第87話 愛され過ぎてつらい

「……いえ、まだコレはほんの実験段階なので、目の前の小さな空間の時間をちょっと巻き戻すのが限界です。そんな大それた事はとてもとても」

 ミニアさんは謙遜したように笑っているが、心なしか勝ち誇ったような顔をしている。


「私達エルフ教は平和を愛しています。医療への転用はともかく、戦争なんてそんな恐ろしい事はとても考えられません」

 ルチルさんが言えば、ミニアさんとラピスさんがうんうんと頷く。


「……それを聞いて安心しました」

 私はできるだけ自然な笑顔で答えたけれど、安心なんてできる訳がない。

 ミニアさんの正体がハンナさんだとしたら、少なくとも彼女は既に七百年前、ニコラスの時間を止める事に成功している。

 彼女の目的が何かは知らないけれど、ニコラスが恋しいというのなら、喜んで差し出すので勘弁して欲しい。


 それから私達はしばらくモフモフ教の近況や、私やニコラスの個人的な近況を聞かれたけれど、正直生きた心地がしなかった。

 ミニアさんの反応を見るに、明らかにニコラスにまだ未練があるようだったけれど、当のニコラスは全く気づいていないどころか、天然でハンナさんの神経を逆なでして私は気が気じゃなかった。

 帰ったら説教だ。




「レーナさん、ニコラスさん、今日はお話を聞かせていただきありがとうございました。もしかしたらまた近いうちに研究の為に訪ねることがあるかもしれませんが、その時はどうぞよろしくお願いします」

「いえ、その時は私もミニアさんから古代魔術についてのお話をお聞きしたいです」


 日がすっかり傾いた頃、やっと私達は解放された。

 表面上は平和的にエルフ教の人達と別れたけれど、ハンナさんの脅威を考えると、生きた心地がしなかった。

 また訪ねてくるみたいな事を言っていたけれど、勘弁して欲しい。


 だいたい、時間を操作するってどうやるのよ!?

