第三十六話 残念としか言いようがない
「やぁやぁ司&美織、コングラッチュレーション!」
俺たちが記者会見の会場に現れるやいなや、外国人のひとりが席を立って歩み寄ってきた。
190センチほどの長身。
必要な箇所に必要な分だけの筋肉が付いた、陸上競技者みたいなアスリート体型。
黄金に輝く長い髪を後ろで無造作に縛り、碧玉のような爽やかな瞳と、ぴかぴかな白い歯を見せびらかすように大きく開いて、愛嬌を振りまいてくる。
常に落ち着き払った姿勢を崩さない海原アキラとはまるで逆なこの男――彼こそがプロゲーマーランク第1位、無双王者ことアルベルトだ。
「げっ、こっち来んな、アルベルト!」
近づいてくるアルベルトを見るなり、美織が逃げようと入ってきた入り口へと踵を返す。
が。
「あっはっはー! 追いかけっこなら負けませんよー!」
悠然と歩み寄ってくるアルベルトが突如身体を沈み込ませると、
唖然とする俺たちの横をすり抜けるついでに香住の身体を左腕に抱きしめ、そのまま美織をも後ろから押し倒して捕獲してしまった。
「ぐへっ!」
「た、助けてぇ」
そして背後から圧し乗られた美織がまるでカエルが潰されたような声を出し、左腕一本で見事にヘッドロックされた香住が助けを呼ぶ中、
「イエス! 見事に二人を確保しました! ミッションコンプリート!」
アルベルトは無邪気に喜ぶと、すかさず起き上がって美織と香住を抱きしめ、あろうことかふたりの頬に口づけをした。
「なっ!? 貴様、いきなり何をしやがるっ!?」
突然の出来事に呆然とするしかなかった俺だが、一気に我に帰って抗議する。
「はい? 何をするとは一体何のことです?」
「キスだ、キス! いきなりほっぺにチュっとか、ふざけんじゃねぇ!」
「オー、すみません。私とした事がついうっかり」
反省の言葉を口にしたアルベルトが、しかし唇を蛸みたいにすぼませる。
「私たちのように深い関係ならばほっぺなんて他人行儀なところではなく、唇にキッスすべきでした。あっはっは!」
「ぎゃー!」
迫り来るアルベルトの顔を、美織が自由になっていた左腕のショートフックで撃退する。
が、そのせいで自然とアルベルトの標的は美織から香住へと移った。
「おい、香住はそう見えて男だぞ!」
「もちろん知ってますよ。でも、大丈夫。私はバイですから問題ありません!」
そうかそれなら……ってアホか、ムチャクチャ問題あるわっ!
てか、アルベルトにがっしりと抱きしめられて逃げられない香住が必死にもがきながら、俺に視線で助けを求めているっ!
ここで助けなきゃ男が廃る……じゃなかった親友失格だ!
「いい加減にしやがれ! このクソ野郎!」
香住の小さな唇に、野郎の汚らわしい蛸口が接触しようとする寸前、俺の渾身のアッパーがヤツの首を突き上げる。
さすがにこれは効いたらしい。堪らずアルベルトは美織と香住を抱きしめる力を緩め、ふたりを開放した。
よっしゃ。やってやったぜ。親友と、ついでに天上天下唯我独尊娘を取り戻してやったぞ。
俺の目が黒いうちは俺の大切な親友たちに好き勝手なことをさせてたまるかよと、この機会にオリバーポーズなんかを取ってアピールしてみたりする。
「……フ、なかなかいいパンチをもってるじゃないですか、ミスターQB」
もっとも自分より遥かに背の低い俺のオリバーポーズなんて、アルベルトからすれば何の脅威にもならなかったらしい。
かち上げられた頭をぐいぐいと左右に回して調子を確かめると、余裕綽々な笑顔を浮かべながら俺を見下ろしてきた。
「たかだか世界ランク31位の虫けらと侮っていたものの、どうしてどうして、この私に手をあげるとはなかなか熱いハートを持っている」
「そりゃあどうも」
「そんなあなたが相手ならば明後日の決勝も個人的に楽しめたかもしれませんが……フフフ、それだけに残念としか言いようがないですね」
「は?」
それは一体どういう意味だ? と問い質す暇もなく、アルベルトが大人しく元いた壇上の椅子へと戻っていった。
「ふぅ、アルベルトさんのスキンシップ好きにも困ったもんだよねぇ。特に今日のは本当に危なかったよ。ありがとね、健太」
代わりに話しかけてきてくれた香住には悪いし、アルベルトとどういう関係なのか興味がなくもなかったが、それ以上にやはりさっきヤツが言い残した言葉が気になる。
俺は香住の俺にもうわの空で「ああ」とだけ答えると、壇上のアルベルトを睨みつけた。
記者会見はいたって普通のものだった。
準決勝を振り返ってのコメントと、決勝に向けての抱負というありきたりな質問に、こちらも無難に答える。
