最初に脱ぐ服。最後に着る服。
桜満開。もう春が来た感じがする今日この頃。
キャッチコピーを楽しむバー『こぴー』に向かう道のりにも桜の木があった。
夜の暗闇の中、蛍光灯に照らされた、あの黒と薄い桃色の間の曖昧なグラデーションが、最近の私のお気に入りだ。
さてさて、今日もキャッチコピーを楽しもう。
いつものように、洗濯板みたいな扉を開け、ヒトコトの世界に潜入する。
『最初に脱ぐ服。最後に着る服。』
「-ってなんだと思いますか?」
お店に入るなり、このバーのマスターに問いかけられた。
「は、はあ…?」
私は少し困惑しながら、コートを脱ぎ椅子にかける。
そして5つしかないカウンターの席の真ん中にちょこんと座るのだ。
「今日は唐突にどうしたんですか?」
このマスターこそ、私をキャッチコピーの世界へ誘った、二足歩行で歩くウサギのような存在だ。(ということは私はアリスということになるのかしらん)
丸い縁のメガネと鼻の下のちょび髭が可愛らしい50代くらいのおじさん。
いつもは静かにグラスを磨いているのに。
「たまには違うようなテイストもあったほうが面白いかと思って」
カウンターの奥にいるマスターは、いつものボードを持っている。
そのボードには
『最初に脱ぐ服。最後に着る服。』
と書かれている。
服を脱ぐと言ったら…いつなのだろう?
「さあ、今日も楽しいキャッチコピーの世界にようこそ」
マスターは私の悩む顔が大層お気に入りのようだ。
「最初に脱ぐときってお風呂のことですよね?」
ニコニコしているが、返答はない。
「じゃあ上着かな…」
「あれ、でもズボンから脱ぐ人もいませんか?」
うぐ…確かに…。
じゃあ、最後に着る服の方から攻めてみるか…。
「最後に着るって…でもやっぱりズボンとか上着とか…」
「そうですか?着るって、服だけじゃないですよね?」
「あ!そうか、着るっていえば、手袋とかも一応着る…いや、違うような」
マスターはボードをカウンターに置き、グラスを磨き始める。
「確かにそうですよねえ。手袋なら”つける”、帽子なら”かぶる”、眼鏡なら”かける”」
「ええっと、じゃあカーディガンとかは!」
少し磨く手を止めて、思案するマスター。
考えている時は視線が上にいくのか…今日も新しい発見があった。
「”羽織る”とか”かける”じゃないですか?」
「ぐぬぬ…確かにそうかも…」
「ふふ、灯台下暗しって本当ですよね~」
グラスを全て磨きおえたのか、今度はカウンターを拭き始めた。
目線を追ってみる…私の隣の席?
でも誰もいないハズ。だって今日も、お店が閉まったあとに来ているんだから。
と、少し疑いながら目をやると―。
「あ!そうか!」
「分かりました?」
なるほど、確かに『最初に脱ぐ服。最後に着る服。』だ。
「コートですね?」
「ご名答!」
パチンと指をならして、正解ということをほめてくれる。
この、悩んだ末に答えが分かった時の快感が、結構好き。
…ただ、次回こそは自力で見つけたい…ぐぬぬ。
「でも、コートをこんな風に見たことはなかったです」
「こんな風とは?」
「えっと、着る動作と脱ぐ動作で見る…みたいな。だってコートは着ている時が一番長いですもの」
隣にかけてあるコートを撫でながら、話す私。
「確かにそうですよね。でも、もしかしたらコートを一番最後に脱ぐひとがいたりして…」
「は、はあ…」
いやいや、コートをどうやって最後に脱ぐんだろう…?
そんなの変態の所業でしょう!?
と自問自答していると、チチチチという音がなった。
「マスター、この音って?」
「ああ、これはあれですね」
そういって、私の後ろを指さす。そこにはいつもの古びた時計があった。
「23時50分を回ると音がなるんですよ…今までは壊れていたもので…」
「え!もうそんな時間ですか!」
少し名残惜しいけれど、無理して話しをしてもらっているから仕方ない。
私は今日の主役のコートを優しく掴み、そして羽織る。
「最後に着る服…というより最初に着る服ですよね」
マスターは少し笑いながら、カウンターから出てくる。
「確かにそうかも…ごはんとか行ったら、最初とか最後とか関係ないですもんね。コートだけだし…」
「ということは、私たちは最初から、おうちにいるときをイメージしていたんですね。ほら朝いってきますの着るときと、夜ただいまの脱ぐとき」
「は!確かに…『最初に脱ぐ服。最後に着る服。』しか書いていないのに…」
恐るべきキャッチコピー…。
マスターが優しく扉を開いて、私を通してくれる。
「では、おやすみなさい。あ、そうだ『最初に着る服。最後に脱ぐ服。』だと何を考えますか?」
そう言って扉を閉めた。
う~ん…ってこれってまさか!?
セクハラですよ!と言いたいけれど、もう24時。
仕方ない…覚えていたら文句を言ってやろう。
『最初に脱ぐ服。最後に着る服』…面白かったなあ。
あれ、なんで先に脱ぐを持ってきたんだろう…?
『最後に着る服。最初に脱ぐ服』だと、何が違うんだろう…。
そう思いながら、家についた6日の夜でした。
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