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三ヶ月前、わたしと朝日は母からその生い立ちを告白された。
母は六人きょうだいの末に生まれたが、父親がおらず家計が苦しかったため、末っ子だった母だけ親戚の家に養子に出された。私の母は実の母親にきょうだいでただ一人だけ、捨てられたのだった。
養子先でも母はあまり歓迎されなかった。いつも引き取り先の親戚一家にいじめられた。学校での成績は優秀で、美人の母は学園のマドンナ的存在だったが、家に帰ればいつも惨めな思いをした。
そんな母と父は同じ団地に住んでいた。母にとって父は近所のお兄ちゃんで、年頃の二人は遠い親戚同士で昔馴染みだったこともありそのまま結婚した。
「え、遠い親戚?なにそれ、はじめて聞いた。どういうことなの?」
「私とお父さんは確かひいおじいちゃんが同じなのよね」
近親婚、といえるのかどうかはわからない。ただわたしと朝日の身体に流れている血の濃さを想像すると吐き気がした。気持ち悪いと思った。
「これが、お母さんのすべてよ。実の母親の行方はもうわからないけれど」
「あの、じゃあ、今までわたしがおばあちゃんだと思っていた人はだれなの? お母さんのお姉ちゃんやお母さんの弟さんは?」
「あの人たちはね、優しい優しい、赤の他人」
朝日が父方の親族に猫っ可愛がりされているのは、父方の親族が古い思想の持ち主で長男至上主義のところがあるからだ。ローンなしで買ったマイホームも父の財産も、いずれは女子のわたしではなく男子の朝日が継ぐべきものだと考えている。
愛される朝日が憎らしかった。だけど母方の祖母がわたしの味方だったから、それもそのうちどうでもよくなった。母方の祖母は逆にわたしをとても可愛がってくれた。よく連れ出してはご近所さんたちに自慢し、娘かと思ったくらいに似ているわと誉められればそれはそれは嬉しそうにした。そんなだからわたしはすごいおばあちゃん子だった。わがままもたくさんいった。癇癪も起こした。自分のおばあちゃんだから許されると思っていた。
その人とまったく血がつながっていなかった。微塵も親戚じゃなかった。わたしが母方の祖母だと思っていた人は、母が働いていた頃、たまたま優しくしてくれた同郷の人に「私には親がいません。だからあなたたちが私の親になってくれませんか?」とお願いしてそれを快く承諾してくれた人たち、だった。わたしには縁もゆかりもないわけで。
もう勘弁してほしいと思った。これ以上はキャパオーバーだよ。
今までおばあちゃんにたくさんいってきたわがままや癇癪が頭の中をぐるぐると駆け巡った。慈悲で愛したつながりのない女の産んだ子供が、我が物顔で自分達の本当の孫のように振る舞うのを見て、祖父母だと思っていた人たちはどう思ったんだろう。などと、勘繰って、しまう。
母方の親戚には女子の孫がいなかったので、わたしは特に可愛がられているのだと母はわたしによくいっていた。その裏で血のつながらない祖父母は、幸せそうなわたしにいつ本当のことを話そうかと暗い顔をしていた。
「あんたを愛していたのは本当よ。これからもあの人たちを本当のおじいちゃんとおばあちゃんだと思って」
うん、とうなずいた。愛された時間も与えられた愛情もなくなったりしない。わたしは愛されて幸せだった。けれど、ああもう、もとには戻れないだろうと思った。本当のことを知って、本当の孫もいるあの人たちの前で、また無邪気に気兼ねなく振る舞うのはさすがに無理だ。愛してくれたことに深く感謝すると共に、幼かったわたしがかけた非礼も心労もすべて土下座して詫びたい。
涙ながらに自分の生い立ちを語ったあと、母は夕飯の買い出しに出かけた。リビングには脱力しきったわたしと朝日が残された。ソファにもたれながら目を閉じる。まったく、頭がパンクしそうだった。
「なんか、お母さんってシンデレラみたいな生い立ちの人だね」
「そうだな」
でも母には迎えに来てくれる王子様はいない。どこまでもとことん不幸な人だ。
わたしは自分のことを不幸だと思っていた。父親は無神経だし不倫クソ野郎だし、母親はひどいメンヘラだし精神病も患ってるし、日々そういう現実に圧死されそうになりながら、もがきながら生きてきたつもりだった。
だけど思いもよらず身近に、物語に出てくるみたいに親に捨てられたりいじめられたりして、ずっと不幸な人がいて、なんだかなあと思った。
いろいろ面倒な家庭だけれど、世の中にはもっとずっと不幸な人たちがいるわけで。アフリカの子供だけじゃなく飢えだけじゃなく、例えば父親が酒乱でDVとか、母親から虐待とか、義父からレイプとかもろもろ。
わたしは実の両親に育てられていて、ローンなしのマイホームに住んでいて、最近また父が失業したので家計は苦しいけれど、まだ貯金があるから大丈夫なそうで、私立の良いとこの学校に入れてもらって、衣食住不自由せずに漫画読めてテレビ見れて。
わたしの不幸はとてもありきたりで陳腐だ。だいたい浮気する男ってこの世にたくさんいるし。鬱病の人もこの世にたくさんいるし。どこにでも転がっている話だ。だから変な話、わたしは不幸になるのをあきらめた。
わたしを可哀想だといってくれる人はだれもいない。易々とだれかに相談できそうなことじゃないし、父はわたしをきちんと学校にいれて養っているのだから不幸であるわけがない、むしろ父親を尊敬し愛していると思っているようなバカ野郎だし、母は自分の方がずっと不幸だと思ってるし、まあそれも事実だし、そして何より朝日がいる。
両親から被る不幸はわたしだけのものじゃない。朝日も同じものを背負っているから、わたし一人だけ悲劇のヒロイン面をするわけにはいかないのだ。
親に愛されなかったとはいえない。わたしも朝日ももう覚えていないけれど、ごくごく小さい頃、いろんなものを見せてあげたいからと両親はよくわたしたちを連れて旅行した。結局は彼らの金で十八になるまで育ててもらい、これから大学にも行かせてもらうだろう。金はまだあるらしいので特に国公立に行く努力もせず、私立大学に行くつもりだし。そんなわたしの不幸を世間様はきっと甘ったれるなと嘲笑う。
この程度の家庭環境を盾に不幸になってはいけない。この不幸だけで世界と戦えない以上、この程度ではだれもわたしを可哀想だといって可愛がってくれそうにない以上、わたしは自分で自分を愛さなくちゃいけないし、前を見て、きちんと自分で幸せにならなくちゃいけない。仕方ない。
きちんと幸せになろう、不幸ぶるのはやめて前を見ようと決めた日、少し泣いた。どこにでも転がっている話だ。だけど受けてきた傷痕は今までもこれからもずっと痛い。
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