第3話 『運命の日』



 美春と連絡が取れなくなって五日が過ぎた。

 いつもなら二日も経てば仲直りのメールや声を聞かせてくれるというのに、今回は違う。

 電話しても『お掛けになった──』などと機械質な音が返ってくるだけ。


 メールも来ないし電話も出ない。だからといって事故に遭ったわけではなく、ファンからの情報によるとしっかりと目撃情報はネットに出回っている。


「てことはやっぱり……避けられてるよなぁ」


 いつもとは違う。美春は本気で怒っているのだろう。

 溜め息を一吐き、俺はメッセージが一つも来ないスマホを見つめ、ポケットに仕舞い込んだ。


 悩んでいても仕方ない。連絡がつかない以上、時が来るのを待つしかない。

 俺は重い身体を引き摺り、大学へと歩いていった。




◇ ◇ ◇




 バイト漬けで重い瞼が憎い。

 不安で眠れない日々が続いたおかげで、身体は限界を迎えていた。

 だけど、ただでさえ着いていけてない講義を寝るわけにはいかない。

 目を見開いてなんとか睡魔が覗かせる講義を無事に終え、帰ろうとした時に近づいてくる青年。


「どうしたよ神谷。ずっと血走った目を向けて。あの教授、お前の方を見た瞬間に怯えてたぞ」


 呆れたように肩を竦ませる青年の名前は佐堂。

 高校の頃の同級生で、今でも交流がある謂わば親友のような存在だ。


「あまり眠れてねぇんだよ。ちょっと色々あってな」


「またバイトかよ。なんでそんなにバイトしてるんだよ。お前は休まずバイトしてるんだし、生活費に関しては別になにも問題は……」


「悪ぃ。こればっかりは理由を話せないんだわ」


 確かに佐堂が言った通り、俺には貯金に余裕がある。

 実際、明日の食べ物がない……というほど金に余裕が無いわけではないのだ。


 俺は毎年、『ある日』の為に貯金をしている。


 昔は親の庇護下にあったから、その日に用意する物に困ることはなかった。

 だが、今回は生活費がある。

 プレゼントとは別に生活費も稼がないといけないのだから、バイトすることは必要なことだ。


「どうしてだ?」


「まぁ……なんだ。二人で決めたことだからよ」


 二人で。

 一人は俺。もう一人は言わずもがな。

 高校の頃から親友の佐堂には、そのもう一人の姿が頭に浮かんだことだろう。


「成る程な……なら、仕方ないよな。これ以上は詮索しねぇから、安心しろよ」


 ニカッと歯を見せて笑みを浮かべる佐堂。

 こういう気遣いが出来る佐堂の性格を、俺はとても気に入っていた。


『──え? マジ!? ヤバイ!』


 そうやって二人で笑っていると、背後から女子の声が聞こえてきた。


『どうしたのよ?』


『安西信明、なんか交際が発覚したみたい』


『はっ? ノブちゃんに!? うーそーでしょ!』


 安西信明……この前、美春とロケしたっていう俳優か。

 その名前を聞くと、美春との喧嘩の事を思いだしてしまう。

 今日は大事な日なのに、まだ謝れてないのだから。


『ミキ、アンタ安西信明のファンだったもんね』


『ホントよホント。てか、最近人気出てきた俳優なのに交際が発覚するって、これからテレビに出るのも難しくなると思うよ』


 確かに新人のアイドルや芸能人の交際発覚は、これからの芸能界生命を立ちきるようなものだ。

 バレてしまった以上、安西信明はこれで人気が駄々下がりになるだろう。

 身勝手ながら、『ザマァ見ろ』と思った。


「さて、俺はそろそろ行くわ」


「今からまたバイトか?」


「いや、今日はちょっと寄るところがあるからな。バイトは明日たっぷり入れてるよ」


 大切な『あの日』──それは今日だ。

 今月分の生活費は貯金しているから、それ以外の金を全て銀行から下ろしてきた。

