中にして絶つ

三浦太郎

後⇔母

 病室、ベッドが並ぶ一番奥、女の右手は下腹をなでている。まだ何かが残っているように。ないものを探すように。

 昏い光を灯した両の瞳は女だけが見えるものだけを見詰めている。昏い光は景色を吸い込んでは吐き捨てる。

 背の棚にはリンドウの花瓶。花瓶の中で秋は腐ってゆく。花瓶の歪んだ硝子面は乱れた、崩れそうな黒い髪を映す。

 ベッドテーブルには冷めた食事の横に山羊の人形が、女の凍りつきそうな貌を眺める。その姿は女の心に巣食いながら、瞳を向けられることはなかった。

 涙の跡は川となった。枯れた水は地の底に消えた。女に残ったのはカラだった。

 まざまざと瞳の奥、さらに深い底では赤子の泣き声が止む景色が永遠に続く。苦しげな顔が女を締め付ける。

 女の口から漏れる声は何に向かうのだろうか、女でさえもそれを知らない。

 嗚咽とともに吐き出す心は何を求めているか、女の体はよく知っている。

 充電さえ切れてしまった電話機は床に転がっている。割れた画面は光を発することもない。

 相変わらず山羊の人形は女を眺める。

 三度食事が変えられた後、女の瞳には男が映った。男はただ立っているだけで、女はそれが瞳に映るだけであった。

 女の春を凍らせた男に面しても、女は修羅となる心を失っていた。左手はシーツを握り、それだけだった。

 恋人は悪魔に転じていた。

 男の貌が赤子のものにすり替わって、女の瞳の奥に映った。ばらばらになった四肢は男のものに置き換わった。

 しばらくして、男は花を替えずに去った。

 女の右手が髪に伸びる、いとも容易く千切れ落ちた。

 女の左手が山羊の人形に伸びる。冷たく女の手から熱を奪った。

 女の視線は山羊に向いた。山羊はやはり、女を見ていた。

 

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中にして絶つ 三浦太郎 @Taro-MiURa

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