 でも、実際にハンナさんが出来ているという事は、事実上可能という事で、何か方法があるはずだ。

 そんな事を悶々としながら転移魔法でニコラスと家に帰れば、辺りはもう暗くなるというのに、誰もいなかった。


「まだアン達は帰っていないようですね。どうしますか?」

「そうね、まだ夕食も食べてないようなら一緒に食べましょうか」

 私は昼にアンナリーザに渡していた人工精霊に自分の人工精霊を通して呼びかける。


「アンナリーザ? 今どこにいる? 夜ご飯はもう食べた?」

「あ、ママ? いまね、リッカさんとご飯食べてるの。クリスがママに会いたいって泣き出しちゃったから来てあげて」

 アンナリーザはすぐに呼びかけに答えたけれど、その返事の内容に私は固まる。


「……アン、今どこにいるの?」

「ご飯やさん!」

「……どこのご飯やさんかわかる? お店の名前とか」

 元気に応えるアンナリーザに違うそうじゃないと思いつつ、私はここで怒ってはダメだと自分に言い聞かせて店名を尋ねる。


「えっと……広場から少し離れた所にあるご飯やさん! 名前は……なんだっけ?」

「以前俺が君にご馳走になった店だ。リッカ嬢の名前を出して合流しにきたと言えば大丈夫だろう」

「そう、わかったわ。ありがとうジャック」

 うーん、と悩むアンナリーザの後に、話を聞いていたらしいジャックが代わりに店を教えてくれた。


 アンナリーザの話からただならぬ気配を感じた私は、急いでニコラスと転移魔法で店に向かう。

「あらレーナさん、皆さんもうお食事始めてますよ。今、お部屋に案内しますね」

 店に着けば、初対面のはずの給仕のお姉さんが私の顔を見るなり笑顔でアンナリーザ達がいる部屋に案内してくれた。

 ……お祭りの時も感じたけど、なんだか知名度が虫の一件でかなり上がってしまっている気がする。


「レーナぁ~会いたかったよぉ~」

 部屋に着けば、顔を真っ赤にしてべろんべろんに酔ったクリスが酒の匂いをさせて私に抱きついてきた。

「随分と酔ってるわねクリス……」

 クリスは普段から深酒するタイプではないし、多分リッカさんに飲ませられたのだろう。


「ママー私もぎゅーってしてー」

「ネフィーもっ!」

 抱きついてくるクリスを受け止めてやれば、アンナリーザとネフィーもわらわらと寄って来る。


「はいはい……とりあえずジャックは何があったか教えてくれる?」

 とりあえずクリスを一旦席に座らせてからアンナリーザ達の相手をしつつ、ジャックに尋ねる。

「ああ、そちらのリッカ嬢とさっき広場で会ってな、夕食をご馳走してくれるとの事なのでその言葉に甘える事にした」

「け、敬愛するレーナさんのお話をご家族やご友人から色々と聞きたくて……」

 ジャックがリッカ嬢の方を見て言えば、リッカ嬢は気まずそうに答える。


「そうですか、それでクリスがこんなにベロベロに……」

「すいません、レーナさんのお話が聞きたくてついついお酒を勧めすぎてしまいました……よろしければレーナさんもご一緒にいかがでしょうか?」

 私がクリスを見れば、リッカ嬢が申し訳なさそうに私に言う。


「クリス、大丈夫なの?」

「うん、レーナが来てくれたから平気ー」

 私が尋ねれば、クリスは机に倒れながら笑う。


「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」

 そう私が答えた直後、部屋に燕尾服を着た初老の男の人がやって来た。

 男の人は部屋の中を見渡すと、リッカさんの近くへ行くと、

「……リッカ様、コレは一体」

 とか、リッカ嬢とコソコソと話し出した。


「失礼いたしました。どうもすぐに駆けつけなくてはならない急用ができてしまったようで、レーナさんのお話を是非聞きたかったのですが、ここで失礼させていただきます。支払いはもう済ませてありますので、皆様はどうぞごゆるりとおくつろぎください」

 男の人との話し合いを終えたリッカ嬢は、私達の方を振り返ると、申し訳なさそうに謝る。


「えー、リッカさん帰っちゃうの?」

「ごめんなさいね。アンナリーザちゃん。また今度遊びましょ」

 アンナリーザが不満そうにリッカ嬢に言えば、リッカ嬢がアンナリーザに目線を合わせながら答える。


「そっかぁ、わかった。また遊びに来てね」

「リッカ、ばいばーい」

「ええ、また来るわね」

 アンナリーザとネフィーとも別れの挨拶をすると、リッカ嬢は私達にもまた挨拶をした後、従者と思われる男の人の転移魔法で消えてしまった。


「随分とアンはリッカさんと仲良くなったのね?」

「うんっ」

 私が尋ねれば、元気良くアンナリーザは答える。


「……その胸に着けてるブローチはどうしたの?」

「リッカさんから貰った!」

「そう、ちゃんとお礼は言った?」

「言ったよ!」


 アンナリーザの胸に輝くブローチを見れば、細かな花の細工がとても綺麗なピンク色のもので、アンナリーザが好きそうなデザインだった。


「……じゃあ、ネフィーのそれもリッカさんから?」

「うん! ネフィーちゃんとお礼言ったよ! かわいい?」

 キラキラと輝く髪飾りのようなものを葉っぱの茂った枝にぶら下げながらわくわくした様子でネフィーは言う。

「そうね、可愛いわね」


 どうやら二人共すっかり買収されていたようだ。

「ふむ、宝飾品のプレゼントですか……なるほど……」

 横でニコラスが何か思いついたようにブツブツいっているけれど、今はそれどころじゃない。

 どうしよう、完全にリッカ嬢もミニアさんも今後定期的に我が家にやってくる気配しかしない。


「レーナ、あのリッカという娘は何者なんだ、料理のいくつかに睡眠を促す薬が入っていたぞ」

「…………は?」

 これから一体どうしたものかと考えていると、ジャックがボソッととんでもない事を耳打ちしてきた。


「彼女は……魔術学院の学長の知り合いらしいわ。クリスが初恋の人に似てるとかで気になってるみたい……薬を盛られたのなら、全員無事だけどどうやって切り抜けたの?」

 とりあえず、彼女の正体はぼかしつつ、私はジャックに話の詳細を求める。


「香草と間違えて毒草が入っている、似てるので料理人が間違えたんだろう。俺はにおいでわかると言ったら、すぐに血相変えて店主に同じ物を作り直してもらうと出て行ったよ。次は普通の料理が出てきた」

