第8話 『夜空に浮かぶ月』



「それでは、手を合わせて──」



「「「──いただきまぁ~す!!」」」



 千秋ちゃんのお母さん──真白ましろさんの号令と共に、俺達も手を合わせて声を上げた。

 ジジイは未だに昏倒しているが、放っておいて良いらしい。……良いのか?


「いやぁ……すみません。皆さんの夕飯にお邪魔させてもらうなんて……」


「良いのよ~。うちのバカなお義父さんが迷惑かけたんだから。それに一人増えてもそんな変わりませんよ。ほらっ、遠慮せずに食べてってね」


「そうですよ。はい、神谷さん。これどうぞ!」


 俺が夕飯にお邪魔させてもらっていることに申し訳なく思っていると、真白さんがそう言ってくれた。

 そうは言っても料理に箸が動かない俺を見かねてか、千秋ちゃんが山菜の天ぷらを載せた皿を渡してくれた。


「そ、それじゃ……いただきます!」

 

 昨日の夜から今日の夕方までまともに食事をしていなかったため、俺の腹は正直なもので音を立てて訴えかける。

 そんな状態で美味しそうな天ぷらを目にして、俺はやっと天ぷらに箸を向けた。

 俺が選んだのは、今が旬の椎茸しいたけ


「はむっ……っ!」


 口にいれたサクサクの天ぷら。歯でサクッと音を立てて衣を突き破ると、椎茸のほくっとした食感が訪れ、それに続いて独特の苦味が口の中に広がった。

 実家でも椎茸は食べるが、その味に目を丸くする。


 先ず弾力が違う。ブリンッとした椎茸のかさは、歯で軽く噛んだら跳ね返してくるような弾力がある。

 風味も段違いだし、椎茸の旨味が実にも、そして衣にも染み込んでいる。


「美味い……初めて食べたよ、こんな椎茸」


「それは良かったです! この椎茸は今日採ってきたばかりですからね。とっても新鮮なんですよ」


「今日……採ってきた?」


 買ってきたとかではなく、採ってきた。

 ということはつまり、


「はい! このカスミ村は盆地にあることはご存じだと思います。なので村の周りにある山には多くの山菜が採れるんですよ。秋ならキノコ類が、春になるとたらの芽などの山菜も採れますし、年中多くの山菜が採れるんですよ!」


