第3話 恋の病


 ――あんなに美しい歌声は初めて聴いたよ。だから、ついどんな子が歌っているのか気になって……。


「……はぁ」


 砂浜で出会った青年、キースの言葉が耳から離れない。何か魔力でも籠めていたのかと疑いたくなるほど、胸が苦しかった。

 今までも歌を褒められることはあったが、誰もが聞き慣れているからか惹き寄せるほどのものではなかった。

 宮殿の中にある大広間。平らに削られて出来た石のテーブルに頬杖をついて溜め息を吐くリリィを、周りは何事かと遠目に見て心配していた。

 部屋の入り口から様子を窺っていた、リリィの姉であり最年長である長女――ティナは、リリィを見たまま隣にいる次女のエリィに訊ねる。


「あれは何事なの? どうかしたの?」

「さぁ……? 聞いても『別にー』って返されたもの」


 何があったかはエリィも知らないようだ。

 体調が悪いわけでもなさそうだが、あまり溜め息ばかりを吐かれるのも気になって仕方がない。

 すると、三女――フィンは少し前に見かけた、リリィと一緒にいた者を思い出して言う。


「そういえば、さっきバンと一緒に上に行ってたよね? ねぇ、バン」

『えっ!? あっ。……あー……』


 そろりと三人の後ろを通ろうとしていたバンは、フィンの鋭い質問にびくりと体を跳ねさせた。フィンのエメラルドグリーンの瞳はちゃんと顔にあるが、後ろにもついているのかと問いたくなった。

 視線を泳がせるバンが事情を知っていると察したティナは、バンに詰め寄るなりにっこりと笑みを浮かべて問いただす。


「何があったの?」

『えーっと……』

「私の可愛い可愛い妹が悩んでいるのに、力になれないのは辛いのよ。教えてちょうだい」


 美人の怒りほど恐ろしいものはない。

 バンは怒りの矛先が向けられないよう、言葉を選びつつ言った。


『さっき、上に行ったときに歌ったんだよ』

「それで?」

『その声が人間の男の人に聞こえちゃったみたいで、その……まぁ、うん』


 船乗りを歌で惑わし難破させるセイレーンと同様に、人魚の歌声も人間を惹きつける。それが人魚の中でも随一とされるリリィともなれば効果は絶大だ。

 まさか、船を難破させてしまい、憂いているのか。彼女は人魚の中でも考えが特殊で、人間であれ自分達と平等のように見ている節があるのだ。

 三人の姉は嫌な予感を覚えつつも、言葉を濁すバンをティナが急かした。


「何よ。勿体ぶらないではっきり言いなさいな」

『一目惚れってあるんだね』

「「「……えぇっ!?」」」


 はっきり、とティナに言われた途端にストレートに言ったバン。

 誤ったことは何一つ言っていないが、姉達からすれば予想していなかった返答だったため、動揺はかなり大きい。


「ちょっと待って。一目惚れって、誰が誰に?」

「そりゃあ、人間じゃないの?」

「けど、リリィはあんな状態だし、リリィじゃないかしら? 相手の方も同じ気持ちだったらいいわねぇ」


 困惑するティナ、さっぱりしたフィン、何処か嬉しそうなエリィ。三人ともが異なる反応をしている。

 バンは深い溜め息を吐いてから、『エリィの言うとおりだよ』とエリィの言葉に頷いた。


「ほらね。あの子、『人魚姫』の話がお気に入りでしょう? きっと物語の男の人と重ねてしまったのね」

「あー……『フィルター』ってやつが掛かっちゃったわけだ」


 微笑ましげに言うエリィは、リリィがよく読んでいる本を知っていた。もちろん、それは他の姉達や両親もだが。

 そんな中、口元を手で覆ったティナは酷くショックを受けたようだった。


「なんてこと……。まさか、人間が相手だなんて……!」

「別にいいじゃない。想うだけは自由でしょう?」

「虚しいだけだけどねー」


 エリィは、どちらかといえば人間を好きになることに反対はしないつもりだ。ただし、本気にしないのなら、という前提があるが。

 フィンはフィンで、最初こそ驚いてはいたが既に興味を失ったらしい。

 ただ、ティナは険しい表情を浮かべると、居ても立ってもいられず大広間へと身を滑り込ませた。


「リリィ!」

『あっちゃー……』


 ティナは長女としての自覚からか、五人姉妹の中では最もしっかりしている。妹達の手本となるよう、常に気を張って生きてきた。それが、まさかあっさりと崩されるとは思わなかった。