 大学の帰りに用を済ますことは可能だろう。


 今年はまだ美春と仲直りしていないが、彼女もこの日は忘れてないはず。怒っていてもきっと連絡してくれるだろう。


「そっか……んじゃまたな。バイト、頑張れよ」


「サンキュー。またな」


 軽く手を振り、俺は背を向けて講義室を後にした。

 今日の目的を果たすために、俺の足は自然と早足になっていた。



 ──『あれ? この交際相手って……』




◇ ◇ ◇




「ふぅ……なんとかギリギリだったな」


 手に持った買い物袋に目を向けて、俺はそう呟いた。

 あんなに数ヵ月もバイトしたと言うのに、それでもバイト代が殆ど無くなってしまった。

 元々買おうと思っていた物よりも高く、それでいて美しい物に目を奪われた。

 これなら美春も喜んでくれるだろう。


 それを俺は信じて疑わなかった。


「多分去年と同じで今年も家に来れないだろうしな。取り合えず写真とメッセージを送ればいいだろ。祝いは改めてやってもいいだろうし」


 去年のこの日には既にアイドルとして活動していた。更に忙しくなった美春が俺の家を訪れる余裕はないはずだ。

 家に帰ったらこのプレゼントの写真を送り、それで美春からの反応が見たかった。

 いつもよりも高価なプレゼントだ。

 特別な日に、素敵な物を贈られれば誰だって嬉しいはず。

 だって、


「今日は俺と美春が──付き合った記念日だもんな」


 二年前の今日。

 俺が告白し、美春が受けてくれたあの幸せな日。

 それを俺と美春は毎年祝うことに決めていた。


「それでプレゼントを贈って、好きだって言って、仲直りをしよう。そしてまた今度デートすればいいんだ」


 輝かしく光る未来に思いを馳せ、自分の家の玄関の扉に手をかけた瞬間。


 ──ブブッ!


 ポケットに忍び込ませていたスマホが振動し始めた。


「もしかして美春かっ!?」


 有り得ない話ではない。だって今日は特別な日だから。

 だけど、予想を裏切って画面に映るのは『佐堂』の文字。


「……はい。もしもし?」


『あっ! 神谷か!? 今どこにいる!?』


「どこって……今ちょうど家に着いたところだよ」


『ならちょうどいい! テレビを着けろ! ニュースにだ。今すぐ!』


「はぁ? 判ったよ。観てくるから一旦切るな? また掛け直す」


 佐堂の言葉を待たずに通話を切り、言われた通りにテレビの電源を着ける。

 それと同時にプレゼントを置こうと買い物袋から包装された箱を取り出した瞬間、耳に入ってきた言葉に、俺は咄嗟に画面を見た。

 見て、しまった。


「う、嘘……だろぉ……?」


 信じがたい現実が俺の目に飛び込む。

 一瞬で血の気が引き、頭がクラクラとする。

 頭を振り、倒れてしまいそうな身体をなんとか意識を保とうとしながら、俺は液晶に映る文字の意味を咀嚼していった。


「夢……じゃないのかよ……! どうして、どうしてだよ美春!」


 力なくだらりと垂れ下がった手からプレゼントがこぼれ落ちた。

 そこに入っているのは、きっと美春に似合うであろうネックレス。

 それを落としたことにすら、今の俺は気付くことが出来なかった。


 液晶に映る文字は、


『“俳優”安西信明と“アイドル”星空美春、熱愛発覚!?』


 というテロップだった。


 液晶には、美春の顔に自らの顔を寄せている安西信明の姿。

 十数年付き合っている幼馴染みの俺なら、彼女が美春本人であることは判る。

 写真の角度からは完全には判らないが、まるでキスをしているような二人の姿。



 ──今度こそ、遠い所で見えていた筈の美春の姿が、どこにも見当たらなくなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る