第45話 アンナリーザと怪談

「今日の勉強終わり! それじゃあ私デボラお姉ちゃんとダリアお姉ちゃんと遊んでくる!」


 アンナリーザはペンを置いて椅子から立ち上がると、弾むような足取りで窓枠に足をかけ、元気良く二階の窓から跳び下りる。

 地面に落ちる前に素早くロッドを出して飛行魔法をかけ、そのまま踊るように飛び去る姿ももう見慣れた。


 ちなみに現在、アンナリーザの家庭学習は魔法の勉強から文字の書き取りメインに切り替わっている。

 まだまだ酷いものだけれど、どうにか学院に入学するまでには自力で誰でもちゃんと読める文字をスラスラ書けるようにはしてやりたい。


 机の上の勉強道具を片付けて、しばらくお茶を片手に新聞を読んだりして一息ついていると、玄関のドアがノックされる音がした。

 どうやらもう予約の人が到着したようだ。


 獣人化魔法の希望者は、オフィーリア魔術学院の入試試験が終わってから落ち着いたけれど、それでも一日に三、四人は新たに希望者がやってくる。


 夕方、アンナリーザが帰ってくると、なぜか猫耳がはえていた。

「ただいま~……」

 そしてなんだか様子がおかしい。

 妙に大人しいというか、周りを警戒しているというか……。


「お帰り、何かあった?」

 不思議に思って私がアンナリーザに尋ねると、アンナリーザは足早に私の所まで歩いてきたかと思うと、急にくんくんと私の匂いを嗅ぎ始めた。


「え、何? どうしたのよ……」

「ママは、本当にママだよね!?」

 アンナリーザは不安そうに私の周りをグルグルと回りながらにおいを嗅いでくる。


「それ以外の何に見えるのよ……」

「実は魔物がママに化けたりしてないよね!?」

「私からそんな魔物みたいなにおいする?」

「しない! ママのにおいがする!」

 呆れながら尋ねれば、アンナリーザは首を横に振って私に抱きついてきた。


「デボラちゃんの読み聞かせ、怖かったの?」

 猫耳の生えたアンナリーザの頭を撫でながら聞いてみる。


「うん。身近な人が皆知らないうちに魔物に食べられちゃってて、その魔物は食べた人に化けて次の食事の時まではその人のフリして暮らすの……それで、主人公のママが私のママで、家がこの家で……!」

 耳を頭にペタリとつけて、怯えるようにアンナリーザが話す。


 どうやらデボラちゃんの遊び心か、怪談の主人公をアンナリーザに置き換えて、身近な人達の姿で幻覚魔法によるイメージ映像をつけて読み聞かせをしたらしい。


「それは、怖かったわね。でも、私はそんな魔物に襲われてもやっつけちゃうくらい強いから、心配いらないわよ」

「そうだよね! ママはすっごく強いもんね! 魔物になんてならないよね!」

 少しかがんでアンナリーザに目線を合わせて言えば、伏せられていた猫耳がピンと立って、嬉しそうな、安心したような顔で私を見る。


 それでもやっぱり怖いのか、その後もずっとアンナリーザは猫耳がはえた状態で私の側を離れようとしなかった。

 私はそれがなんだか可愛らしくて、一緒に夕食の買出しに行ったり準備を手伝ってもらいながら、平静を装いながら終始猫耳をピクピク動かして周囲を警戒しているアンナリーザの様子を堪能する。

