第71話 ニコラスの誘惑
「数年は赤灯竜の村で暮らしていました。彼等は同じドラゴンに対しては寛容だったので。けれど、私が人型の姿になり、かつての生活を懐かしむ事に関しては変わり者扱いされていました」
どこか拗ねたように、ニコラスが私が座るしっぽの位置はそのままに大きな身体を横たえる。
「まあ、今はドラゴンにとっての人間なんて、生活を脅かす脅威だものね、人間にとってもそれは同じだけれど」
「そしてある日、事件は起こりました」
「事件?」
一体何が起こったというのだろう。
「私はこっそり人里で買い集めたり、捨てられた物を拾ってきたりして人間の家具等を洞窟に集めてちょっとした部屋を作っていたのですが、当時言い寄られていた女性にそんなつまらない趣味より一緒に狩りに行こうと洞窟ごと吹き飛ばされまして……」
「それは……辛かったわね」
「……レーナは、わかってくれるのですか?」
ニコラスが私を覗き込むようにこちらを見てくる。
「まあ、それがどれだけニコラスにとって大事だったのかはわからないけど、私も自分の研究室をそんなつまらない理由で吹き飛ばされたら怒るもの」
実際、そんな事されたら報復に相手の家を吹き飛ばす位はするかもしれない。
「そうですね。でも、赤灯竜の集落では誰も私の言い分を理解してくれませんでした。そうして私は彼、彼女等と喧嘩別れして遠く離れた暗がりの森で一人暮らし始めてしばらく経った時、アンと出会ったのです。アンは私の全てを笑顔で受け止めてくれて、家族になろうと手を伸ばしてくれたのです……!」
「はいはい、でもアンを大切に思うなら、とりあえずアンが大人になるまで待ちましょうね」
どうやらここで今のニコラスに繋がるらしい。
「そんな事をしていたら、アンは今の時点で十分に魅力的なので、あっという間にかっさらわれてしまいます! 現にテオバルトやエリックといった悪い虫が既についているではありませんか!」
「どちらかというと私からすればニコラスの方が悪い虫だけどね」
ニコラスは随分と心配性なようだけれど、テオバルトは妻であるローレッタにぞっこんだし、エリック君もまだ子供だ。
まあ、あと数年して二人が色気づいてきたらわからないけれど。
「なぜです!?」
「なんでもよ。そんな事より、結局ニコラスは何が言いたいのよ、これだけつらつら身の上話をしたからには、何か私に言いたい事があるんじゃないの?」
「そうでした、つまり、今の世界はドラゴンの私にとってとても生き辛い世界なのです。ドラゴンの社会では馴染めず、人里で暮らしたくてもドラゴンとバレればそれだけで討伐対象になり、そのうえ周りの者達と明らかに寿命が違う」
「まあ、そうね」
ニコラスが私の使役術式をかけるという提案をした時、あっさりと受け入れたのはそういう理由もあるのかもしれない。
人里で暮らしたいニコラスにとってはドラゴンとバレるだけで死活問題に直結するけれど、人間である私の使い魔という事にすれば、少なくとも討伐対象とされることは無いだろう。
「せめて、私の血を引く子供達がいれば寂しくないのですが……」
「言いたい事はそれだけかしら?」
気持ちはわからなくもないけれど、だからといってじゃあどうぞとアンを差し出すという選択肢は無い。
「いえ、端的に言ってしまうと、レーナは私の希望なのです」
「希望?」
「種族そのものを変える魔法を習得し、それを広め、他種族に対して寛容な社会を作り上げようとしている。獣人は種類によっては五百年は生きる者もいました。人間は後八十年もすれば皆死んでしまいますが、もし人間の寿命が獣人化により延びれば、私は死ぬまでの四百五十年、きっと寂しくありません」
「…………もしかして、ネフィーを引き取るように仕向けたのはそれが理由?」
トレントは千年単位の寿命を持つ、この世界の知的生命体の中では最も長寿な種族だ。
しかし寿命が長いせいで大体少し挨拶するのに数時間かかったりする程に気が長い。
だけど、生まれが特殊なネフィーは普通にコミュニケーションが取れる。
「ネフィーの場合、滅多な事が無ければ私が先に死ぬ事になるでしょう。獣人化魔法による獣人の寿命が延びるかは今の所不明ですが、こっちはある程度確実です……まあ、獣人化魔法で寿命が延びたアンと結ばれるのが私としては一番幸せなのですが」
「つまり、それがニコラスがモフモフ教を広めたい理由?」
「それもありますが、今の世界は色々と窮屈なので、モフモフ教を通してもっと解放的な世界になればいい、とも思ってます」
なんだかかなりスケールの大きな話になってきた。
「私は、別に今の世界に不満なんて無いわ」