「なるほど……」

 そう答えながら私はゾッとする。


 もし、気づかず全員が睡眠薬を盛られた料理を食べて昏倒していた場合、彼女は何をするつもりだったのか。

「……というか、さっき迎えにきた従者の人、転移魔法使えるみたいだったけど、全員眠った所で僕を攫う気だったんじゃという気がしてならないんだけど……」

 私とジャックが話していると、後ろから暗い声が聞えて、振り向けばクリスが水を飲みながらため息をついた。


「……まあ、その可能性はあるでしょうね」

「怖い、ねえ、本気で怖いんだけどレーナ」

 私が頷けば、クリスが心底参った様子でうなだれる。

 どうやらやたら私を呼んでいたのは言い寄って来るリッカ嬢をかわすだけでなく、本気で助けを求めていた側面もあったようだ。


「そこで一つ提案がある」

「なにかしら?」

「レーナもクリスも獣人化して鼻が人間より効くようになれば、毒を盛られても怖くはないぞ」

 私が尋ねれば、ここぞとばかりにジャックがクリスに獣人化を勧めて来た。


「そうか、獣人化にはそんなメリットが……!」

「クリスがそうしたいっていうなら止めないわ……どうしたのよジャック」

 クリスは精神的に追い詰められているせいか、結構真面目に獣人化について考え始めた。


 まあ、クリスがどうしてもと言うのなら、別にそれでも良いけれど、乗り気な様子のクリスを前にしたジャックは、なぜか自分で勧めたくせに固まっていた。

 あっさり前向きに検討されて驚いたのだろうか。


「こうして誰かに必要とされて、役に立つというのは素晴らしい事だなと思ってな……獣人化すれば薬を盛られてもすぐわかるし、身体能力も上がって、身体の抵抗力も上がる……やはり人類は皆獣人化すべきだな!」

「いや、それは違うと思うけど」

 感極まった様子で言うジャックに思わず私はつっこんだ。


「クリスもモフモフになるの? お揃いだね!」

「アン! 私もその気になれば自力でモフモフに化けられますよ!」

「いーなー、ネフィーもモフモフになりたいー」


 そして、さっきまで三人でわちゃわちゃと私達とは別に話していたのに、クリスが獣人化すると言う話をした途端、アンナリーザが話に入ってきて、釣られるようにニコラスやネフィーも何か言ってくる。

 ニコラスやクリスにただならぬ思いを寄せている女子二人の事も考えなければならない。


 けれど……。


「レーナさん、ご注文はお決まりですか?」

「…………ええ、じゃあこのメニューに載ってる果実酒をここからここまでそれぞれ一本ずつボトルでもらえるかしら?」

 ちょうどやって来た給仕のお姉さんにお酒を注文する。


「レーナ!?」

 ずっと追い詰められたようにどうしようとブツブツ呟いていたクリスが驚いたように声をあげるけど気にしない。

 目の前の問題はもはや私一人でどうにかできるようなレベルのものではないし、皆で情報を共有して考えるのが良いだろう。


 けれど、今の私にもここにいる面々にも今夜はそんな気力は残ってなさそうなので、ここ一旦仕切りなおして明日にでもまた話し合ったほうがいいだろう。

「つまり、今日は飲んでも許されるのよ!」


「どういう事!?」

 そうして私は考える事を放棄した。

 横で酔いが醒めたクリスが何か言ってるような気もするけれど気にしない。


 ……つらい。


 クリスもニコラスもとんでもない人物達から愛され過ぎてて、しかもその愛憎劇に強制的に巻き込まれてつらい。

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