時折、アルベルトが美織や香住のコメントに茶々を入れることがあったが、基本的にはお互いの準決勝での戦いを讃え、決勝での健闘を誓い合うという平和そのものな記者会見だった。
「あ、うっかり。最後にこちらからひとつ、お知らせする事がありました」
そしてそのまま会見も終わろうとした矢先、アルベルトが突然挙手をしてマイクを握る。
「実は今日の準決勝が終わった後、マイケルが廊下で転び、足首を捻挫してしまいましてね」
突然のアルベルトの告白に、会場が俄かにざわめき始めた。
相手のマイケルっていう選手は『AOA』では珍しい車のような機体を操り、あのエイジを手玉に取った実力者だった。
「捻挫そのものは大したことありません。が、二日後の決勝に臨むにはさすがに不安がありまして。そこで我々はマイケルに代わり、急遽リザーブ選手を決勝で使うことを決めました!」
アルベルトのリザーブ選手への変更宣言に会場の記者たちからは「おおっー」と驚きの声が上がり、ついで今の段階での発表を賞賛する拍手が鳴り響いた。
リザーブ選手への変更は、試合開始一時間前までに申告すればいいことになっている。
だからたとえ早い段階でリザーブ選手への変更を考えていても、こんな二日も前に発表する必要なんてない。なんせそれまで相手は従来の選手を想定して作戦を組むわけで、ぎりぎりに発表すればするほど変更への対応が難しくなるからだ。
それでもアルベルトは敢えてこのタイミングで発表してきた。
それをアメリカチームのスポーツマンシップと記者たちは捉え、賛辞の拍手を送る。
が、同時にこの行為を拍手で褒め称えつつも、アメリカチームに見える俺たちへの驕りを感じとった記者たちも少なからずいたことだろう。
正直なところ、俺たちもそうだった。
だから次の瞬間、俺たちはそれがまるっきり違っていたことを思い知らされることになる。
「では紹介しましょう。明後日の決勝、私たちのチームに新たに加わり一緒に戦うことになるリザーブ選手、マックロソフト会長ヒル・ゲインツです!」
その名に一瞬、会場はシーンと静まり返った。
しかしそれもほんの一瞬のこと。
「なんだって!?」
「ヒル・ゲインツだって!? あのマックロソフト会長の!?」
「おいおい、ちょっと待てよ。ヒル・ゲインツと言えば『AOA』の製作者じゃないか!?」
「そんなのを選手として起用するなんて反則だろ!」
会場中から様々な言語で、おそらくはそんな意味だろうと思われる言葉が飛び交う。
さっきまで何の変哲もなかった記者会見が、この一言で一気に大鍋をひっくり返したような騒ぎとなった。
「ヘイ! ミスター・アルベルト。さすがにそれはルール違反じゃないか?」
記者の一人が声を張り上げて、アルベルトに問い質す。
「いいえ、大会規定には『AOA』開発関係者が参加してはならないという項目はどこにもありませんよ? だからヒルの参加も問題ないはずです」
「そうは言っても、開発者ともなればいくらでも『AOA』のデータを改竄出来るのではないか?」
「ノンノン。詳しくは企業秘密だそうで私も知りませんが、それが出来ないからこそルール上で開発関係者の参加が禁止されていないのだそうですよ。事実、日本チームにいるTRAP司もまた『AOA』の開発に関わっている人物ですし、彼が参加を認められてヒルが認められない理由などないでしょう?」
「なるほど。確かに今回は他の国からも開発関係者が何人か参加していましたね。では、少し違った方向からひとつ質問があります。ミスター・アルベルト、ヒル・ゲインツがリザーブ選手として出るのはいいとして、彼は貴方たちのチームに相応しいクオリティを持つ選手なのですか? 彼は少なくとも君たちのように若くはないが?」
「オー、その質問はあなた自ら『私は勉強不足の愚か者です』と言っているようなものですよ。ヒルはマックロソフトの会長であり、稀代のプログラマーであると当時に、天才的な才能を誇るゲーマーでもあるのです。かく言う私も、彼に才能を見い出され、その跡を継ぐよう教育されたようなものですから」
このアルベルトの言葉に会場が大きくどよめいた。
さっきは記者に勉強不足だとアルベルトは言ったが、ヒル・ゲインツが相当なゲーマーなのは、世間的にあまり知られていない。俺だって、ぱらいそのなっちゃんさんがヒルの奥さんだから、その関係で知ったぐらいだ。
「もちろん、私たちだけでも日本チームを倒し、栄えある優勝を手にする可能性は極めて高いと思います。ですが、百パーセントではありませんでした。しかし、今ならば自信をもって断言出来ます!」
