第70話 ニコラスの身の上
「私はドラゴンの中で唯一自在な変化能力を持ち、特に長い寿命を持つ黒竜という種族の集落で生まれました」
「たまに伝説とか御伽噺に出てくる人に化けるドラゴンの元ネタの種族はそれなんでしょうね」
静かに語りだしたニコラスに、私は自分の記憶を手繰り寄せる。
人間に化けるドラゴンなんて、ニコラスに会う前はエルフや獣人のように御伽噺の中だけの存在だと思っていた。
今ではそのどれも身近に存在しているけれど。
「クリスに帝国の建国神話なんかを聞きましたが、多分そうでしょう」
「黒いドラゴンが争っていた国々を平定して新たに国を作り、やがて全ての国を支配下に置く帝国を作り上げたって話ね」
そう考えると、ユトピリア帝国の建国神話も史実で、皇族がドラゴンの末裔という伝説も案外本当の事かもしれない。
まあ、だからどうしたという話ではあるけれど。
「黒竜の集落は基本的に他種族に排他的で血を混ぜる事を好まない純血統主義で、保守的かつ閉鎖的な社会でした」
この前ニコラスから聞いた七百年前の世界とは随分違うと思ったけれど、外の世界とは隔絶したニコラスの生まれ育ったその集落がそうだったという事なのだろう。
「大人からは外の世界は危険で不浄なもので満ちていると教えられて私は育ちました。しかしそんなある日、一人の少女が集落を訪ねてきました」
「少女?」
ここから、ニコラスの初恋物語でも始まるのだろうか。
「ハンナと名乗る彼女は、どうやら六十年前に私のいた集落で生まれたものの、両親が離婚した為に母親と共に出て行った人間と黒竜のハーフでした」
「黒竜の集落は純血統主義じゃなかったの?」
「そうなのですが、黒竜は他の種族より寿命が長い反面繁殖力が弱く、特に私の生まれた頃は多くの家が子宝に恵まれず、無事に生まれても一人、多くて二人という有様でした。彼女の父親は、家の存続の為と言って周囲の反対を押し切って嫁を外の世界に行き、しばらくして自分の子供を身篭った人間の女性を連れ帰ったようです」
「そのくせ別れちゃったのね」
「そもそも人間と我々黒竜では結婚に対する価値観があまりに違い過ぎたのが原因でしょう」
「結婚の価値観?」
当時はかなり風紀が乱れていた様子の人間と、保守的な黒竜の集落、どうなるかはなんとなく察しはついたけれど、詳しく聞くために私はニコラスの言葉を聞き返す。
「当時の人間は子供の父親が誰だかわからないという事がよくあったらしく、子供の血統は母親の胎によって証明され、家長となり子供を育てるのも女性の母権社会で、結婚しても相手が気に入らなければすぐ別れるのが普通でした。そんな社会で生まれ育った女性が、家父長制で一人の
「それは……」
女性優位の社会で育った人間が突然、男性優位社会、しかもドラゴンばかりに囲まれた場所に嫁入りなんて、生活様式も違うだろうし、かなりストレスが溜まりそうだ。
そして私の地元にも近いその結婚に対するスタンス……。
「詳しくは教えてもらえませんでしたが、結婚後すぐ子供を出産した彼女は、早々に生まれた子供を連れて出て行きました」
「あー……」
きっと彼女はあんまりにも文化が違いすぎる世界でうまく馴染む事が出来なかったのだろう。
そして、そうなれば彼女のとる選択は一つだ。
彼女の育った世界ではそれは当たり前の事なら、特に躊躇いもなかったのだろう。
「付け加えておくと、黒竜は基本自分達の縄張りからはあまり出ませんし、結婚後初めて集落にやって来た人間の彼女が生んだ子供の見た目は黒竜のそのものだったそうなので、父親は夫で間違いないようです。黒竜の集落では基本子供は父親の元で育てるものなので、かなり大騒ぎになったそうですが」
「そ、そう……」
多分、夫のドラゴンもお腹の子が自分の子だと確信していたから結婚しようとしたのだろうし、純血統の子供が好まれる中でも結婚に踏み切ったのは、それだけ黒竜同士の出生率が低く、子供がとても重要だったのだろう。
これが離婚話によく聞く価値観の違いというやつなのだろうか。
「しかし、人間の社会で育ったハンナは、実母との死別で周囲とは明らかに違う自分の寿命を痛感したそうです。他にも他種族との混血の兄弟はいたそうですが、彼等の親となる種族と黒竜の寿命を知った時、愕然としたようです。黒竜は人型の姿をとれる種族の中では一番寿命が長いですから」
目の前のニコラスの大きな青い瞳が、どこか寂しげに細められる。
ニコラスの話を聞きつつ、私はふとある事が気になった。
「彼女は人間とのハーフなんでしょう? 他の種族との混血の場合って、子供の寿命は親と比べてどうなるの?」
「同じ両親から生まれても、その結果はまちまちのようです。それぞれの両親の種族、どちらかと同じ位であったりその中間位であったり、両親の種族の平均的な寿命より二百年程長く生きた例もあるそうです」
「つまり、かなりランダムな状態になるのね……」
人間の寿命はせいぜい八十そこそこ。
純血統の黒竜の寿命は八百歳という事はほぼ十倍の時を彼女は生きる事になる。
