第86話 ハンナさん

「彼女、ハンナはとても魔術に秀でていました。私も彼女に魔法を教わったりしましましたが、魔法の腕は彼女の足元にもおよびませんでした……そう、彼女ならレーナと良い勝負をするかもしれません」

「……失礼ですが、レーナさんはそんなにお強いのですか?」

 ミニアさんが私をじっと見つめる。


「ええ、全力で勝負を挑んだ私に、明らかに余力を残した状態で完全勝利しましたからね」

「なんというか、さすがあのアンナリーザちゃんのお母さんですね……」

「ルチル様、アンナリーザちゃんは七歳でオフィーリア魔術学院の最年少合格記録を最近更新しましたが、その更新される前の記録はレーナさんの十歳です」

「……なるほど」


 なぜか楽しそうに話すニコラスが話せば、ルチルさんが納得した様子で私を見る。

 横からラピスさんがルチルさんに解説すれば、ルチルさんは大きく頷いた。

 何がなるほどなのか。


「恐らくあのハンナでも、レーナを倒す事は難しいでしょう」

「ちょっと、人を好戦的な戦闘民族みたいに言わないでくれる?」

「しかし、強いというのは、間違いなくレーナの長所ですよ?」

 うんうんと頷きながら言うニコラスに文句を言えば、なぜそれで文句を言われるのかわからないという顔でニコラスが言う。


「……まあ、あそこで勝ってないとあなたは私のいう事聞かなかったでしょうしね」

「…………なるほど、そうですかそうですか、つまりニコラスさんはレーナさんの並外れた戦闘能力に惹かれ、一緒にいると、そういうことですね?」

 ため息混じりに私が言えば、早口でミニアさんがまくし立てる。


「いえ、確かに私がレーナに従うようになったのはレーナに負けたからですが、別に私が勝っていたら家長が私になるだけですよ?」

「……は?」

 ニコラスの言葉に、ミニアさんが固まる。


「つまり、その時点で家族になって一緒に暮らす事は決まっていて、二人は家長の座を賭けて戦った、という事ですか?」

「まあ、そういう事になるのでしょうか。二人ではなく、クリスも参加していたので三人でですが」

「「「えっ……」」」


 ルチルさんの問いにニコラスが答えれば、エルフ教の三人が凍りつく。

 言い方に語弊があるけれど、あながち間違ってもいないので、どこから正せばいいのかわからない。


「つまり、その時点でレーナさんのもう一人の夫であるクリスさんも一緒に暮らす事を了解していて、その上で三人で家長を決める戦いをしたと……?」

「えーっと、それに関してはどう説明したら良いのか……」

 信じられないものを見るような目でミニアさんが私を見てくる。


「では、ニコラスさんはレーナさんのどこにそこまで惹かれたのですか?」

 ミニアさんは気を取り直してニコラスに質問をする。

 質問する箇所はそこでいいのだろうか。


「…………………………包容力、でしょうか」

 ニコラスはしばらく考える素振りを見せた後、答える。

 その意外な答えに私は首を傾げる。


「包容力?」

「レーナは私が何をしても何を言い出しても決して見捨てたり追い出したりはしないので」

 ミニアさんが聞き返せば、ニコラスはその理由を答える。


 ……私は妙に納得した。

 それは単にニコラスを野放しにするくらいなら使い魔にして首ねっこを掴んでいた方がまだ安心できると考えたからなのだけれど。


「他者への慈愛と受容……モフモフ教の教えですね」

 感心したようにルチルさんが呟く。

 違います。

 というか、私はそんなモフモフ教の教えを説いた事なんて……あった。


 そういえばこの前の集会でなんかそんな事を言った気がする。

 ただモフモフ教の噂話を少しいじって軌道修正しただけだけれど。

 適当な事を言って注目を引きつけた後、精神干渉魔法でどうにかしようと思っていたのに、あの虫の騒動のせいで色々と台無しだ。


「あとは顔でしょうか」

 私が密かにダメージを受けていると、ニコラスがポツリと言った。


「顔……」

 まじまじとルチルさんが私を見つめてくる。

「ええ、初めて会った時も美しい人だとは思っていたのですが、最近、レーナ以上に美しい女性はいないのではないかと思い始めまして……アンもきっと将来はレーナのような美人になるのでしょうね」


 うっとりとした様子でニコラスは言う。

 それは単にアンナリーザが私とそっくりなので将来のアンナリーザの姿を重ねてるだけだろう。


「はいはい、それは良かったわね」

「ええ、とっても!」

 ため息交じりに私が言えば、ニコラスは満面の笑みで頷く。


 ゴンッ!