 しばらくして外がうっすら暗くなった所、ニコラスとクリスが帰ってきた。


「ただいま~すごいんだよ、ニコラスったら素手でトロールをちぎっては投げちぎっては投げの大活躍!」

「クリスこそ、なかなかの活躍っぷりでした。孤立した他の冒険者を助ける為にまさかあんな……」

 なにやら二人は大冒険をして親睦を深めてきたらしい。


「うわあああああああああああ!!! 二人共魔物のにおいがするううう!!! 食べられちゃったんだ!!  食べられちゃったんだあああああ!!!!!」

 しかし、二人の姿を見るなり、アンナリーザは火が付いたように泣きだした。

 どうやら嗅覚も普段より鋭くなっているらしい。


「えっ」

「アン?」

 クリスとニコラスは何の事だかわからず、ただただ戸惑っている。


「落ち着きなさい、大丈夫よ、アン。とりあえず二人共、今からお湯を張るから順番に身体洗ってくれる?」

「ママ行っちゃダメ! 食べられちゃう!」

 アンナリーザを宥めながら、二人を風呂場に誘導しようとすると、アンナリーザに泣きながら止められた。


「食べられないわよ。二人共魔物を狩ってきただけよ。とりあえず、早く身体を洗ってアンを安心させてあげて」

 私は泣きながらまとわり付いてくるアンナリーザの頭を撫でつつ、二人にさっさと身体を洗うように言う。


「わ、わかった……」

「あの、私は元々魔物なのですが……」

 クリスはすぐに頷いてくれたけれど、ニコラスは事情が飲み込めないようで、恐る恐るといった様子でアンナリーザに尋ねる。


「体中からニコじゃないにおいがするもん!」

「わ、わかりました……クリス、さっさと身体を洗いましょう」

 アンナリーザがニコラスの方を振り返って言えば、ニコラスは良くわかってなさそうだったけれど、勢いに押されて風呂場へと向かった。


 我が家で使う水やお湯は、基本私が空気中の水分を魔法で集めて出している。

 一応近所に共用の井戸と水洗い場があるけれど、湯船いっぱいに集めた水を温めて、お湯にするのも魔法を使えば一瞬だ。


「これでよし、と、どっちから先に入る?」

「思ったのですが、二人同時に入って身体を洗った方が早いのではないでしょうか? 私が子供やもっと身体の小さいものに化ければスペースも十分に取れますし」

 私が尋ねれば、ニコラスは名案を思いついたとばかりに提案してくる。


「いや、それはさすがに問題があるでしょ……」

「そっ、そうだよっ! やっぱりこういう事は段階を踏んでからじゃないと……」

 私がそれはいかがなものかと言えば、クリスも顔を真っ赤にして私に賛同する。


「段階? 何の段階ですか?」

「その、親しさというか、なんというか……」

 不思議そうに首を傾げるニコラスに、クリスがもじもじしながら答える。


「今日一緒に狩りに行った他の冒険者達は仕事が終って、一緒に公衆浴場に行こうと誘ってくれました。銭湯とは大勢で湯浴みする場所なのですよね? 私達は夕食に間に合わなくなるからと断りましたが、クリスは私と湯浴みするのは嫌ですか?」


 なぜ、今日初対面だった他の冒険者はよくて、家族として一緒に住んでいるクリスはダメなのか、わからないとニコラスは尋ねてきた。


「いやっ、そうじゃなくて……人間同士は、男と女だとものすごく親密じゃないと一緒にお風呂に入らないものなんだ……」

「私は雄ですよ? つまり男ですので問題ないのでは?」


 困ったように話すクリスときょとんとした様子で尋ねるニコラスの様子を見て、私はようやく気づいた。

 ニコラスは、クリスを男と認識している。

 というか、クリスは最近ニコラスとも普通に話しているので、もうその事は話しているのかと思っていた。


「ニコラス、クリスは女よ。対外的には男ってことにしてあるけれど」

「そうだったの!?」

 私の言葉に、ニコラスよりも先にアンナリーザが驚きの声をあげる。


 アンナリーザに話すと、ふとした拍子にこの事を外部に漏らしてしまいそうであえて黙っていたのだけれど、今のアンナリーザの状態だと離れてくれそうもないし、クリスに説明を任せても時間がかかりそうだ。


「う、うん……僕、元いた国だとお尋ね者になってて、自分で言うのもなんだけど、昔から目立つ見た目をしてたから、素性を隠す為にこうやって男のフリをしてるんだ……」

「だから、アンもニコラスも、クリスが実は女だって事は、絶対に他の人に言っちゃダメよ」

 クリスの説明の後、私は念を押すようにアンナリーザとニコラスに口止めをする。


「はーい」

「……つまり、一緒に風呂に入れないのは、私が男だからですね?」

 アンナリーザは手を上げて元気に答え、ニコラスは少し考えた様子で尋ねてきた。


「そうよ」

「なら、これで問題ありません」

 私が頷けば、ニコラスは黒髪の美女へと姿を変えた。


 服の上からでもわかる豊満な胸と、陶器のような白い肌、ゆるくウェーブのかかった肩まで黒い髪、どこからどう見ても確かに女だ。


「どうです? これなら女同士で問題はないはずです!」

「いやいやいや……」

「わー! ニコが女の子になった~!」

 ニコラスは得意気に言うけれど、そういう問題じゃない。

 そしてアンナリーザはさっきまでの警戒も忘れて目を輝かせる。


「さあクリス! 一緒に入りましょう! 裸の付き合いとやらをして親睦を深めるのです!」

「ええ!? いや、それはその!?」

「はいはい、そういう事じゃないのよ。とりあえずニコラスはこっちで見張っとくから、クリスはちゃっちゃと入っちゃって」

 私はニコラスとアンナリーザを連れて浴室を出る事にする。


「え、ぼ、僕は……別に……」

 とかクリスが言っていた気もしたけれど、無視する。

 それでこの姿なら大丈夫なのだと学習されても後々面倒な事になりそうだからだ。




「なる程、それでアンは私達が帰ってきた時、そんなに泣いてたのですね」

「途中からいつもの調子に戻ってたけどね」

 それからニコラスにも順番に風呂に入ってもらって落ち着ついた所で、私は二人に事情を説明する。


 二人とも身体を洗って本人だと分かると、アンナリーザの猫耳は引っ込んでいつもの姿に戻った。

 それから私達は少し遅めの夕食を食べている。


「つまり半分獣人になってたのは僕達を警戒していた訳か~でもあの猫耳、可愛いかったよ」

「そう? これ可愛い?」

 話を聞いたクリスが笑いながらアンナリーザに言えば、アンナリーザは嬉しそうにまた猫耳を頭にはやした。


「もちろんです! 猫の耳がはえたアンもとても可愛らしいです!」

「えへ~、そかあ~」

 クリスとアンナリーザが楽しそうにしているのを見たニコラスは、ここぞとばかりにアンナリーザの猫耳を褒める。

 するとアンナリーザは更にご機嫌になり、ニコラスはそれを見て更に嬉しそうにアンナリーザを褒める。


 そんな時、急に玄関のドアがノックもなしに開かれて、母が私達の所までやって来た。

「ちょっとレーナ聞いたわよ! 獣人化魔法で商売しているってどういう事!?」

 どうやらとうとう母にバレてしまったらしい。

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