「そうでしょうか、レーナは今の世界の窮屈な倫理感を、不服に思っているのではないですか? 主に研究方面で。実家を飛び出した原因も研究を周囲に非難されたからだと聞きます」
「…………」
まあ、今の世界に全く不満が無い訳じゃない。
「レーナ、あなたなら、この世界を変革させる事だってできるはずです。何者にも邪魔されず、むしろ多くの者から必要とされて無限の資金を得て思うがままに好きな魔術を研究する事だってできるのです」
「別に、そんな事は今だって……」
なんだかんだで苦労はあるものの、私は十分自由にやっている。
「もっとおおっぴらに出来るようになりますよ」
「…………」
「それに、レーナはこの町の人々と随分価値観が違って苦労しているようですが、彼等の価値観をレーナの物に塗り替える事だってできますよ。今はまだレーナの思うように行かなくても、この先何年、何十年とかけて彼等の意識を誘導していけば……」
……それではまるで洗脳じゃないか。
「私は、個人の意思を尊重するわ」
「なら、彼等が自らそう望むのなら、何も問題ないではありませんか」
ニコラスがそう言った直後、私が座っていたしっぽが急に振り上げられ、私の身体は宙を舞う。
「きゃっ!?」
突然の事に驚きつつ、浮遊魔法を使って着地しようとした時、私は人型になったニコラスに空中で抱きとめられた。
「……私に何を望んでいるのよ」
「レーナ、あなたなら、きっとこの窮屈な世界を壊して新しい世界を作り変えることができるはずです。そしてもしあなたがそれを望むのなら、私はその夢を実現する為に全力で手助けさせてもらいます」
私を抱きかかえながらニコラスは更に空中へと飛び上がる。
「それはニコラスの夢でしょう。要は今の世界が気に入らないから、私を使って作り変えたいのね」
「レーナ、私は以前の世界を心から愛しています。そして、あなたのような人間は、そんな世界でこそ存分に能力を発揮できると確信しています……レーナ、私と一緒にこの世界を壊しませんか?」
町の灯りがすっかり消え、足元には真っ黒な町並みが広がり、頭上では満天の星空と満月が近い月の光が私達を照らす。
「随分壮大な口説き文句ね」
「私は今の窮屈な世界が我慢ならないのです。きっとアンだって、七百年前のような世界の方がのびのびと自由に生きられる事でしょう。私は、あなた達
うっとりとした顔でニコラスは言うけれど、私までアンナリーザと同じ、何をするのかわからない人間にカテゴライズされているのは納得いかない。
だけど、アンナリーザの為と言われて私は考える、アンナリーザがのびのび生きられる世界……。
「…………その場合、大人になったアンが男をとっかえひっかえして三人位の男と重婚しても、文句はないって事ね?」
「文句はありませんが嫌なので、その場合、全力で阻止します」
即答したニコラスに、思わず私はふき出した。
「結局嫌なんじゃない……アンの事だから、私の研究成果を全て引き継いで自力で色々出来るようになったら、それこそ社会や世界なんて気にせず好き勝手にやるだろうし、もしニコラスを本当に好きになったら、本気で寿命を延ばす研究とかしてちゃんと成果を出すわよ」
「……そう、でしょうか?」
どこか疑うような、不安そうな様子でニコラスが聞き返してくる。
「アンは将来、間違いなく私以上の魔術師になるわ。そんなアンにかかれば寿命を飛躍的に延ばすことだって簡単よ。本当にアンがそうしたいと思えば、きっとそうなるわ」
「本当に、そうなると思いますか?」
眉間に皺を寄せて、どこか
「ええ。ただし、それはアンが本気でそうしたいと思った場合だし、私は本人達の意思を尊重するわ」
「……つまり、私はアンにその研究をしてくれるよう願えばいいのですか?」
大きく頷いて私が答えれば、ニコラスは不思議そうな顔をして首を傾げる。
「そうね、今はまだ子供だから難しい事はわからないと思うけれど、アンが将来大人になった時にニコラスと生きたいと願うのなら、私は反対しないし、アンもニコラスの願いを本気で叶えようとしてくれるんじゃないかしらね」
「レーナ……」
「だから、世界がどうとか、社会がどうとかそんなめんどくさい事考えてないで、どうやったら大人になったアンから好かれるような男になれるか考えなさい」
「はい……!」
感極まった様子で瞳を潤ませながらニコラスは頷く。
……よし、これでなんとか今回の作戦において一番の危険因子であるニコラスを丸め込む事が出来た。
後は当日の精神干渉魔法が上手く作動して皆の意識の中からモフモフ教への興味がすっかり薄れる事を祈るだけだ。
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