第6話 『おいでませ! カスミ村』
「──ゃくさん。お客さん!」
「……ん……ぅ?」
誰かの声と肩を揺すられる感覚に、意識が少しずつ戻ってくる。
ボーッと思考が安定しないが、続けられる揺さぶりに、ふと顔をその人物に向けた。
スーツを着た男性が、俺の顔を覗き込んでいた。
「…………誰?」
「寝惚けてるんですか? しっかりしてください。お客さんの目的地に着きましたよ」
目的地……?
その言葉を聞いた瞬間、ハッと意識が完全に覚醒する。
『あの日』──俺は慣れ親しんだ故郷や友達との繋がりを全て断ち切って電車に乗った。
電車に乗り、揺られ続けること六時間。その後、夜行バスに乗り換えて眠っていたのだ。
ふいに周囲を確認する。
俺しか乗っていない、寂しい車内。
確か俺が寝てしまって意識を失うまでは、車内には他の客の姿がチラホラ見えていた。
でも、今の状況。車内の様子を見ただけで、どれだけ長い時間バスに揺られていたか理解できるだろう。
「……ここ、は?」
「ここはお客さんの目的地──『カスミ村』ですよ」
『カスミ村』
そこは俺が逃げ場所……もとい引っ越し先に選んだ村の名前だ。
俺は寝起きで気怠い身体を起こして、バスの外に視線を向ける。
夏が終わり、秋に差し掛かっているせいか木々が緑から紅葉へと色を変化させている。今まで十九年生きてきて見たことがない世界。
「スゲェな……」
思わず感嘆の声が洩れた。
逃げ出して、なにもかも捨てて来て、なのにそれすらも小さく感じるほどの自然の匂い。
こんな風景を一人で見ているのが、何故かとても寂しかった。
「ははっ! 都会の人は皆そう言いますよね。ここは田舎ですし、私は長年バスの運転手をしていたけど、この村に訪れた人を見るのは数年ぶりですよ。それにお客さんみたいな若い人が訪れるなんて……なにか理由でもあるんですか?」
運転手の人は何となく聞いただけなのだろう。
でもそれを聞いた瞬間、言葉が詰まった。
アイドルである彼女を寝取られたから……なんて理由を言うことは絶対に無理だ。
だから仕方なく、
「……ちょっとした心境の変化ですよ」
俺はそう言ってはぐらかした。
◇ ◇ ◇
バスの運転手に別れを告げ、俺は新居に向かって歩き出していた。
カスミ村に逃げ出す前に地図は印刷しておいた。だから迷うことはないのだが、道とは言いにくい獣道が続いていた。
「自然は良いって言うけど……流石にここまで来ると困りもんだろうに」
地面は都会では当たり前のコンクリートではなく、土と落ち葉で道を作り出していた。
踏み締めれば地面は柔らかく押し返してくる。
その感覚は楽しい。楽しいんだが……、
「ズボンが土で泥だらけなんだけど。はぁ……引っ越し先間違えたかなぁ」
買ったばかりのジーパンが茶色い土で彩られている。
しかも山道だからか水分を多く含んでおり、ベットリとこびりつくように付着していた。
「これは早いとこ抜け出さないといけないな」
これ以上後悔して帰りたくならないように。
俺は思いきって獣道を走って進みだした。
土が跳ね、草木が更に服に纏わりつくという代償はあったが、ようやく獣道を抜け出せる事が出来た。
「ここは……」
どうやら俺が進んでいた道は丘になっていたようで、盆地となっているそこを一望する事が出来た。
小さな民家が数軒あり、それの数倍以上の面積を持った畑が民家を囲んでいた。
イメージは世界遺産の白川郷。都会で住んできた俺にとって、そこだけ時代が変わってしまったように感じる。
古びた茶色い建物。ここからでも木造住宅であることはよく判った。
よく見ると、畑にはチラホラ人が農業に励んでいる姿が見える。
どうやら、人はちゃんと住んでいるようだ。
「取り合えず……降りてみるか」
軽く降りることの出来そうな場所を探し、その道を使って降りていく。
村の中はちゃんと開拓されているようで、道は固い土で構成されているみたいだ。
村の中に入ることは出来たが、自分の家を先ずは探すことが先決だろう。
そう思い、畑で
「すみませーん!」
「…………」
ザックザック。
聞こえてないのか、一心不乱に鍬を振るう。
もっと大きな声で呼ばなければならないのだろうか?
「すみませーんッ!」
「…………」
無視だった。
さっきよりも大きな声でも、無視だった。
「どんだけ難聴なんだよこのジジイ……」
仕方ない。
俺はわざわざ畑に入り、出来るだけ近くで呼ぶことにした。
これぐらいしないと、この老人は聞こえないだろう。
「ふぅ……す! み! ま──」
「──さっきから五月蝿いのぉ! 少し黙れ!」
「えぇ……」
返ってきたのは罵声。
髪の薄い頭に青筋を立てた、完全な怒声だった。
「黙れって、聞こえてるじゃないですか! 聞こえてるなら答えてくれても……!」
「五月蝿い! ワシはイライラしてるんじゃ! 数年前に貸し家として出した家が今ごろになって買われたんじゃ……そのせいで掃除と畑仕事で機嫌が悪いんじゃぞ!?」
「知るか!? アンタの機嫌なんて俺に聞かれても知るか! そんなこと、俺には何一つ関係が……ん?」
数年前に出していた貸し家が、つい最近買われた?
俺がこの村に来た理由は引っ越すため。
そして一昨日、この村の家を貸して貰うことになった筈だけど……あれ?
なんか、繋がって来る気が……。
「え、えっと……その借りた奴ってもしかして……」
「だから話すなと言ったじゃろうが!」
「少しは聞けや!?」
駄目だ。このジジイとは話が通じない。
恐らくだが、このジジイは俺が借りた家と関係があるはずだ……というよりある。
なのに話が通じないとなると、他の人に聞くしかないか?
そう思っていると、
「お祖父ちゃーん! お弁当持ってきたよ~!」
背後からジジイに向かって声をかける女性の声。
振り向くと、俺とあまり歳の変わらない女の子が布に包んだお弁当箱を片手に近付いてきていた。
黒髪のボブカット。パッチリとした瞳に先ず目が向かった。
吸い込まれそうな黒曜石のような瞳。肌は程よく小麦色に焼けていて、そこにピンク色の可憐な唇が目立っている。
美春と同じくらいとは言わないが、その容姿は整っている。
派手さや天真爛漫な美春に対し、彼女は慎ましやかな雰囲気と素朴な可愛らしさがあった。
そんな美少女を目にして一瞬思考が停止してしまったが、ちょうど良いと思った。
彼女はどうやらこのジジイの関係者みたいだ。なら、この女の子に聞けばいい。
「あの! すみませ──ガハッ!?」
「ワシの孫に近づくんじゃねぇぇえ!!」
女の子に振り返った瞬間、後頭部に走る鋭い痛み。
それにより視界がグラグラ揺れ始め、意識が薄れていく感覚。
気が付くと、俺は地面の上に倒れていた。
「お、お祖父ちゃん!?」
美少女はビックリとした声を上げ、俺の身体を抱き起こしてくれた。
柔らかくて、とても良い匂いがする。でも、薄れ行く俺の意識はそれを楽しむ時間はないみたいだ。
ふと、俺の近くに無造作に落ちているものが目に入った。
木で出来た柄。それの先に繋がる鉄の板──
──あのジジイ、鍬を投げやがった……。
沸き上がる怒りをそのままに、俺の意識は暗転した。
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