「そ、そうなのか」


 山菜の話をした瞬間、目を光らせて語り出す千秋ちゃん。

 結構大人しいイメージを持っていたけど、ユリちゃんと話すときといい、今のことといい、これが素なのだろう。

 まるで自分の自慢の娘を話している母親のようだ。


「ん、ん~……はっ!? ワシはいったい!?」


「ほらほら、お義父さん。いつまで寝惚けているんですか? ご飯食べているんだから、大人しくしててください」


「いや、でも小僧がっ……い、いただきます」


 ジジイが頭を擦りながら起き上がり、俺を見て立ち上がろうとした。

 だけど、やはりそこは葵家格差カースト最上位に位置する真白さんだ。

 お玉を掲げただけでジジイを制してしまった。


 俺は見なかったことにして、次は山菜のおひたしを口にいれる。うん、美味い。


「お兄ちゃーん!」


「ん? どうかしたの、百合ちゃん?」


 ステテテー! と裸足で可愛らしい足音を立てて近寄ってくる百合ちゃん。

 満面の笑みを浮かべ、「えっとね~」なんて照れている。

 どうしたのかと疑問を抱いていると、


「お兄ちゃん、お口開けて~! はい、アーンっ!」


「えっ? えっ?」


 百合ちゃんが一口サイズに切り分けたハンバーグをフォークで刺し、それを俺の口へ運ぼうとしている。

 いきなりの行動に、俺は戸惑ってしまった。


「ゆ、百合! お祖父ちゃんには!? お祖父ちゃんには無いのか百合ィィ!」


 ジジイが血涙を流して悔しがっている。そこまでか……。


「ほら、お兄ちゃん! アーンっ!」


「えっと……」


「神谷さん……すみません。よかったら百合に付き合ってやってくれませんか? あの子、お兄さんが欲しかったみたいなので……」


 それで納得がいった。

 つまりずっと欲しかった、甘えられる兄的存在が現れたから、ずっとやりたかったことをやりたいと思ったんだろう。

 まぁ、千秋ちゃんと百合ちゃんの食べさせ合いっこも見てみたい気もするが。


「あ、あーん……んぐっ」


「どう? おいし?」


 モグモグと噛み締める。

 肉の甘味や玉ねぎの食感。噛めば噛むほど味が口の中へ広がっていく。

 ……普通に美味い。


「うん。百合ちゃんのハンバーグ、スッゴく美味しかった。ありがとね」


「えっへへ~!」


 百合ちゃんの髪をくしゃくしゃと撫でると、百合ちゃんは判りやすく頬を弛緩させた。

 とても可愛い。護ってあげないといけない、なんて感じがする。


「百合! 次はお祖父ちゃんもじゃろ? ほら、アーン! 百合、アーンじゃ!」


「えへへ~。いやー!」


 純真無垢な笑顔でバッサリと切られるジジイ。

 一瞬、魂が口から抜けていくように見えたぞ……。


 そんなジジイが、血走った目で俺を睨み付ける。


「……貴様はいつか倒す!」


「理不尽だろ!?」




◇ ◇ ◇




 ──食べ過ぎた。


 大きく膨らんだ腹をさすりながら、俺は軒下で風に当たっていた。

 都会では味わえない澄んだ空気。周りからは虫やフクロウの鳴き声が鳴り響き、自然のコンサートを開催していた。


 俺はなんとなく夜空に顔を上げる。

 綺麗な月と星が、村を照らしていた。


「……これと同じ空を、美春も見ているのかな」


 ふと、俺は元恋人の事を思い出した。

 今頃は安西信明と食事をしているのかもしれないし、アイドルとして各地に飛び回っているかもしれない。


 でも願わくば、この空を見ていてほしいと思った。


 もう忘れるって決めていたのに、まだ俺は未練があるみたいだ。

 そんなだらしなくて情けない自分に、思わず笑いが込み上げた。


「神谷さん」


「……千秋ちゃん? どうかしたの?」


「いえ、お風呂が沸いたので入ってくださいってお母さんが」


「そこまでしてくれて本当に悪いな……直ぐに行くよ」


 ジジイ以外の葵家の人達は優しすぎる。

 俺なんて家を借りる事になってるだけの他人なのに、ここまで世話をしてくれるなんて。


「空……見てたんですか?」


「あぁ。俺が住んでいた所じゃ空なんて見ないからね。なんか新鮮でさ」


 都会では高いビルがそびえ立っているから、空を遮ってしまうし、なにより夜空を見ようなんて思うこともない。

 座って、落ち着いていられる今だから見える景色だと思った。


「そういえば気になっていたんですけど、どうして神谷さんは都会からこの村に引っ越してきたんですか?」


「────」


 恋人にフラれたから逃げてきました。

 そんな事は言えないし、なにより『カスミ村』の人達に失礼だ。


 俺はただ逃げてきた臆病者。

 現実を突き付けられて、怖くなって逃げ出した。

 誰よりも好きだった幼馴染を失ったからって、俺はなにもかも放り投げて、背中を向けて逃げたのだ。


 そんな俺が逃げ場所に選んだ所がこの村。

 ここなら現実を見なくて住むし、誰も俺に現実を突きつけないと判っていたから。


 ──そんなことは、最低だ。


「言えないん、ですか?」


「……例えば、の話なんだけどさ」


「…………」


 俺は話を変えることで、千秋ちゃんの質問に対する答えを拒絶した。

 これも逃げなのに。判っているのに、俺は再び繰り返した。


「……大切な人がいたとする。その人に、仮に自分が酷い仕打ちをして、その子ともう会えなくなる事態に陥ったら……どうすればいいのかな? 前を向いた方が、いいのかな」


「────」


 大切な美春に対して酷い言葉をぶつけた。

 その結果、美春は俺に背を向けて歩き出した。対する俺は彼女を追いかけようとせずに、同じように背を向けて、もう二度と交わらない未来を選んだ。


 そんな俺の選択は正しかったのか?


 正しくはなくても、俺はどうすればいいんだろうか?


「……そんなの決まってます。一生かけて償うんです」


 千秋ちゃんが無表情のまま、そう呟いた。


「償う……?」


「それは自分が悪いんです。自分の犯した過ちが無ければ悲しませる事もなかった。誰も不幸にはならなかった。それなのに自分は前を向いて歩くなんて――許されないんですよ」


 そう言った千秋ちゃんの言葉は冷たかった。


 許さない。

 罪人は裁かれるべきだと、同情の余地は無いのだと、そう突きつけられた。

 俺は思わず下を向く。


「それでは、私は戻ります。早くお風呂に入っちゃってくださいね」


 最後に俺を一瞥し、千秋ちゃんは家の中へ入っていった。


 初めて見る千秋ちゃんのまるで氷のように冷たい雰囲気。

 あれが夕飯の時の千秋ちゃんと同一人物だとは、あまり思えなかったくらいだ。

 ……でも、


「千秋ちゃん……すごく悲しい目をしてた」


 悲しい顔をして、入り雑じった思いを吐き出しているような感じだった。

 そんな表情の千秋ちゃんに、何故かズキリと胸が傷んだ。



 ──俺は暫く、暗闇を照らす月を眺めていた。

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