つまらない大人になりましょう
また来てしまった。
時刻はもちろん、23時30分。
昨日のキャッチコピーが面白かったから、もっと知りたくなったのだ…。
なんでこんな時間なのかって?それは…ほら…この時間なら誰にも邪魔されずにキャッチコピーを楽しめるから。
今日も、あの甲子園球場みたいなツルに覆われたバー『こぴー』の板チョコみたいな扉を開ける。
「いらっしゃいま―また来てくださったのですね?」
50代くらいの、丸いメガネとちょび髭が可愛らしいマスターが昨日と同じくグラスを磨いていた。
「今日も来ちゃいました」
私は昨日と同じ席に座り、コートを脱ぐ。春が来たはずなのだけれど、寒い日と温かい日が気まぐれに来て、本当に面倒くさい。
しかも夜はすこし寒いから、コートが手放せないでいる。
「では、今日もオススメのコピーを楽しんでいってください」
私がキャッチコピーに興味を持ってくれたのが、余程嬉しいらしく、マスターの頬が少し紅潮している。
「今日のコピー…は、え~と、これですね」
マスターは昨日と同じく、カウンターの裏に消えた。
ここはバー『こぴー』。
お酒の代わりにキャッチコピーを楽しむ場所だ。といっても、私が営業時間外に来るから、お酒の代わりなのだけれど…。
まあ、楽しいからいっか。
と、マスターが顔を出した。すこし意地悪そうな目つきで、私を見てくる。
「今日はなぞなぞを楽しんでもらいましょう」
「なぞなぞって?」
「コピーの面白い楽しみ方ですよ」
そう言ってマスターはカウンターにボードを置いた。
『つまらない大人になりましょう』
「このコピー…どんな商品を紹介するコピーだと思いますか?」
マスターがにやにやしながら聞いてくる。
「え?商品?」
「そうです。コピーはもともと広告です。広告とは商品を広く知らせることですから…。このコピーにも何かしらの商品を広告をしているはずですよ」
困った。どういうことか分からない。
『つまらない大人になりましょう』
ああ、そうですか。はいはい。つまらない大人にはなりたくないですよ、私は。
…で?
つまらない大人になりたくないのに、”なりましょう”って!
「マスター…私はつまらない大人にはなりたくないです」
「…そうですか?でも今の顔はつまらない大人の顔でしたよ?」
マスターは嬉しそうに話しかける。
うっ、確かに少ししかめっ面だったかも…。それこそ、「今の若いもんはこれだから…」とか言ってくる、あのつまらない上司と同じ顔だったのかも。
「う~ん、つまらない大人になりたい人っているんでしょうか?」
「そりゃたくさんいると思いますよ」
「でも”つまらない”ですよ。どうせだったら面白いほうがいいじゃないですか」
マスターは目をつぶって頷きながら私の話を聞き、聞き終えると、ボードの余白にペンを走らせた。
「じゃあ、『おもしろい大人になりましょう』というコピーはどうです?」
余白部分に『おもしろい大人になりましょう』と書き、( ̄ー ̄)ニヤリと笑って質問するマスター。
私は考え込んでしまう。顎に手を当て、カウンターテーブルとにらめっこしながら、考える、考える、考える。
…おもしろい大人ってなんなんだろう。一気にキャッチコピーではない気がしてきた。
う~ん、どんな商品なのだろうか…。
あれ?今、”面白い”と考えていたけれど、マスターは”おもしろい”と書いた…。
そこまで思って、顔をはっと上げた。
「もしかして何か発見がありました?」
マスターは目を細めながら聞いてきた。
「はい、もしかしたら…”つまらない”という言葉を漢字にしたらどうですか?」
マスターは両手で大きな〇を作り、小さく「お見事」と言ってくれた。
「では、どんな漢字を当てはめますか?」
”つまらない”を漢字にすると…詰まらない。
「”詰まる”…え~と、ごんべんにきちです」
「おおっ!じゃあどんな商品でしょうか?」
「詰まらない大人になりましょう…だから」
大人になって詰まるものってなんだろうか?
言葉に詰まるのは…もっとボケてからだろうし…。
と、そこまで考えて、無常にも試合終了の合図が来てしまった。
「もう24時になりそうですね」
「うう…もう少しだったのに…」
「いや、でもとてもいいところまで来てましたよ」
マスターはそう言うと、小さく拍手をしてくれた。
シーンとした室内にパチパチと可愛い音が響く。
「…正解はなんでしょうか?」
さすがに答えを教えてくれないまま帰るわけにはいかなかった。
「答えは…そうですね、詰まると考えて、何が詰まると思いましたか?」
「言葉かなと思ったのですが…言葉につまるのは大人というよりも、おじいちゃんのような気がして」
マスターは目を輝かせて聞いてくる。
「ということは、大人という言葉でイメージしたのは30代くらいの若い人ですか?」
「…たぶん、そうです」
「面白いですねぇ…おじいちゃんも同じ大人のハズなのに…」
顎に手を当てて何度か頷くマスター。今日も楽しそうで何よりだ。
「-っといけないいけない。戻りますね。」
一つコホンとマスターは咳払いをした。
「この詰まるというのは…便のことです」
「べ、便!?」
「そうです、つまり”うんち”のことですね」
マスターはそう言うと、ボードを目の前に持ってきた。
『つまらない大人になりましょう』
「これは便秘に苦しまないという意味で”つまらない”という言葉が使われているんです」
「…そっか!」
「それで、この商品は何かというと…明治乳業のヨーグルトです。便秘改善を謳っているんですね」
私はそこで、マスターに白い目を浴びせた。
というか、仮に100歩譲って便秘が分かっても、ヨーグルトは分かるはずがないじゃろ!
「…ということで今日はどうでしたか?」
マスターは私の白い目をささっと受け流し、カウンターから出てきた。
「なんというかキャッチコピーって不思議です」
私はコートを羽織りながら、思ったことをそのまま言った。
マスターはニコニコと笑っている。
「つまらないって言われて、普通はなりたくないと思うのに…なりましょうって、そこも面白かったんですけど、まさか”つまらない”が、”便が詰まらない”とは思いませんでした」
「今日も楽しんでもらえてよかったです」
マスターが扉を開けてくれる。
私はお辞儀をして、『こぴー』から出た。
息を吐くと白い。
『つまらない大人になりましょう』
つまらなくて面白い大人になってやろう。そう思いながら、家路についた4月4日の夜だった。
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