第42話 ハートフルストーリー開幕
「ニコラスが私の使い魔になったのは私が単独で彼を倒したからだし、アンナリーザとエリック君の試合の件は私もどうかと思うわ。ごめんなさい」
この場でさっさと話を切り上げる為、予想される質問や文句に先回りして私は答える。
「ああ、ドラゴンの件はもうローレッタから聞いたよ。それに、今日はあの件に対して文句を言いに来たんじゃないさ」
「あら、そうなの?」
しかし、どうやらテオバルトの聞きたい事は違ったらしい。
「俺が聞きたいのは君が最近始めた商売についてさ」
テオバルトの声が気持ち低くなる。
「希望があるなら、研究資料も見せるし、写しも好きに作ってもらってかまわないわよ?」
「いや、そういう事でもないんだ……立ち話でする話でもないし、周りに人のいない、どこか静かな所で話したいんだ」
どうやらあまり周りに聞かせるような話でもないらしい。
個室のある飲食店も考えたけれど、そうなるとどこも高級店で、お茶一杯だけと言うのも気が引けるけれど、あいにく今は観戦席で既に軽食を食べてきた後なので何も食べる気がしない。
「……わかったわ。それじゃあ私の家でいいかしら?」
「ああ、よろしくたのむ」
テオバルトもそれでいいらしいので、スタジアムから出ると私はニコラスとテオバルトを連れて家の前に転移魔法で移動した。
「それで、話って何かしら?」
ニコラスとテオバルトをリビングのテーブル席に座らせ、お茶の用意をしながら尋ねる。
「さっき、希望があれば研究資料も見せるし、写しも好きに取ってかまわないとレーナが言っていて驚いたよ。昔は魔術研究で得られた成果はその魔術師が秘匿し独占した方が良いと言っていたのに」
茶化すようにテオバルトが言ってくる。
テオバルトは昔から魔術の研究は世界の発展に貢献すると信じていて、研究成果は広く公開した方がいいという考えの持ち主だ。
おかげで彼の考案した促成魔術の記事を読んだアンナリーザが真似してあんな事件を起こしてしまった訳だけれど。
「特定の分野においてはその方がいい場合もあるし、その考えは今も変わってないわ。けれど、獣人化魔法の研究は私の出した成果ではないし、何よりこの研究を完成させた本人に希望する者にはこの知識を教えて広めて欲しいとお願いされたのよ」
テオバルトは多くの研究にもその考えを当てはめてもっと研究成果を全体で分かち合おうという呼びかけを学会でもしていたけれど、そこはケースバイケースでいいと思う。
ジャックは自分の研究成果が広く知られて、それが広まる事を望んでいるので、私は自分の出来る範囲で彼の意思を尊重しているだけだ。
「ジャック・ギランか……君は、自分の母親の獣人化魔法に対する考えを知らない訳じゃないだろう?」
「だとしても、母は母。私は私だもの。それに、皆が言うほどこの魔法は悪いものじゃないと思うわ」
「それで娘のアンナリーザちゃんを獣人にした訳か」
「アレは本人の意思よ。私だったらいつでも人間に戻せるしね」
最近この手の誤解を受ける事が多い気がするけれど、私にできる事はその都度訂正する事なので、地道に否定していく事にしよう。
「しかし、君の母親はその事を良く思わないんじゃないか?」
「そうね」
それを言われるのは既に二回目だ。
「君は学生時代、ホムンクルスの研究をしてたな。遺伝子の段階から望む子供を無尽蔵に製造する事ができるその研究は、既存の家族制度や社会秩序を崩壊させかねない危険思想だと問題視された」
「そんな事もあったわね」
急になんとも懐かしい話が出てきた。
「……研究は、まだ続けているのか?」
「さあ? もう他の分野に転向してるかもしれないわよ?」
もう完成している事は内緒だ。
この内容に関してはそう簡単にほいほい教えられるものではない。
「ジャック・ギランは当初、町中の人間を獣人に変えるつもりだったらしいな。そして、町全体に張り巡らされた魔法陣や、邪魔が入って不完全だったものの、その場に駆けつけた人間を獣人にする事はできたことから、それも現実的に可能だった事がうかがえる」
真剣な様子でテオバルトが言う。
「何が言いたいの?」
私は眉を顰める。
何か、変な疑いをかけられている気がする。
「ジャック・ギランの才能は確かに大したものだ。そこに学園始まって以来の神童と謳われたレーナの才覚が合わされば、世界を作りかえる事も可能なんじゃないか、と思ったんだ」
「大げさね、大体世界を作りかえるって、どんな世界を作るって言うのよ?」
確かに言われてみれば、できなくもないかもしれないけれど、例えば世界中の人間を獣人に変えた所で私に何の得があると言うのか。
ジャックは大喜びするだろうが、私は別にそうなっても嬉しくない。
