第73話 ニコラス、飛ぶ

「落ち着いてください! 少なくともここにいれば安全です!」

 場を沈めようと私は声をあげる。


「でも、家には足の悪い母がいるんだ!」

「うちの両親も家に……」

「子供が友達と朝から遊びに出かけてるわ……!」

 けれど、その後すぐに身内の心配をする声が広がる。


「レーナ、僕の剣出せる?」

 どうしたものかと思っていると、クリスが横から尋ねてきた。

「ああ、それならストルハウスに入れてるから今なら……ネフィー! 一番上の層からクリスの剣取れるー?」

「まってー、うーんと……あったー!」


 ネフィーは少ししてから天井からクリスの元につるを伸ばし、そのつるの先にはストルハウスにしまっておいた剣がある。

 貴重品をしまう倉庫として、私はネフィーの魔力を使ってストルハウスを常時展開させていた。

 けれど、もし突然魔力が供給されなくなったらストルハウスにしまっていた物はどうなるのか?

 ストルハウスはいわば魔力によって作り出された別空間なので、魔力の供給が途絶えればしまっていた物は術者の側に放り出される。


 私はもしネフィーが何かの拍子に魔力を使いきって貴重品をその辺に放り出されては困ると、ネフィーの身体の最上部にある部屋の中にある魔法石を使ってストルハウスを展開させた。

 そうしておけば、もしネフィーが魔力切れを起こしても貴重品はその部屋の中に転がるだけだ。


「ありがとうネフィー、それじゃあちょっと町の人達をここに連れてくるよ。あれ位なら僕にも何とかできるし」

 クリスはネフィーから剣を受け取ると、窓枠に足をかけて振り返る。


「私も手伝う! モフモフだからいっぱいぴょーんってできるし、早く動けるよ!」

「ううん。外は危ないし、ネフィーは頑張ってるけど、もしかしたら打ち漏らした魔物が来るかもしれないでしょ? だからアンは中で皆を守ってて欲しいな」

「わかった! 私頑張る!」


 横からアンナリーザが意気込んだ様子でクリスに言う。

 けれど、クリスがにっこりと笑ってアンナリーザに中で他の人達を守るように言えば、アンナリーザは心得たとばかりに胸を張る。

 魔物が自分の身体によじ登ってきたとしても、ネフィーが打ち漏らす事はまず無いだろうという事は、以前一緒に特別危険生物の討伐に行ったクリスなら身を持って知ってるはずだ。


 ……すっかりアンナリーザの扱いを心得ている。

 なるほど、こう言えばアンナリーザは大人しく待ってるんだな、と窓から魔法も無しに軽やかに跳び下りて魔物を狩るクリスを見ながらちょっと感心した。

 アンナリーザにはただ大人しく待っているようになんて言っても絶対言う事を聞かないのを私達は知っている。


「そうだ、若い奴だけにまかせておけねえ!」

「俺、獣人化してから、かなり足速くなったんだ、きっとあれ位の魔物なら振り切れるさ!」

「私もこの姿になってから、脚力には自信があるの!」


 そして、そんなクリスの勇姿に触発されたのか、獣人化した人や、元から体力には自身のあるらしい人達が、我も我もとこの辺の住民をネフィーの中に避難させるべく声をあげ始めた。


「魔法が使えなくたって、魔物が出てきたって、ここは俺達の町だ! こんな訳のわからない事で大切な人を亡くしてたまるか!」

「そうだ!」

「そうだ!」

 さっきまでうろたえていた人達が、急に元気付けられたように口々にこの状況で自分にできる事を模索し始めた。


「……結界や魔物はともかく、魔法はどうにかなるかもしれないわ」

「どういう事ですか?」

 私が呟けば、急にざわざわとしていた周囲が静まる。

 隣にいたニコラスが聞き返してきた。


「今この辺には魔力を強制的に霧散させるような術式が展開されているようだけれど、魔術は魔力が無ければ発動しない。でも外の結界は魔術だから、結界の内側にある魔力を霧散させる術式を崩せば、魔術系の物は全て復活するはずよ」


