柊子の助言
「もう最悪ですわ……。春光さんには笑われてしまったし……。あの
日比谷図書館の婦人閲覧室で柊子と勉強をしながら、楓は小声でぶつぶつと愚痴を言っていた。
あの後、楓が葵の家に電話をかけて問いただすと、葵は「引っかかりましたね、竜田先輩。あっはっはっは」と少年のようにカラカラと笑い、あの手紙はエイプリルフールの嘘だと認めたのだ。
「さすがは、去年の秋頃に長かった髪をザクッと大胆に切って、父親を一週間ほど寝こませたことのある断髪ガールだね……」
楓の話を聞いた柊子はそう言って笑いながら、あきれている。
この当時、女性は長い髪が当たり前で、「髪を切る=女の子やめる」と言っていいほど、ショートヘアは衝撃的な髪形だったのである。しかし、いずれはそんな断髪のモダンガールが街を堂々と闊歩するようになり、世間の人々の注目を集めるのだが……。
「それもこれも、全部、春光さんが悪いのです。あの人のエイプリルフールの嘘に警戒しすぎて、他の人たちからの嘘に対してつい無防備になってしまったから……」
「それで、風車さんは楓ちゃんにもう嘘はついたの?」
「それが、不思議なことにまだなのです。私がいつ嘘をついてくるかと身構えているというのに、春光さんったら、どうして今年のエイプリルフールは私に構ってくれな……こほん、何も仕掛けてこないのかしりゃ」
危うく口を滑らせそうになった楓は、若干噛みながらも言いつくろった。しかし、ぼんやりしているように見えて意外と耳ざとくて察しのいい柊子は、「もしかして……」と楓の顔をまじまじと見ながら呟く。
「楓ちゃん、春光さんに構って欲しいの?」
「なっ!? そ、そそそそそそそんなことは!!」
見る見るうちに顔を紅潮させ、楓は裏返った声で言いわけしようとするが、言葉が上手く出ない。柊子に「図書館は静かにね」と注意され、楓は慌てて口をつぐむ。
「別にそんなにムキになって否定しなくてもいいのよ。だって、誰だって好きな人には構って欲しいものだもの」
「す、好きな人って……。春光さんは、親が決めた将来の夫というだけで、私は……」
「でも、楓ちゃんは風車さんのことを憎からず思っているのでしょ? 楓ちゃんは考えていることがすぐに顔に出るから丸わかりだわ。楓ちゃんのそうやってコロコロと表情が変わるところ、とってもチャームさんよ」
柊子がニコッと微笑みながらそう言うと、楓はまた顔を赤らめた。魅力的な人のことを柊子たち女学生は「チャームさん」と呼んでいるのである。
「風車さんも、きっと、楓さんが怒ったり驚いたり、百面相している姿が可愛らしいと思って、ついつい意地悪をしてしまうのかも知れないわ。男の人って、案外と子供っぽいところがあるから……」
(春光さんが私のことを可愛いと思ってくれている……? そ、そうなのかしら?)
春光の意地悪げな笑みを思い浮かべて、楓はにわかには信じられないと思った。
でも、もしも柊子の言う通りだったら……?
ほんのちょっとそう考えただけで、楓の胸はドクンと高鳴る。
「で、では、春光さんは、今年のエイプリルフールはどうして……?」
「それはちょっと私にも分からないけれど、別に嘘をつかれるのを待っている必要はないでしょ?」
「え?」
「たまには、楓ちゃんのほうから風車さんに構ってあげましょうよ。もしかしたら、悪戯好きな風車さんなら、楓ちゃんにエイプリルフールの嘘をつかれて喜ぶかも知れないわ」
「わ、私はエイプリルフールの嘘なんてつけないわ……。だって、どの人もえげつな~い嘘をつくでしょ? 私はそういう人を驚かせるような嘘を考えるのは苦手だもの……」
楓が自信なさそうに呟くと、柊子は「えげつない嘘なんてつかなくていいじゃない」と言って笑った。
「これは柚兄様からの受け売りなのだけれど、西洋のエイプリルフールは、他人に迷惑をかけるような嘘をつく人はそんなに多くないそうよ。『君の美しい顔に花びらがついているよ』とか、騙したほうも騙されたほうもクスッと笑えるような可愛い嘘をついて、それでお終いなのですって。
きっと、日本人はエイプリルフールの習慣にまだ慣れていないから、嘘の手加減ができていないのよ。だから、楓ちゃんは風車さんにちょっとした可愛い嘘をついてあげたらいいと思うわ。心臓に悪い嘘で人を驚かせるより、そのほうがお互いに幸せになれるはずだし」
「可愛い……お互いが幸せになれる嘘……」
しばし考えこんだ楓はやがて何事か思いついたのか、「よ、よし……。今年は私が春光さんをドキリとさせてみせますわ!」と一人納得してコクコクと頷くのだった。
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