ダイエットにいちばん効くのは、着たい服です。
今日は金曜日である。
俗にいう花の金曜日だ。
そう明日からは二連休。私は足取り軽やかに、バー『こぴー』に向かっていた。
バー『こぴー』とは、お酒の代わりにキャッチコピーを楽しむ場所だ。
といっても私がいつも営業時間後に行くから、キャッチコピーだけなんだけど…。
赤れんが作りのレトロな建物に、甲子園球場みたいなツタがぐるぐる巻きになっているこの外観。今週から通い始め、ようやく慣れてきた。
さあ、今日もキャッチコピーの世界を堪能しよう。
「いらっしゃいませ」
店内は意外と狭い。
カウンターの席が5つだけ。オレンジ色のランプが店内を温かく包んでいる。
カウンターの奥にはマスターが、いつものようにグラスを磨いている。
丸い縁のメガネと鼻の下のちょび髭が可愛らしい、50代くらいのおじさんだ。
「今日もコピーの世界へようこそ」
マスターはそう言って、私を真ん中の席に誘ってくれる。
「やっと一週間が終わりましたー!」
少しノビをしてから、座席に腰かける。
「今日は金曜日でしたね。一週間お疲れさまでした」
「いやいやいやいや、こちらこそ毎日来て、ごめんなさい…」
「別にいいんですよ、それに…コピーを好きになってもらえるなんて素敵なことじゃないですか」
二コリと笑って、グラスを磨く手を止める。
そして、カウンターの裏にマスターは消え、いつものボードを用意するのだ。
「さあ今日のコピーは、これですね」
マスターがカウンターからひょこっと顔を出し、次にボードをちょこんとカウンターに置く。
そのボードに書かれていたのは―。
『ダイエットにいちばん効くのは、着たい服です。』
…なんていえばいいのだろうか…。
一気に低気圧が吹き込む私の顔を見て、マスターはにやりと笑った。
「ほら…お花見シーズンで、もしかしたら、と思いまして」
やっぱりそうだ…どうやら遠まわしに「太ったね」と言いたいらしい。
「べ、べつに太ってませんし…」
少し震え声になりながらも、小さく抵抗を試みる。
「さあ、今日のコピーは、どんなイメージを抱きましたか?」
私の小さなレジスタンスはあっさりとスルーされてしまう。
きー!
「…くそっ、って思いました」
「それはなぜ?」
「遠巻きに太ったって言われたような気がして…」
「…ぷぷ」
今日のマスターも絶好調だ。出会ってまだ一週間たっていないけれど、なんというか彼のペースに毎回飲まれている気がする。
「他には他には?」
「ええと…でもダイエットって、普通サプリとか、あとはきつい運動とかをイメージするのに、服ってきてびっくりしました」
目を細めて満足そうに頷きながら耳を傾けるその表情は、いつも思うけれど、なんかずるい。
「確かにダイエットって、サプリメントやライザップみたいな激しい運動を連想しますよね」
「そうなんですけど…こう『服』って言われて、ああなるほどって思っちゃいました」
「なんでです?」
「いや、確かに着たい服のためだったら、ダイエット頑張るかもって思っちゃったから…」
「おおっ!ということは、今まではダイエットって聞くと、きついとかつらいとか、マイナスなイメージを抱いていましたか?」
…そう、その通りだ。だからこそ、最近わがままボディになりつつあるような気がするような、しないような、いやでもするような…。
「このコピーの面白いところって、まさにその部分ですよね」
マスターはそう言いながら、ボードの文字をコツコツと叩いた。
『着たい服です。』という部分が少しかすれる。
「もしかしたら、そこが彼氏になるかもしれませんし、海のようなレジャースポットになるかもしれません」
「あ…確かに…それもありかも」
「何が面白いかって、ダイエットの目標は痩せることだと思い込んでいるのを、壊しているのが面白い…と私は考えています」
少し熱が入って語気が荒くなってしまったのを恥じるかのように、マスターは小さく咳払いをした。
と、そこにチチチチの音。
「あらまあ、今日も時間になってしまいましたね」
この音はもう終わりですよの合図だ。
私の後ろに立っている、大きな古い時計が教えてくれている。
「確かに…ダイエットの目標って普通は痩せることしか頭にないですもん」
席を立って、出口へと向かう。
マスターはカウンターから出てきて、いつものように扉を開けてくれた。
「でもその一歩先の目標って、着たい服とか行きたい場所とか、好きな人とか、そういうものですもんね」
「私もそう思います」
外には星空がキラキラと輝いている。
「あ、そういえば。当店は土曜日と日曜日はお休みですので…」
「そうなんですか!分かりました、じゃあまた月曜日に来ます!」
「たまには、早めに来ても構いませんよ」
そう言って、扉がゆっくりと閉められた。
小さく「おやすみなさい」の声が漏れる。
そうか、今週はもうおしまいかあ。
とりあえず、『ダイエットにいちばん効くのは、着たい服です。』を噛みしめて土日を過ごすことにしようかなあ…。
でも、とりあえず、私はまず『いちばん効く』ものを探すことから始めないとなあ…。
うう~ん、面倒くさい…。
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