第7話 『逆らってはいけない相手』



「ぅ……んぅ……」


 後頭部にひんやりと伝わる感覚に、徐々に目が開いてきた。

 重い瞼。開くと眩しいほどの光が目を直撃した。

 咄嗟に目を瞑り、今度は慣らすようにしてゆっくりと目を開けた。


「……知らない、天井だ」


 目の前には光を放つ蛍光灯。

 だけど、最近流行のLEDライトではないであろう古びた光を放っている。木製の天井から吊るされている蛍光灯には、数匹の羽虫が飛び回っている。


「俺は確か……痛っ!」


 起き上がろうと頭を上げた瞬間、後頭部に痛みが走った。

 鈍い痛みがゆっくりとだが、後頭部に広がる。

 原因を確かめようと、恐る恐る痛みの発生地に手を触れてみると、大きな膨らみ──こぶが出来ていた。


 道理で痛いわけだ。

 ふと布団に目を向ける。

 痛みを和らげてくれていた正体は、ひんやりとした水枕だったようだ。

 俺は再び瘤の痛みを和らげるために、水枕へと頭を預けた。


「一体何がどうなってるんだよ……」


 意識を失う前。

 何が起きていたのか思い出そうと、思考の波に漂おうとした時、


「あぁー! 起きたー!」


「ん?」


 頭の向けている側から大きな声が響き、そちらに顔を向けてみる。



 ──天使がいた。



 小さな体躯。恐らく七歳くらいの年齢しかない少女。

 身体と同じ小さな顔には大きな瞳と整った目鼻立ち。背中まで伸びた黒髪はとても艶やかだ。

 将来は恐らく美人になるであろうと確信が持てるほどの美幼女がそこにいた。


「えっと……き、君は?」


「きみ……? えっとね、ユリはユリって言うんだよ! お兄さんはだぁれ?」


「俺か? 俺は夏威……カイって言うんだ。宜しくね、ユリちゃん」


「宜しくね! カイお兄ちゃん!」


 ──カイお兄ちゃん。カイお兄ちゃん。お兄ちゃん。

 なんて素晴らしい響きだろうか。こんな可愛い幼い女の子にお兄ちゃんと呼んでもらえる。

 一人っ子だった俺に妹が出来たみたいで、なんか込み上げる物があった。


百合ゆり? どうしたのー?」


「あっ、お姉ちゃん!」


 ユリちゃんに声をかけて襖を開けて入ってくる黒髪の美少女。

 その女の子を見て、意識を失う前に起きた出来事を思い出した。

 意識を失う前に俺を優しく抱き上げてくれた女の子だ。


「あっ、目を覚ましたんですね! よかった……このまま目が覚めなかったらって心配してたんです……!」


 俺の容体を確認し、ホッと安堵の溜め息を吐く黒髪の美少女。

 その姿に、思わず見とれてしまった。


「当然だよ! ユリもちゃんと看病したもん!」


「そうね。百合も看病ありがとう」


「えへへっ!」


 得意気に笑顔を黒髪の女の子に向ける百合ちゃん。

 その百合ちゃんの頭を微笑んで優しく女の子が撫でた。百合ちゃんがとても嬉しそうに頬を緩ませる。


 なんとも微笑ましい光景が目の前に広がっていたが、それよりも本題に入らないといけない。


「あ、あの……すみません」


「あ、はいっ! なんですか?」


「ところで、ここは何処なんでしょうか?」


 俺の問いに、女の子はハッとしたように目を見開き、そして告げた。


「ここは──私の家です」




◇ ◇ ◇




 俺と黒髪の女の子、そして百合ちゃんは廊下を歩いていた。


 黒髪の美少女の名前は──あおい千秋ちあき

 俺が借りようとしていた家の家主の娘だそうで、年は俺と変わらず十九歳だ。

 あの時、俺に鍬を投げつけたジジイの孫らしく、倒れた俺を実家まで運んで甲斐甲斐しく看病してくれていたみたいだ。

 ちなみに百合ちゃんは千秋ちゃんの妹で、葵百合って名前だ。


 まさに美少女姉妹。それがあのジジイの孫だと思うと、なんだか複雑だ。


「私達もビックリしたんですよ。家を紹介したけど、田舎過ぎて誰も希望者が現れなかったんです。ですからあの家は物置として使っていたんですが、数年経ってから希望者が現れたんですもん。私達も大慌てで家の掃除をしたんですよ」


 そうやって笑う千秋ちゃんだが、明らかに疲れている様子だ。

 どうやら物凄く大変だった事は判る。悲壮感漂う表情が隠しきれてなかった。


「俺も引っ越そうと考えてたんだけど、安くて良いところが見つからなくてさ。昔見た番組で紹介されていたこの村の名前を偶然覚えていたんだ」


 引っ越す理由は言わなかった。

 暫くは誰にも言いたくなかったから。


「お兄ちゃん頭良いんだねぇ!」


 ニコッと笑顔を向けてくる百合ちゃん。その百合ちゃんと手を繋いで歩いていた。


「まぁ、つい最近まで学生だったからね。少しは勉強は出来ると思うけど」


「すごぉい! お姉ちゃんなんか勉強全然できないのに」


「ちょっ、百合!」


 恥ずかしそうに顔を赤らめて百合ちゃんに怒る千秋ちゃん。


 ──そんな光景が、何故かとても眩しく感じた。


「あっ、ここですよ」


 千秋ちゃんが指を差した障子張りの引き戸。

 そこへ先ずは千秋ちゃんが入り、続いて俺も中へ入っていった。


「あっ」


「む?」


 部屋の中に入ると、天ぷらなどの料理が載った机。

 そして座布団で胡座あぐらをかいている老人の姿があった。


「そういえば千秋ちゃんの祖父って話だったな……居ておかしくはないのか」


 一瞬沸き上がった怒りを抑え、ジジイもとい老人を見つめて固まる。

 なにか言葉を言わないといけないと考えたまま、その次の言葉が出てこなかった。

 すると老人がふいに、


「…………チッ!」


「なんで舌打ちした!?」


「仕留め損なったか」


「おいこら確信犯か!」


 ジジイの態度に思わず声を荒げてしまった。

 謝る気配すらない。悪いとはさらさら思っていないのだろう。


「お、お祖父ちゃん! どうして謝らないのよ! 神谷くんに手を出したのはお祖父ちゃんの方でしょ!」


「千秋……お祖父ちゃんはな。どっかの判らん馬の骨に孫をやるつもりはないんじゃ!」


「ちょっ! なに言ってるのよぉ!」


 涙目になる千秋ちゃん。保護したくなるような可愛さだ。

 それにしてもジジイの考えはぶっ飛びすぎている。どうやら俺と千秋ちゃんが付き合うんじゃないかと危惧しているようだ。


 ──今の俺に、そんなことは無いというのに。


「兎に角、表出ろや小僧! 誰に手を出そうとしているのか身をもってぁがっ!?」


 立ち上がろうとしたジジイがフライパンで殴り付けられる。

 ジジイは殴り付けられた後頭部を抑えて悶えていた。


「まったく……静かにしてくれないと困ります」


 フライパンを持ったまま、俺に笑顔を向けてくる女性。

 千秋ちゃんから聞いた話によると、この人は千秋さちゃんのお母さんらしい。確かに千秋ちゃんと百合ちゃんに似た美人さんだ。


 ただ、笑顔とは裏腹にそのフライパンが鈍器に見えてきて、俺は思わず後ろに下がった。


 葵家格差カースト最上位に位置する主の登場。



 ──逆らってはいけないと、俺は直感した。

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