幸福は、ごはんが炊かれる場所にある。

ようやく一日が終わった…。

なぜ月曜日はこんなにも長く感じるのだろう…。

4月10日月曜日、仕事が終わったのは数十分前…。

いや、だめだ!そう思い込んでいるとフシアワセ成分が脳内を占領し始めてしまうんだッ!

大丈夫、今日もここに来て、気持ちリフレッシュするんだ。

と思いながら、最寄り駅近くにあるバー『こぴー』へとやってきた。

足取りは重いけれど、なぜか直帰しようと思わないのが不思議な気分。

このバーはキャッチコピーを提供する不思議なバーだ。

その外観も独特で、赤いレンガ造りのレトロな洋館を、緑色のツタが包んでいる。

…包んでいるというより絡まっている?

このバーで、色々なキャッチコピーを嗜むのが最近の私のブーム…になりつつある今日この頃。

さあ、キャッチコピーの世界へ参りましょう。


「うわっ!」

入店するなり、真っ白い湯気が私の顔を包んだ。

温かいというよりかなり熱い。しかも水気も多い。肌の表面に小粒の水たまりが出来てしまうほどに。

「いらっしゃいませ」

湯気の奥からいつものハスキーな声が聞こえてきた。

この声の主はマスター…丸いメガネとちょび髭がトレードマークのおじさんのはず。

「今日はどうしたんですか?」

私は湯気を掻き分け、カウンターへ向かう。

どうやらカウンターの奥が湯気の発信源らしい。

5しかない席の真ん中に陣取って、奥の方を覗いてみる。

すると、そこには業務用の大きな炊飯ジャーが置かれていた。

その隣にはマスターが笑って、私を見ている…?メガネが曇っていてこっちは見えないはずなのに。

「いやはや、お恥ずかしいところを見られてしまいました…」

メガネを取って、拭きながら、私の前までやってくるマスター。

「どうしたんですか?急にごはんなんて炊いちゃって」

「ふふ、今日のコピーを実感してもらうために、用意したんですよ…」

少し胸を張って自慢げに話している感じがする。

どういうことなのかさっぱりな私。だって今までは、頭の中で考えることはあっても、リアルに実感することはなかったから…。

と、マスターの手元にはいつの間にかボードがあった。

このボードに今日のおすすめキャッチコピーが書かれているのだ。うんうん、これはいつも通り。少しだけ調子が戻ってきた。

モクモクの湯気を手で払って、文字に目を走らせる。

『幸福は、ごはんが炊かれる場所にある』

「あ!これ知ってますよ!」

「本当ですか?」

「はい!たしかお弁当屋さんのCMで見ました!」

「おお、よくご存じで。そうなんですよ、このコピーはほっともっとで使われたコピーですね」

嬉しそうに説明してくれる。本当にこの人はコピーが好きらしい。

「…ということは、このキャッチコピーのためにご飯を炊いたんですか…?」

おそるおそる聞いてみる私。

「ええ、もちろん」

当然の結果だ。

「うわあ…」

そして私の反応も相当だった。少しドン引き…いやドン引いているのに少しも多くもないけれど…した私の反応に、少しシュンとしてしまったマスター。

「…そうですよね…今日も来るかと思ってごはんを炊いて、このコピーの世界観を出そうと思って」

ポトとボードをカウンターに置き、奥の方に引っ込んでしまった。

ちょっと罪悪感があったけれど、まあいつもやられているから、まあいっか。

私はカウンターに寂しく置かれたボードを手に取りまじまじとキャッチコピーを読み直す。

『幸福は、ごはんが炊かれる場所にある。』

なんか、とっても温かい。

それに、『ごはん』の文字がすごく印象的だ。

『幸福』という漢字。『炊』という漢字。『場所』という漢字。

その真ん中に『ごはん』とあって、目にするっと入ってきたような気がした…。

なんでこんなにあったかい気持ちになるんだろう…。

まじまじとキャッチコピーを見ていたせいで、マスターが戻ってきていたのに気づけなかった。

「おーい、大丈夫ですか?」

「は!」

マスターはニヤッと笑って

「相当、良かったみたいですね」

と言ってきた。

確かに、相当よかったから仕方がないじゃないか!

先週までのキャッチコピーは新しい発見が多かったのだけれど、今日のキャッチコピーは私にとって再発見な気がした。なんか、こういう幸せを昔は毎日感じていたなあ…と思いながら味わっていたら、こうトリップしてしまったのだ。

「そして、今回の極め付けは…これです」

マスターの手元には真っ白い塩むすびがちょこんと乗ったお皿があった。

「のりはいります?」

「え、ええ、だ、大丈夫です!」

私は両手でそのお皿を恭しく受け取る。

おむすびからは真っ白い湯気がもくもくと溢れ返っている。なんというか、すんごい幸せな感じがする。

「キャッチコピー、まんまですね!」

そう言って思い切りほおばった。お米の粒粒が、ぐちゅとつぶれるたびに、幸せゲージがみるみる上昇していっている!

「お気に召したようでよかったです。コピーを味わってみるっていうのはどうです?」

マスターはそういいながら、一口パクリとおむすびをほおばった。

う~んと頬を赤らめながら、味を噛みしめている。

「まさか本当に味わうなんて思いませんでした!」

私のおむすびは、もう胃袋に仕舞われてしまった。

久々に幸せ幸せと思いながら食べた気がする。

「そうですか…それはよかったです」

にっこりと笑う…あ、そういえば湯気がいつのまにかなくなっていた。

そこにチチチチという音が鳴り響く。

「ああ、今日も時間になっちゃいましたね」

少し寂しそうにマスターが口を開いた。

私もちょっと寂しいけれど、今日はとってもおいしかったから、まあいいか。

いつものようにマスターがカウンターから出てきて、扉を開けてくれる。

誘われるように私は外に出る。

「今日のコピーは岩崎俊一さんという方が書かれたコピーなんです」

「岩崎俊一さん?」

「ええ、私の大好きなコピーライターさんです…今週はおそらく岩崎さんのコピーがたくさんあると思うので楽しみにしてくださいね」

そう言って、マスターはゆっくりと扉を閉めた。

そういえば、今まで書いた人のことを意識したことなんてなかったなあ。

明日も、こんなあったかい気持ちになれるのかもって思うと楽しくなってくる。

今日のキャッチコピーは

『幸福は、ごはんが炊かれる場所にある。』

意外と幸福は近いところにいるんだなあと思った、4月10日月曜日。

まさか、炊きたての塩むすびが、あれほどまでに強烈だとは思わなかったなあ…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る