第2話 恋路を邪魔する者は
古来より、人間と魔族は対立していた。
切っ掛けはどちらからだったか、最も古いとされる文献にすら記されていない。
ただ、絶大な魔力を持ってして人間を翻弄する魔王率いる魔族は、ある一定の期間を開けて、まるで公平を期すかのように現れる『勇者』や『騎士』と呼ばれる者達によって倒されている。
そして、前魔王が勇者とその仲間によって倒されて約百数十年。
新たな『魔王』が玉座についていた。
北にある大海に背を向け、高い崖の上に建つ魔王城。
城の正面は人間達の住む大陸と繋がっているものの、無数の魔王配下の魔族が息を潜めているため、人間は不用意に近づけなかった。
草木もほとんど生えず、枯れたものが目立つ大地には、所々に人骨らしき物や錆びて本来の鋭さを失った武器も落ちている。
そんな僻地にある魔王城の一室で、新魔王は窓辺に立ち、海を横目に思案に耽っていた。
「魔王」という印象には程遠い整った顔立ちは魔族の中でも随一とされ、言い寄る魔族の女性も数知れず。その分、泣かせた数も多いのは魔族の間では有名だった。
先代を上回る圧倒的な魔力を持つ故か配下の魔族にも畏敬の念を抱かれ、何も困ることなどなかったというのに、今の彼にはある悩み事があった。それも、つい数時間ほど前にできたものが。
(まさか、この俺が戸惑う日がくるとはな……)
考えがうまく纏まらず、小さく息を吐く。
強大な力で他を圧倒し、今度こそ人間を滅ぼさんと突き進んでいたのに、まさかの障害だ。
すると、開けたままの窓から黒い梟が入り込み、部屋の中央で宙返りを披露すると黒い靄を纏った。それが晴れた頃には、黒いローブで全身を隠し、フードを目深に被った小柄な人物がいた。
「オズ様。やはり、人間どもは城の裏にある海から攻め入る気のようです。先ほど、港にあった船の行き先はこの城であるとの報告が入りました」
声変わり前の少年のような声がフードの奥から聞こえる。
彼はつい先ほどまで、魔王である目の前の青年――オズワルドと共に人間の様子を観察しに行っていた。良からぬ噂を配下の魔族から聞いたためだ。
勿論、オズ自らが出向くようなものではないため、当初の予定では黒梟となれる少年が一人で向かうはずだった。
だが、何を思ったか彼は「俺も行こう」と言って、半ば強制的に黒梟と行動を共にしたのだ。
少年の報告を聞いてか、オズはどこか心ここにあらずといった様子で呟いた。
「さて、どうするべきか……」
「ご心配される必要はないかと。ここは崖の上でもあります。つまり、城の裏ともなれば崖を登る必要がありますから、そう易々とは侵入されないでしょう」
近年では人間側にも魔力を有し、魔術を扱う『魔導師』なる者がいると報告はあったが、所詮は人間だ。体内に魔力を蓄積することはできても、その量は魔族に比べると遙かに少ない。また、魔族のようにすぐに魔術を発動することはできず、発動までには時間が掛かる。
その隙を突いてしまえば、魔導師の力があったとしても崖を登ることすら叶わないだろう。
しかし、オズの顔色が晴れることはなく、深い溜め息を吐いた。
「まずは陸に上げてからか……」
「オズ様が直接手を下すまでもありません。陸に上げずとも、海に棲む魔族に命じれば良いのですから」
「いや、俺の手でやらなければ意味がない」
「……!」
まさか、ここまで人間を強く憎み、魔族での統治を早急に進めようとしているとは思わず、少年は感動にも似た感情を覚えた。
だが、それはオズ自身の発言によってあっさりと崩されたが。
「何しろ、我が妻になる者だ。他の者が触れるなど、考えただけで虫酸が走る」
(ああ……そっちか……)
勝手に苛立って魔力を滲ませるオズに、少年は呆れてひっそりと溜め息を吐いた。せっかくの感動を返してほしい。
先ほどの視察の際、確かに彼は偶然見つけた人魚の少女を気に入っていた。ただ、手に入れようと動くのは全てが片付いてからだと思った。
だが、彼の中での優先順位はどうやら人魚が先のようだ。
「メルもあの歌声を聞いただろう」
「ええ、まぁ……。人魚を確認するため、時間を遡って聞きましたが……」
オズの肩にいた黒梟――メルヴィンも歌声を聞いている。ただ、メルが到着したときには既に人魚はいなかったため、魔術を使って過去を見聞きしたのだ。
しかし、歌声を美しいとは思えどそこまでだ。オズのように人魚を欲するまでもない。
そのせいで頷きながらも曖昧な口調になってしまったが、オズは特に気にすることなく言葉を続けた。
「こうも戦続きでは疲労も溜まるというものだ。魔族が癒しを求めても可笑しくはないだろう?」
「オズ様なら、何もせずとも寄ってくるではありませんか」
「あれらはそういう性分だ。一緒にするな」
「……申し訳ありません」
確かに、あからさまに近寄ってくるのは異性の精力を欲する魔族が殆どだ。中には次期魔王の母に、と権力を狙う者もいる。そういう女性は、大抵、顔を合わせるなり即座に追い返しているが。
だが、それはあの人魚も性格が分からない以上は違うとは言い切れない。それを口に出せばオズの逆鱗に触れる可能性があるため、何も言えなかったが。
どうしたものか、とメルがフードの奥で小さく息を吐いたとき、ふと、ある考えが浮かんだ。