アルベルトがまだざわつく会場の記者たちに向かって、その言葉を高らかに宣言しようと口を開く。
「我々は百パーセント優――」
「それはどうかしらね?」
だが、美織がアルベルトの勝利宣言を遮った。
しかも、ただ遮っただけではない。
「あっはっは。ホント、あんたたちって呆れるぐらい単純よね」
いいところで言葉を遮られ、さすがのアルベルトも呆気に取られているところへ、美織が侮辱の言葉を口にして笑い出した。
「ミス美織、それは一体どういう意味でしょう? いくら貴女といえど、我がユナイテッドステイツを馬鹿にすることは許しませんよ?」
「あはははは。ごめんね。でも、こうもこちらの思い通りのことをやってくると笑うしかないじゃないの」
「思い通り、ですか?」
「そうよ。あんたらがヒルを出してくるのは分かっていた。だからこそ本来なら禁止にして当然の『ゲーム開発者の参加』が認められているのでしょう? 大会が始まる前、用意周到に運営へ裏で手を回したりしてさ」
「ミス美織、憶測でいい加減なことをこれ以上口にするのなら、貴女を侮辱罪で告発することも出来るのをお忘れなく」
あのアルベルトの表情から笑顔が完全に消え去り、真剣な眼差しで美織を見つめる。
「ふん。まぁ、あんたらが裏で何をやっていたかなんてどうでもいいわ。大切なのは私達はあんたらがヒルを出してくると分かっていたこと。だから、こちらも対抗手段を用意してるのよ」
「対抗手段? あのヒル・ゲインツに相当する
「ええ。それもとびっきり凶暴なのがね」
「ほぅ、それはなんとも興味深い。確かに日本はゲーム大国ですしね。が、私が見たところ、この国で世界のトップに立てる超一流のゲーマーと呼べるのは海原アキラと、あなたぐらいなもの。他はまだまだ私やヒルのレベルには遠く及ばないと思いますが?」
アルベルトがはっきりと断言してみせる。
悔しいが、その通りだった。
「この際ですからはっきり言いましょう。ミス美織、明後日の勝敗は、残念ながらもうとっくの昔に決まっていたのですよ。そう、貴女が海原アキラと同じチームにならず、そこの虫けらゲーマーなんかとチームを組んだその時にね」
アルベルトが俺を見てかすかに嗤った。
その表情に俺はアルベルトの本心を見たような気がした。いつもの周りを意識したような作り笑顔ではない。誰だって心の奥底に抱いている、ドロドロとした醜い感情をそのまま表に出したような、醜い表情だった。
そんなアルベルトの言葉、そして垣間見せた醜い感情に、しかし、俺は何も言い返せない。
悔しいが、言っていることは正しかった。
もし美織が俺じゃなく、海原アキラとチームを組んでいたのなら、それこそ最強の日本チームが生まれていたことだろう。
それは紛れもない事実で、この瞬間にも同じことを嘆いている日本人だって大勢いるはずだ。
俺は何も言い返せない。
ただ、黙ってアルベルトを睨み返すしかない。
「ほっほっほ、これは言われてしもうたのぉ、九尾君や」
と、そこへどこからか老人の声が聞こえてきた。
聞き覚えがない……いや、かすかに記憶の片隅にある、どこかで聞いたような声……。
どこだっただろうと記憶の奥を彷徨うと、ふとずっと子供の頃を思い出した。
確か小学生になったばかりの頃だ。
何度も練習してようやく乗れるようになった自転車のおかげで、俺の行動範囲はぐーんと広がった。
その中にゲームショップ・ぱらいそがあった。
当時のぱらいそは普通のゲームショップで、勿論、美織もいなかった。でも、その代わり、とってもゲームが上手くて、いつだってニコニコとお店の試遊台で相手をしてくれるお爺ちゃんの店長さんがいた。
今から思えば、あれが美織のお爺ちゃんだったのだろう。
美織曰く、尊敬に値する人、だとかなんとか。
……って、おい、じゃあこの声ってまさか……。
「お爺ちゃん! 出てきちゃダメじゃない! 今日はこちらにも切り札があることを匂わせておいて終わらせるつもりだったのに!」
「何を言っとるんじゃ。ヒルに対抗するリザーバーって言う時点で、
ひとりの老人が、その見かけによらずしっかりした足取りで壇上へと登ってくる。
「ゲーマーとしてヒルの跡を継ぐと言うことは、言ってしまえばそこのアルベルト君もまたワシの弟子のようなもんじゃろ? だったら一言挨拶しとかねばならんでの」
そして呆気に取られるアルベルトの顔を覗き込むように、老人は腰を屈ませると
「お初にお目にかかる、ワシは
頭を深々と下げて挨拶した。
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