下手をすると純血統の黒竜よりも長生きをする可能性さえある。
母との死別で心を痛める彼女に、その事実はきっと重くのしかかった事だろう。
ならば、彼女が生まれてすぐに離れたという父親の元を訪ねようと考えたのも納得できる。
「ハンナは黒竜のように色んな種族に化ける事が出来ましたが、自分の真の姿であるドラゴンの姿は生まれて六十年経っても幼体のままでした。大体黒竜が成体になるのは百五十年程かかるので、父親似であると考えれば不思議な事ではありませんが随分と彼女は思い悩んだようです」
「まあ、そうでしょうね……」
六十歳頃でそれなら、成長スピードは純血統の黒竜に近いと考えられるし、その時点で幼体なら、彼女の寿命は既に人間離れしていると証明されている。
「ハンナの父親は妻と別れてすぐ新しい黒竜の嫁を娶っていましたが、子宝に恵まれていなかった事もあり、ハンナを歓迎しました。……それを良く思わない者は結構いたようですが」
「お嫁さん側からしたら、子供が出来ない事へのあてつけみたいに感じるかもしれないものね……」
人間の間でも結婚相手の連れ子との不和というのはよく聞く話だ。
というか、私がそうだった。
「ハンナと出会った当時、私は四十歳になったばかりの子供でしたが、ハンナから聞く外の世界の話を聞くのがとても楽しく、すぐに私とハンナは仲良くなりました。外の世界で育ったハンナはまだ六十歳程度だというのに随分と大人びていて達観しているように見えました」
「……黒竜はともかく、人間の六十歳って言ったら結構な年だし、人間の社会で育ったならそれなりに老成もするわよね」
なにより、彼女の人生は苦労が多そうだ。
「ハンナはとても物知りで、その頃に私はハンナから魔法についてや外の世界の文字、習慣などを教えてもらいました」
「ふーん、つまり彼女はニコラスの初恋の君だったりするのかしら?」
「いえ、ハンナの事は今でも尊敬してますし好きですが、彼女は姉のような存在なので」
「あら、そうなの?」
当時を懐かしむように言うニコラスに、てっきりそういう事なのかと尋ねてみたけれど、どうやら違うらしい。
「ええ。そしてハンナが集落に来て十年が経った頃、彼女は私に言いました、一緒に外の世界に行かないかと。私は二つ返事でその提案を受け入れ、ある夜、こっそりと二人で集落から逃げ出しました」
「そ、そう……」
自分の同胞を求めて訪れた黒竜の里を、自分の意思で逃げ出すって、相当居心地が悪かったんじゃなかろうか。
そして、そんな中唯一計画を打ち明けて一緒に集落から逃げ出したニコラスを、彼女はどう思っていたのだろう。
「実際に目にして触れる外の世界は、話で聞くよりも不思議で興味深く、とても楽しいものでした。二人で旅をして、色んな種族や風習を見て周り、気に入った所があったらそこで二人で暮らす事にしました」
「な、なる程……」
それ、ハンナさんはニコラスと生きていくつもりだったんじゃ……。
「しばらくの放浪の末、私達が選んだのは、人間を中心に様々な種族が暮らす大きな都市でした。色んな種族が共に暮らし、混血も多かったので私とハンナも問題なく溶け込めました」
「人間中心の社会……ね。それで、その後どうなったの?」
当時の人間の社会は随分と風紀が乱れていて、今までの口ぶりからして、ニコラスはそんな所を気に入っていたようではあるけれど……。
「毎日充実した日々を過ごしていましたが、ある時ハンナに町外れに呼び出されて、その後気が付いたら封印されていて七百年の時が経っていました」
「……ニコラス、直前にハンナから何か言われなかった?」
状況からして、恐らくニコラスを封印した犯人はそのハンナさんだろう。
「自分の事をどう思っているのかと聞かれたので、実の姉のように思っていると答えたのですが……」
「あー……うん、大体わかったわ」
これはいわゆる、痴情のもつれというやつなのだろうか。
「封印されていた私の目を覚まさせたのは、赤灯竜の若者達でした」
「ああ、一度ドラゴンに保護されたのね」
……未だにニコラスはハンナさんの気持ちとか、封印された理由とかには気づいていないらしい。
「はい。何でも誰が一番威力の高い火球を放てるかという遊びをしていた所、特殊な氷に封印された私を見つけたようで。それから私はしばらく彼等の集落で暮らすようになりましたが、その時に今の世界の変わりようを教えられて随分と驚きました」
「まあ、そうでしょうね……」
「まず、人間以外の人型種族が存在せず、ドラゴンが人間の討伐対象になっている事に驚き、夜空を見上げて、星の位置を見て、これだけ世界が変わっているのにまだ七百年しか経っていない事にも驚きました」
「た、確かに、話を聞く限り全くの別世界だものね……」
……どうしよう、ニコラスが封印された理由が予想外に残念すぎて、七百年前と現在との違い云々の話があんまり頭に入ってこない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます