夏の私は、衝動物である。
まだまだ冬は終わらないと思っていたのが、嘘のように。
春を十分に満喫する前に。もう夏のような陽気が、今日の私をうんざりさせた。
だから見てしまったのだ『ゴーストインザシェル』を。
映像がとってもきれいで、世界観というか雑多な街並みが、私の心を思いっきり鷲掴んだ。…北野武は、すごく馴染んでいて、それもよかった。アウトレイジを見て以来、心の読めない親玉という印象がすごい強いのだ。
さて、そんなことをダラダラ考えているうちに、いつものバー『こぴー』にやってきた。
4月14日金曜日、23時30分。
赤レンガのシックな外観。ツタが蠢いているホラーなムード。観音開きの重厚な扉。ここが、私のいきつけのキャッチコピーを楽しむバーである。
丸いメガネとちょび髭がトレードマークのマスターが切り盛りしている、少し不思議な空間で、日々キャッチコピーの世界を冒険している…みたいな。
今日は一週間で最後の日。どんなキャッチコピーが待っているのだろうか。
私は期待に胸を膨らませて、コトバの世界に足を踏み入れる。
『夏の私は、衝動物である。』岩崎俊一 西武百貨店
入った途端、目の前にいつものボードが現れて、びっくりした。
「じゃ~ん、どうです?今日のコピーは?」
驚いた私の顔を楽しそうに見ながら話しかけてくるのは、このお店のマスターだ。
「…今日はいつもとちがうんですね?」
「そりゃあ、毎日同じように紹介していたら、眠くなってしまいません?」
マスターはボードを小脇に挟んで、カウンターの奥へ戻っていく。
店内は5席だけカウンターの前にある、とても小さな造り。オレンジ色のランプが優しく包んでくれている。
私は真ん中の席に陣取って、両肘をカウンターの上に置いて一呼吸開ける。
「で、今日はなんでどっきりみたいな感じにしたんです?」
「ふふっ、よくぞ聞いてくれました」
少し、胸を張って、マスターは言葉を続ける。
「今日のコピーには、”夏”のような勢いが欲しいなと思いまして」
「”夏”?」
「ええ、そうです、そうです。もう一度このコピーを見てください」
マスターはカウンターにあのボードをちょこんと置いた。
もう一度、左から右へと視線を移す。
『夏の私は、衝動物である』
「…よく意味が分からないんですが…」
「えぇ~。ほら、よく見てくださいよ!”衝動”ってあるじゃないですか?」
「ありますけど…」
「衝動的な感じを出したくて、つい悪戯を…アッ」
なるほど、よくわかった。
時々、このマスターは私に対してちょっかいをかけてくる。
おそらく、今日もこのキャッチコピーを眺めていて、どうにかイタズラできないか考えた挙句、なんともオチのない展開になってしまったのだろう。
でも、まあいい。なぜなら今日は金曜日だから。金曜日の私は、天使よりも慈愛に満ちている。それに映画も見てきて、心にゆとりがあるのじゃ。
「この衝動物って面白いですね」
私がポツリを呟くと、今まで顔を赤らめてメガネの縁をいじっていたマスターの目の色が急に変わった。
ふふ、こっちも大体扱い方が見えてきた。
「小動物じゃないですよ?衝動物ですよ?」
「分かってますって」
「じゃあ、衝動物ってなんだと思いますか?」
う~ん、衝動って書いてあるのだから、きっと心がぐわ~っと動くような感じの動物のはず。
でも、それじゃあ意味が分からない…ような。
衝動的に、のように衝動がつく言葉って…。
あっ!
「衝動買いだっ!」
「おおっ!今日は早く見つかりましたね」
マスターは嬉しそうに目を細める。
「じゃあ衝動物だと?」
「たぶん、衝動的に買い物をしちゃう人ってことですよね?」
ふふっと笑ってきた。
最近分かってきたことだけれど、このお店には明確な答えはないのだ。だからマスターも私”なり”の答えを見つけると嬉しそうに笑ってくれるが、一つだけの固まった答えを提示しない。10人いたら10人の答えというか、キャッチコピーの読み方があるよ、ということをやんわりと教えてくれている気がする。
「それに、夏って買い物をしたくなる気がします」
「そうなのですか?」
「海とか、ディズニーとか、遊びに行くんだったら、準備にもお金かけちゃいますもん!」
「なるほど!それに、行った先でも買い物しますしね?」
鼻息荒く私はうなずいた。
なんだろ!今まで言葉にはなかったのだけれど、気持ちのなかにはぐにゅぐにゃとしてあった物体を、ようやく見つけることができたみたいな、この変な気持ち。
「ふふ、それがコピーの面白いところですよね」
!?
私の心が、読まれたの?
―と、目を見開いた途端、チチチチという音が鳴り響いた。
「あ、今日も時間になってしまいましたね」
マスターはそう言って、カウンターから出てきた。
さっきのことは、とりあえず気のせいにしておこうと思い、私も立ち上がる。
「次は月曜日ですね」
私が訪ねると、にっこり笑って小さくうなずいてくれた。
4月の夜は温かい。そして岩崎さんのキャッチコピーも温かかった。
…夏とは言わず、春もなんだかんだでプチ衝動物な気がするのだけれど。
というか、世の女子はみな、プチ衝動物な気がする。かわいい小動物だと思ったらヤケドするぜえ。なんてことを思いながら、気づけば家の前だった。
今日の一行は
『夏の私は、衝動物である。』 岩崎俊一 西武百貨店
23時30分のキャッチコピー 鎌田玄 @kenken-smile
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