オズが人魚を見つけたとき、あの人魚は誰を見ていたのか。歌っていたとき、誰が近くにいたのか。
目を閉じ、時間を遡って当時の様子を再び視る。
砂浜には、外見だけでいけばオズと近しい年齢の青年がいた。
「……オズ様。残念ながら、障害は他にもございます」
「なに?」
「あの人魚は、どうやら人間に心を奪われているようです」
告げた内容に嘘偽りはない。
歌声を褒めた青年を見つめる瞳には熱が籠もり、頬はやや紅潮している。極めつけは小さく呟いた「素敵」という言葉。
「な、んだと……?」
「人魚をこちらに引き込むより、先に人間を始末してしまわなければ、下手をすると伝承のように人間の元に行ってしまうかもしれません」
「伝承?」
オズはあまり伝承などの物語には詳しくない。字の読み書きなどはできるが、長い文章を読むことは好んでしなかったからだ。
目を瞬かせるオズに、知識が豊富であるメルは手短に説明した。
「遙か昔の、ある人魚の話です。人間に恋をし、人間に会うため、『海の魔女』から声と引き替えに人間の足を貰った人魚は陸に上がったという」
「そんな魔術、聞いたことがないぞ」
「だからこその伝承でもあります。ですが、伝承に出てくる『海の魔女』は存在します」
「…………」
海の魔女の話はオズも亡き両親から聞いている。彼女は厄介な性分をしているため、あまり関わらないほうがいいと。
万が一、その魔女が伝承の魔術を知っていたとしたら。あの人魚が伝承のように魔女に会いに行き、人間の足を授かったとしたら。
考え込むように口元に手を当てていたオズは、本気であるのか真剣な顔で言った。
「海の魔女を消すか」
「いや、違うでしょう」
まさかそちらに矛先が向かうとは思わず、即座に突っ込みを入れてしまった。
オズの眉間に皺が寄ったのを見て、メルは咳払いをして誤魔化した後、本来狙うべき敵を言う。
「先に始末をするのは人間です。海の魔女など後でもよろしいでしょう」
「だが、彼女が先に海の魔女に会ってしまえば、取り返しのつかないことになりかねない」
「…………」
この魔王はこんなにも心配性だっただろうか。
メルはオズの見方を変える必要があるかもしれないと思いつつ、彼が人間との戦いに意識を向けてくれるにはどう言うべきかと言葉を探す。
「……では、海の魔女に関しては、海に棲む配下に任せて――」
「まっ、魔王様! 大変ですっ!」
なんとかオズの意識を人間との戦に向けようとしたとき、慌ただしく部屋のドアが開かれた。
入ってきたのは配下の一種である「ゴブリン」の一人だ。
革の鎧を纏う体は黒の混じる深い緑色をしており、背丈は小柄なメルの半分ほどしかない。手足も細く、少し力を入れれば簡単に折れそうだ。
皺の多い醜い顔をしているために他種族からは嫌われがちだが、産まれた頃から知っているオズやメルは嫌悪感を抱くこともなく普通に接している。
ただ、メルはゴブリンの行動に苛立ちを滲ませた。
「魔王の御前であると分かっていながら、合図もなしに入るとは不躾な」
「メルヴィン様!? も、申し訳ありません……!」
「構わん。何事だ」
咎めるメルを制し、オズはゴブリンに向き直って訊ねた。
彼らは体格的にも戦闘向きではないため、どちらかと言えば城内の雑務や侵入者がいないかの見張りを行っている。その彼が慌てるともなれば、大きな問題があったに違いない。
すると、ゴブリンは未だ僅かな殺気を放つメルを気にしつつも恐る恐る報告をした。
「も、申し上げます。人間達が大勢乗った船が、出航したとのことです」
「如何致しますか? 着くまでには時間も掛かるでしょうが、早い内に沈めておいても損はないかと思いますが」
「ああ。ちらつかれても目障りだ。最も近い配下の者を向かわせるか」
視察の際にはまだ出航前だったが、オズ達が城に戻った後に出航したのだろう。ただ、海の中にもオズの配下は潜んでいるため、安全にここまで辿り着けるはずもない。
メルは船の場所を探るために再び目を閉じる。意識の中で上空を飛び、目的の船を探す。
纏まっていることもあるせいか、船はすぐに見つかった。さらに、甲板にいる複数の人間の中に見覚えのある姿を見つけて、メルはフードの奥で不敵に笑んだ。
これは好機、とゴブリンに指示を出していたオズに伝える。
「オズ様」
「なんだ?」
「一石二鳥とはこのことでしょうね。その船に、例の人魚が慕う人間が乗っております」
まさかの僥倖にオズも一瞬だけ固まった。
つまり、船さえ沈めてしまえば、人魚が慕う人間はいなくなる。また、向かってくる船の一団は魔族に特に牙を剥く人間達だ。それを片付けてしまえば、しばらくは人間も刃向かってこないだろう。
どうされますか? と問うメルに、オズはにやりと笑みを浮かべた。
選択肢は一つだけだ。
「配下にやらせるのは勿体ない」
胸元にある青紫色の石が一層強い輝きを放った。
直後、オズを中心として渦を巻いた魔力の風に、ゴブリンは小さく悲鳴を上げて後ずさる。
「邪魔な虫には、海の藻屑となってもらおう」
城の上空に発生した黒雲は、徐々に海の方へと広がっていった。
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