「例えば、世界中の人間がレーナのように優秀で、レーナの価値観に皆が同意する世界……とかな」
「……なんだかものすごい危険思想の持ち主みたいに思われてるわね、私」
まるで名推理だとでも言わんばかりの顔でテオバルトが言う。
とんだ迷推理だ。
「不快にさせてしまったなら謝る。だけど、これだけは憶えていてくれ。俺は家族や仲間のいるこの世界が好きなんだ。それを壊すようならたとえレーナでも容赦はしない……と、まあこんな事を言いたかったんだ」
……何言ってんだこいつ。
というのが、私の素直な感想だった。
なぜ、私がわざわざそんな事をしなければならないのか。
「相変わらず想像力が豊かなのね。そんな予定は無いから安心していいわよ」
ため息交じりそう答えるしかなかった。
これだから私は彼が昔から苦手なのだ。
勝手な正義感で突っ走っては周りを振り回すくせに、見た目がいいからか変にカリスマ性があって、いつも彼の周りには彼に好意を抱く人間で溢れている。
「レーナとこの人は古い知り合いなのですか?」
今まで私達の話を大人しく聞いていたニコラスが私に尋ねてくる。
「一時期同じ研究室にいてね。俺にとっては妹みたいなものさ」
「昔から無駄におせっかいなのよこの人は……」
私が最年少で身体も一番小さかった事もあり、兄面をしてやたらと世話を焼いてきたのが彼との出会いだ。
おかげで助かった事も無くはなかったけれど、同時に面倒事にもしょっちゅう巻き込まれていた気がする。
「そこは面倒見がいいとか言ってくれよ。それにしても、ドラゴンって人間に化ける事も出来るんだな」
「私の種族は元々化けるのが得意な種族なので。逆に全く化ける事の出来ない種族もいます」
ニコラスの言葉に、テオバルトは興味を惹かれたように目を輝かせた。
「へえ、そうなのか、ドラゴンの生態は謎に包まれてるからそういう情報は嬉しいよ。生息場所と群れで行動するか単独か、好戦的かそうじゃないか位しか種族ごとの情報はないんだ」
「そうなのですか?」
首を傾げながら聞いてくるニコラスに私は頷く。
「ええ、基本的にドラゴンは人間にとっては脅威だから、危険度を判断するそれらの情報は重宝されるけれど、それ以上の詳しい情報は危険だし、特に得るものも無いから調べる人はいないわね」
「道理で今まで友好的に接しようとしても神として崇められたり討伐隊が組まれたりとまともに交流できない訳ですね」
私の答えに合点がいったようにニコラスは頷いたけれど、アンナリーザに出会う前にそんな事をしていたのか。
「基本的に人間はドラゴンが怖いのよ。力の差がありすぎるもの」
「でも、レーナやアン、クリスはそんな事ありませんよ?」
きょとんとした様子でニコラスが言う。
「そりゃ私はドラゴン討伐もしたことがあるSランク魔術師だし、クリスはAランクの騎士。アンナリーザはまだその辺の事を何にもわからない子供だもの」
「君は、人間と交流したいのか?」
私がニコラスと話していると、テオバルトが興味深そうに尋ねてきた。
「仲間内からは変わり者扱いされましたけどね……まさか、最近私がアンに避けられているのは怖がられているからなのでしょうか」
「まあ、アンの場合はエリック君と仲直りしたかったのに出来なかった事の方が大きいんじゃないかしらね」
ニコラスは手加減したつもりだったのだろうけれど、アレはエリック君のプライドを粉々にするのには十分すぎる事件だったと思う。
「なんだ、アンナリーザちゃんとエリックは知り合いだったのか、というか、そうか、最近エリックがやたらと落ち込んでたり張り切ったりしてたのは……」
私達の会話を聞いたテオバルトは、少し考えるような顔をした。
「事情は大体わかった。それならエリックとアンナリーザちゃんが仲直りすればニコラスもアンナリーザちゃんと仲直りできるかもしれないって事だな?」
名案を思いついたとばかりの顔をしてテオバルトが言う。
「まあ、そうかもしれないけれど……」
「それならそう遠くないうちに仲直りできるだろう。俺はやる事が出来たから今日はもう帰るよ」
……もうテオバルトがこの後何をするのか、手に取るようにわかる。
テオバルトは椅子から立ち上がると、私の方を振り返ってニヤリと笑う。
「レーナ、この世界はそう捨てたもんじゃないんだぜ?」
直後、テオバルトの足元に転移魔法の魔法陣が現れて彼の姿が消えた。
…………彼の中で、世間とソリが合わない為に世界を作り変えようとしている精神を病んだ天才を友情の力で更生させようとするハートフルストーリーが始まっているような気がする。
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