 直後、鈍い音が聞え、何事かと音のした方を見れば、ミニアさんがテーブルの上に倒れるように頭を撃ちつけていた。


「えっ、大丈夫ですか……?」

「いえ、少しお二人の睦まじい空気に当てられてしまっただけなのでお気になさらず……」

 恐る恐る私が尋ねれば、ミニアさんが笑顔で答えるけれど、目が笑っていない。

 この反応はまさか……。


「……そういえばニコラス、ハンナさんってどんな人だったの?」

 まさかここきていきなりハンナさんがニコラスの様子を見に来たとか、そういうことじゃないだろうなと思い、私は雑談を装ってニコラスに尋ねてみる。

 直後、ミニアさんの視線はニコラスへと映る。


「ハンナですか? ハンナは私の姉のような存在でしたよ。度々知り合いに紹介してくれと頼まれたりする程には人気があったのですが、あまり色事には興味が無かったみたいですね」

「ふーん、じゃあきっと美人さんだったのね」

「レーナ程ではありませんよ。それに、前にも言いましたが、彼女は私にとっては親代わりのような存在だったのでそういう対象ではありません」


 バリンッ!


 ガラスの割れる音がして私がミニアさんの方を見れば、彼女は持っていたティーポットを片手で握り潰していた。

「あら、どこかヒビでも入っていたのかしら、急に割れてしまいました」


 仮にヒビが入っていたとして、なぜミニアさんはわざわざ取っ手を持たずに熱を持った本体を持っていたのかとか、明らかに壊れ方が握られた所だけ割れてますよね、とか、そんな言葉を私は飲み込む。

 この反応は、本当にもしかしたらもしかするかもしれない。


 零れたお茶がテーブルクロスやミニアさんのドレスを濡らし、握り締めたままのミニアさんの手からは破片を握りこんでいるのか血が滴っていく。


「あの、早く治療を……」

「いえ、それには及びません……リワインド!」

 私の言葉を遮ってミニアさんが呪文を唱えれば、先程零れたお茶やポットの破片、ミニアさんの傷などがたちどころにもとに戻っていく。


「部分的に時間を巻き戻す魔法です。古代魔法の応用で思いつきました。このように古代魔法の研究は、新しい魔法を生み出す事にも繋がるのです」

 にっこりとミニアさんが笑う。


 物を直したり傷を癒すというのではなく、時間そのものを操って巻き戻す魔法というのは、私も初めて知った。

 昔、私も似たような事を思いついたものの、結局時間を操作する魔法を完成させる事は出来なかった。

 途中で興味がホムンクルス製作の方に向いてそっちに没頭していたというのもあるけれど。

 それにしても、まさか時間操作の魔法が完成していたなんて。


「すごい……」

「そうなのですか?」

 思わず私が呟けば、ニコラスが尋ねてくる。


「もしコレを医療に応用できれば不老不死の実現も可能だろうし、戦闘に応用すれば、一人で国同士の戦争だってひっくり返せるかもしれないわ……」

 言いながら私はハッとする。


 彼女がもし私の予想通りハンナさんだったとして、彼女が時間を操る魔術を完成させていたとしたら……。

 そもそも、ニコラスがただ氷付けにされただけで七百年も生きたまま当時の状態をそのまま保っていたなんてまず考えられない。


 ニコラスの身体を長期保存する何らかの術式がその時に組まれたのだろうという事はすぐに予想がつく。

 そしてもし、それが相手の時間を切り取って停止させるものだったとしたら……。


 そこまで考えて私は一気に血の気が引いた。

 私は今、とんでもない相手に目を付けられてしまったのかもしれない。

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