが正解だった気がする。

 だが、ここで引き返してもその間に何かあってはシリオスに顔向けができない。かといって、陸に上がれないバンには何もできないのだが。

 悩むバンに、頭上から少年の声が掛けられた。


『おい、そこのイルカ』

『え!? 僕!?』

『この北の海にイルカはお前くらいだ』

『えっと……』


 視線を上げれば、一羽の黒い梟がバンの上を旋回していた。

 辺りを見回しても他にイルカの姿はない。そもそも、バン達イルカにとって、北の海はかなり住みにくい環境だ。つまり、バンの存在は異質と言える。

 ここは人魚の使いであると言ったほうがいいのだろうか。

 迷うバンに、梟は見透かしたように言った。


『人魚の使いだろう? 帰って王に伝えよ。「人魚の末姫は人間のもとにいる」、と』

『ええ!? どう考えたって魔王のもとだろう!? リリィを返して! 海でのことは王様には全部お見通しなんだよ!』


 シリオスは魚や海に棲む幻聖族から情報を得ている。例えバンが梟のとおり伝えたとしても、すぐに明らかになることだ。

 しかし、梟はバンの頭に留まると爪を少し立てながら鼻で笑った。


『ふんっ。魚などの記憶を変えるのは容易いこと。お前も真実を話してみよ。あの娘の命はないぞ』

『っ!』


 命はない、と言われた途端に、バンは海中へと潜った。

 その頭が水に隠れる前に梟は飛び立ち、去って行くバンの姿を見ながら呟いた。


『魔族は陸だけにあらず。常にそばで爪を研いでいると思え』

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