 『だから言わなかったのに』とぼやくも、既にどうしようもないところまで広がっている。

 リリィは怒りを露わにした姉に驚いていた。


「ティナ姉様、どうかしましたか?」

「『どうかしたの?』じゃないでしょう! 人間に一目惚れだなんて!」

「ちょ、ちょっと待って。なんでそんなに怒るの? 好きになるくらい、いいじゃない」


 何故、ティナがそのことを知っているのか。入口で申し訳なさそうに頭を下げたバンを見れば理由はすぐに分かった。

 だが、それだけで怒られるとは思わず、リリィはティナの言葉に反発した。

 ティナは怯むことなく腕を組んで言う。


「ええ。相手が同族であったならね」

「……でも、人魚姫は人間に恋をしていたわ」


 人魚にも男性はいる。相手が同じ人魚であれば、ティナも心から応援してやることはできた。

 しかし、種族の違いを気にするティナと違って、リリィは相手がどんな種族であっても言葉を交わせば親しみを抱ける。また、リリィが恋をしたあのキースという青年も、リリィの歌声を素直に褒めてくれた。

 だからこそ、種族が違えども恋をしたのだ。

 最も、ティナがここまで反対をするのは違う種族ということもあるが、リリィが『人魚姫』の物語と同じ結末を迎えないか不安なためだが。


「あの結末を分かっているの? 彼女が実在したかどうかはともかく、泡となって消えたのよ?」

「そ、れは……あの物語のことだし……」

「そうよ。けど、私達が人魚なのは一緒よ? 人間とは違う」


 そもそも、住む場所が違うのだ。人魚は陸では暮らせず、人間も海では暮らせない。

 物語のように人間の足を得る魔術も聞いたことがないため、陸に上がって会いに行くことさえできないのだ。

 視線を泳がせたリリィは、次第に自身の想いの虚しさを痛感した。

 叶うことのない恋。伝えることさえできない想い。

 これは、持っていてもいいものだろうか。


「……分かってる」

(リリィ……。僕が言っちゃったばかりに、ごめんね……)


 ティナの言うことは正論だ。返す言葉も見つからずに視線を落としたリリィに、入口から様子を見ていたバンも同情してしまう。

 落ち込んだリリィに、さすがにティナも言い過ぎたことを自覚しつつも、これも彼女のためだと心を鬼にした。


「辛い思いをするのはあなたなの。お願いだから、その人のことは早く忘れてちょうだい」

「…………」


 産まれて初めて誰かを好きになったというのに、もう諦めなくてはならないのか。

 先ほどまでとは違う胸の締めつけに、視界がぼやけ始めたときだった。


「まあまあ。そんな、今から目くじら立てて怒らなくてもいいじゃない」

「エリィ姉様……」


 場を宥めに入ったのは、おっとりした性格のエリィだった。

 彼女はリリィの頭を撫でた後、「任せて」と小さく言う。どうやら、彼女はリリィの想いに肯定的のようだ。

 癖は父に似たというふわふわの金髪が視界を横切り、リリィとティナの間に入った。


「想うだけなら自由なんでしょう? なら、本当に好きな人ができるまで、ちょっとした楽しみとして想っておくのも悪くないんじゃない?」

「……確かに、想うのは自由よ」


 言い過ぎた自覚があるからか、エリィのフォローが入るとさすがのティナも折れる姿勢を見せた。

 だが、それもほんの僅かのことだった。


「けどね、もし、想いを我慢できずに会いに行ってしまったとき、危険に晒されることだってあるの。人間は欲深い生き物だから、自分達に良いように利用するかもしれない」

「そんな……! あの人はそんな事しないわ!」

「会ってすぐなんでしょう? それも、まともに話をしていないのに言い切れるの?」

「っ!」


 確かに、キースとリリィの間に会話というものはなく、彼から一方的に掛けられた言葉だけだ。

 ティナは自身の瑠璃色の鱗へと視線を落とし、両親だけでなく、他の人魚達からも聞いた話を思い出す。


「私達の鱗は高く売買されているって話だし、これも伝承だから本当かどうかは知らないけど、東方の国では人魚の肉を食べた女性が不老不死になったって話もある」


 鱗は何かの拍子に剥がれることがある。その落ちた鱗は人間の装飾品として高く売り買いされているようだ。

 剥がれた箇所は少しすれば再生するため、さして重要視はしていなかったものの、それが無理やり剥がされれば相応に痛みは走る。挙げ句、肉を食べるともなれば殺される可能性もあるのだ。考えただけでぞっとする。