 考えてみればなんてことない、当たり前の事だ。

 こんな簡単に思いつくのだから、当然犯人も何かしらの対策はしてそうなものだけれど、どの道実際にその術式を確認してみない事にはわからない。


「術式を崩すにも魔法が使えない今、移動が手間だけど……ニコラスなら魔法が無くても飛べるわよね」

「無論です」

「という訳で私は今から出来るだけ早く魔法を復活させるから、体力に自信ない人はそれまで無茶しないで待っててちょうだい」


 私が話し終われば、少し間を置いて、静かに頷いたり短い返事が方々から返って来た。

「予断を許さない緊急事態だけど、被害を最小限に出来るよう、今はそれぞれに出来る最善を尽くしましょう!」

「「「「おおおおおおおおお!!!!!!」」」」

 今まで事態を静観していた母がそう声をあげれば、皆が気合を入れるように雄叫びをあげる。


 とりあえず、もう後の事は任せて良さそうだったので、私はニコラスの背に乗り、町の外側へと向かうことにする。

「ママ!」

 ネフィーに声をかけて窓をニコラスも通れる位に開いてもらったところで、アンナリーザがどこか不安そうな顔で私に声をかけてきた。


「大丈夫よ。アン、皆の事をお願いね」

 私はできるだけ優しく微笑んでアンナリーザに言う。

「……! うん、わかった!」

 アンナリーザは一瞬ハッとした顔になると、力強く頷いた。

 よし、これでアンナリーザも大人しく待っていてくれるだろう。




「レーナ、ネフィーの空になった魔法石を気に留めていたようですが、魔術式が魔力を勝手に消費させる物だった場合、結界を壊してもすぐには魔法を使えないのでは?」

 移動中、ニコラスが不思議そうに尋ねてきた。


「大丈夫よ。今日はいい天気だし、これなら多分いけると思うわ」

「……ああ、なる程」

 少し間を置いて、ニコラスは納得した。

 今日は雲ひとつ無い晴天だ。

 魔力を勝手に放出される事だけを防げれば、後は日光を元にネフィーがどんどん魔力を生産してくれる事だろう。


「昨日私が魔術印を描いた場所よりも外、そして外に出させない結界よりも内側、その辺を飛んでちょうだい」

「わかりました」

 私の指示を聞いて、ニコラスはまっすぐ町の外へと向かう。


「こういう広範囲で発動するタイプの魔術は、発動させたい場所を囲むように目的に合わせた印を置いて全体で巨大な魔法陣を形成するか、放射線状に効果を発揮する魔術道具をあちこちに沢山置くかなんだけど、状況からして多分前者ね」

「そうなのですか?」


「個別に魔法道具を置くとなると、この町全体をカバーするのにとんでもない手間と費用と魔力がかかるもの。それに、町を囲むように魔法陣なり魔術印なり描いて術を展開するなら、準備の時に対策もしやすいわ」

「なるほど、さすがに詳しいですね」


「私ならまずそうするもの。そして魔法陣なり魔術で町を囲うタイプの魔術は術の要となる魔法陣や魔術印が一箇所でも崩されたらもう発動できないわ」


 だから考えられる対策としては、町を囲う魔法陣または魔法印を潰しに来る人間を撃退する何かを仕掛ける事だけれど、犯人が一体何を仕掛けているのかはわからない。

 そもそも、なんでこんな事をするかという目的も不明だ。


「レーナ、例の魔法陣というのはアレじゃないですか?」

「……ええきっとそうね」

 そうこうしているうちに町の外れへ近づいてきた。


 ニコラスの言葉に顔を上げれば、少し先に人の頭位の大きさの魔法石とその魔法石を囲む三つの魔法陣が見えてきた。

 広い草原に魔法陣を描く為にそこだけ草が抜かれて地面がむきだしになっていたのですぐわかる。


 魔法陣が発光しているところを見ると、三つとも稼働中らしい。

 そして、その魔法陣の一つからは町で人を襲っていたクモの魔物が次々と召喚されている。

 他二つは状況からして魔術封じのものと街から出られないようにしている結界だろう。


 町には他の種類の魔物も沢山いたから、たぶん町を囲むように設置されたこの魔法陣郡にそれぞれに違う種類の危険な魔物の召喚用魔法陣が入っている。

 しばらく私は上空から三つの魔法陣を観察してみたけれど、危険な魔物が次々出てくる以外は魔法陣を見ても特に特別な術式が組んであるようには見られない。


 召喚された魔物達も時々町の外に向かおうとしてはバチバチと電撃を受けている事から、特に特別な命令があるようにも見えない。


「魔法陣は町の内側から魔術封じ、魔物召喚、結界用の物ね……ニコラス、魔物が外に出るのは危険だから、とりあえず手前二つの魔法陣だけ崩せる?」

「わかりました」

 ニコラスは返事をするなり上空からしっぽで地面に描かれた魔法陣を破壊しようとした。

 けれど、その直後、私達は空中へと吹き飛ばされた。

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