第9話 『不用意な言葉』



 翌日、俺はジジイに案内されて借家となる家に向かっていた。

 といっても葵宅からそう遠くはなく、徒歩数分で着く距離である。


 そして歩く俺とジジイの他に、千秋ちゃんも着いてきていた。


「神谷さんが住んでいたような家ではないでしょうから、あまり期待しないでくださいね? 古びた家ですし」


「全然大丈夫だよ。一応ネットで前情報は見てるし、ここに来る前は狭い部屋を借りて一人暮らししてたから」


「ふんっ! 文句なんて言いやがったら、お前の舌を引っこ抜くからな!」


「どこの閻魔様だよ」


 昨夜の様子とは全く違う千秋ちゃん。

 なにがあったのだろうか。気になってはいるが、そう聞いていいものではないと俺は追及はしなかった。


「おい小僧。着いたぞ、ここだ」


「小僧って……まぁいいけどよ。……で、ここ、なのか?」


「もしかして、気に入ってもらえなかったのでしょうか?」


「いや、そういうわけじゃない。寧ろ……」


 寧ろ、逆だ。

 葵宅程大きくはないが、建ててからまだ新しいように見えるし、都会の一般住宅と変わらないほどの大きさの家だ。

 一人暮らしするにはあまりにも広すぎる家だろう。


「新築に見えるし……外装も綺麗だ。本当にここに住んでもいいのかよ」


「いいんですよ。じゃなかったら、私たちもわざわざ紹介なんてしませんって」


 そう言って千秋ちゃんは玄関から家の中へ入っていった。

 俺とジジイも、それに追従していくように中へと入る。


 中は都会の家のような壁紙は使われておらず、全てが表面を滑らかにした木で家の形を作っているようだ。

 失礼かもしれないが、婆ちゃんの家に来たときと同じ雰囲気でもある。


「なんか……良いな、ここ。なんというか、落ち着く」


「当たり前じゃ。小僧が住んでいたような自然の欠片も感じない所と一緒にするでない」


「辛辣だなぁ……おい」


 だが、ジジイの言葉を否定は出来ない。

 都会に集まる人混みの圧迫感や、自動車の排気ガス等の環境は、決して自然が近かったとは言えないだろう。

 対してこの村は木々に囲まれ、自動車が走っているわけでもない。空気が澄んでいる初めての感覚はとても新鮮だった。


「てか、千秋ちゃんは?」


「千秋なら台所じゃろう。家から持ってきていた食材を冷蔵庫にでも入れている筈じゃ」


「そうなのか……ん?」


 ジジイの言葉を聞きながら廊下を歩き始めた直後、壁の柱についている傷を発見した。

 傷は横線になっていて、よく見ると十本近く線が引かれている。

 引かれた傷の高さは統一性がなく、俺の太ももから鳩尾辺りまでバラバラに引かれていた。


「これは……」


「ほう、懐かしいのぉ……。それは千秋や百合が幼い頃、父親が娘達の成長を残すために毎年身長を傷をつけて記録していたものじゃよ」


「へぇ……ん? ってことは、この家は元々千秋ちゃん達が住んでいたのか?」


「言っておらんかったか? 数年前までここはあの娘らが使っていたのじゃ。まぁ、今では必要無くなったから、売りに出していたんじゃが」


 確かにこの家は他の家と比べると、全く古びた様子はなかった。建てられてまだ間もないということだろう。

 もしかしたら千秋ちゃんが産まれた頃やその後に建てられたのかもしれない。


 そんなことを考えつつ、柱に記された傷を指でなぞると、ふと疑問に思ったことがあった。


「そういえば千秋ちゃん達の父親は? 昨日、家には居なかったみたいだけど」


「――――」


 そんな言葉を何となく口に出した瞬間、ジジイが俺に冷たい視線を向けた。

 凍えるような冷たい目。それを見た瞬間、俺は悟った。



「――死んだよ」



 聞いてはいけない事に、触れてしまったと。



「死、んだ……?」


「そう。あやつは数年前、崖から転落して死んだんじゃ」


 死んだ。

 自分の祖父母もまだ健在だし、両親も生きている。

 友達の誰かが死んだなんて事はなく、俺にとってそれは遠い話のように思っていた。


 でも、つい先日知り合いになった人の父親が死んだことを知ってしまった。それも、俺の不用意な言葉でそれを聞いてしまったのだ。


「ご、ごめん……俺、そんなつもりじゃ……!」


「別にいいが、それを千秋の前で言うんじゃないぞ」


「千秋ちゃん……? どうして……?」


 ふと、昨夜の千秋ちゃんの姿が浮かぶ。

 とても悲しそうで、苦しそうな千秋ちゃん。何故かそんな姿が頭を過(よぎ)った。


「父親が死んだ理由の一つに、千秋が関わっている。その罪の意識に、千秋はずっと悩んでいるからじゃ」


「――――」


『……そんなの決まってます。一生かけて償うんです』


 あの言葉が、その事だとしたら?

 千秋ちゃんは、ずっとずっと父親の事に悩んでいるのではないか。

 俺のような痴情のもつれで悩んでいる事より、彼女の方がもっともっと苦しんでいる。

 自分勝手でそんな情けない自分に、俺は思わず頭を掻いた。


「ワシからはこれ以上はなにも話せない。あとは千秋から聞け。千秋が話してもいいって思ったら……そんな条件付きじゃがな」


「……千秋ちゃんが悩んでいるのなら、俺も出来る限り支えたい。俺の勝手な気持ちだけど」


 それは本心だった。

 罪悪感や、正義感などの色々な感情が渦巻いている結果、そういう言葉を言ってしまったのかもしれないが、それでも力になりたいことは本当だ。


 偽善でもいい。俺はこれ以上逃げたくないから。


「……小僧、そう思うことは勝手だがな……」


「――――」


 一息、ジジイは止めていた足を進めながら、



「――千秋を泣かせたら、ワシは貴様を許さん」



 その言葉に、俺は少しの間立ち竦んでいた。


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