 すると、バンと一緒に大広間に入ってきたフィンが、相変わらず興味の薄そうな口調で言った。


「ま、エリィ姉さんは我慢できるかもしれないけど、リリィはねぇ……」

『うん。絶対、無理』

「え」


 フィンとバンのふたりに言われ、リリィはぴしりと固まる。まさか、そこまで信用がないとは思わなかった。


「あたしは反対も賛成もしないよ? でも、面倒なことになる前に、さっさと次の恋をすればいいんじゃない?」

「それって、結局は反対してるんじゃないの?」

「リリィの気持ちまでは否定しないって言ってるの」

「フィン姉様……」


 誰かを好きになれることは喜ばしいことだ。ただ、素直に喜んであげられないのは、やはり相手が人間であるということが大きい。

 フィンは小さく息を吐いて言葉を続けた。


「せめて、相手がどんな人かあたし達も見られたら、一応は安心できるんだけどねー」

「そんな都合良くは――」

「みーんなー! 聞いて聞いてー!」

「どうしたの? アティ」


 呆れの色を滲ませたティナの言葉を遮り、大広間に新たに飛び込んできたのは、セミロングの金髪に桃色の鱗を持つ四女のアティだった。

 彼女は室内の空気に気づくことなく、どこか興奮した様子で言う。


「すごいよ! おっきな船がすぐ近くを通ってるの! それもかなりの数!」

「船くらいよく通ってるでしょう?」

「違う違う! なんか、重そうな格好の人がいっぱいいたり、武器みたいなの積んでるよ」

「うわぁ、よくそんな危ない船の近くに行ったね」


 アティもリリィと同じく好奇心旺盛だが、彼女の場合は警戒心や恐怖心というものがないのか、気になればとことん追究する節がある。

 フィンが関心と呆れの混じる目をアティに向ければ、彼女は何故か「すごいでしょ」と胸を張った。

 ただ、リリィはキースを呼んでいた人の言葉を思い出した。


「……そういえば、あの人も船の準備ができたって呼ばれてた」

「あら。じゃあ、ちょうどいいかもしれないわね。見に行ってみましょうよ。もしかしたら、その人も船に乗っているかも」

「けど、船なんでしょう? そう簡単に姿を見られるかしら……?」

「運良く縁にいてくれたらいいけれど、見に行くだけでも、ね?」


 渋るティナにエリィが説得を試みる。

 人間に見つかれば、それこそ厄介なことを起こしかねない。ここは姉として、彼女達を止めるのが正解だ。

 だが、首を振ろうとしたティナの気持ちを見越してか、今まで口を挟まなかったバンが言った。


『ティナ。一緒に見に行ったほうがいいかもよ? 知らない内に皆だけで飛び出していっても大変だし、それなら冷静に止めることのできる人が一緒じゃないと』

「うっ……」


 今度はティナが言葉に詰まる番だった。

 エリィは「バンちゃん、ナイスフォローね」と、ティナの視界に入らないように小さくガッツポーズをした。

 深い溜め息を吐いたティナは、これ以上は反対するだけ無駄だと思い、リリィに向き直る。


「今回だけよ? あと、あくまでも見るだけ。人間には見つからないようにね?」

「っ、ありがとう! ティナ姉様!」


 嬉しさのあまりティナに飛びつけば、彼女はリリィの頭を撫でてやりながら困ったように破顔した。

 エリィも二人を見て満足げに頷いた後、隣にいたフィンに言った。


「そうと決まれば早く行かないとね」

「え? 待って。あたしも行くの?」


 フィンはリリィの色恋にさほど文句はない。そのため、見に行く必要もないと思っていたのだ。

 てっきり、見に行くのは自分以外の四人だけだと思っていたが、いつの間にかフィンも頭数に入っていたらしい。

 きょとんとするフィンの腕に、エリィは逃がすまいと自身の腕を絡めた。


「旅は道連れ、世は情けってねー」

「旅じゃないし、あたしはどっちでも――」

「いいなら行きましょう? 姉妹で一人だけ置いていくのもなんだかねぇ?」


 曖昧な理由で連れ出すくらいなら放っておいてほしいものだが、彼女の言葉にも一理ある。どちらでもいいのなら、断る理由もないということだ。

 乗り気ではなかったフィンも、ついに観念した。


「……はぁ。分かった。行けばいいんでしょ、行けば」

「ふふっ。ありがとう」

「アティ、場所は覚えてる?」

「もちろん! ついてきて!」


 ティナの問いに頷いたアティは、無邪気に頷いてみせると、身を翻して大広間を出て行く。

 その後を、四人と一頭も見失わないように追った。

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