11月上旬の物語

第7話:-京都の雅、祇園の夜-【01】

 十一月上旬


 紅葉の季節が訪れて、自然の魅力が強く表れる頃――

 私は、京都へと訪れていた。

 

「はぇ~。京都、初めてきたなぁ……」


 我が地元からは地理的に京都は遠くない。

 だが交通の便都合で新幹線が通っておらず、気軽に行こうと出来ないのが京都。


 近からず、遠からず――

 しかも、学生時代の修学旅行は東京や千葉県だったので、仕事でなければ訪れることのなかった未知の領域といえよう。

 友達が関東に住んでいるけれども、埼玉から岐阜に移動する難しさくらい大変であると説明したら、その大変さを理解してもらえた。

 北海道民には、札幌から車で釧路湿原とでも言えば伝わるだろうか。

 そんな距離感だ。


「先生、お疲れじゃないですか? ちゃんとバスの中で寝られましたか?」

「あ、はい。それなりには……」


 私の隣でキャリーバッグを片手に、かっちりスーツで決めている女性が一人。

 株式会社優美出版、週刊雑誌担当の山梨さんだ。


 三十二歳、既婚、キャリアウーマン、ついでに美人。

 私の漫画連載を担当してくれており、時には厳しく、そして更に厳しい鞭と鞭を振るいながら、連載を絶やさず仕事させることに従事してくれる。


 一言で言えば、鬼だ。


 しかしながら、こんな鬼でも結婚して一児の子供がいる。

 きっと、私生活では私には見せない優しさを振る舞っているんだろうなぁ。

 夫婦の中は円満で、年末には香川に旅行へ行くそうだ。

 正社員様というのは安定収入があってなんてうらやまし――


「……先生。悪巧わるだくみを考えている顔をしていますよ。何をお考えで?」

「……っ、えっ……いや、その……悪巧みなんてしていないですよ。あはは……」


 鋭い目つきで獲物を狙う視線は、ラットの如く軟弱な私を硬直させるのには十分な威圧だった。

 勘が鋭いというか、私の癖を知っているというか――

 どうやら、私はこの人に隠し事をしても無意味な可能性が高いようだ。


 それにしても、悪巧みの表情というのは、一体どのようなものなのだろうか。

 今度、鏡を見て研究してみよう。


「今日は、モミジ紅葉こうよう出版の方で、来年二月にコラボ予定の漫画に関する打ち合わせですからね。素そうな真似をしてはいけませんよ」

「だ、大丈夫ですって。私、これでも大人ですから!」

「名刺の渡し方を知らないのに、ですか?」

「ぐっ……!」


 ビジネスマナーを弱みの種に使うなんて、おふぃ~す・れでぃ~というのは、なんて怖い人種なんだ。

 日本の働く人々は、皆こんなに陰湿なのか?

 だから残業がなくならないんだぞ!


「まあ、先生は名刺を渡す必要は無いです。私と相手の担当者があいさつしますので、聞きたいことをまとめて、聞かれたことに答えられる準備だけしておいてください。アーティストとのコミュニケーションを円滑にするのが、私の仕事です」


 山梨さんはそう言うと、鞄の中からスマートフォンを出し、地図アプリを起動する。


「出版社は駅から徒歩十分程のところにあります。少し入り組んでいますので、迷わないようにしないといけませんね」

「えー。山梨さん、タクシーを使っちゃダメなんですか?」

「残念ながら、うちの出版社は慢性的に節約志向なんです。徒歩十五分以内にある施設には、特別な理由が無い限り、タクシーの経費は落ちません」


 ここに来て、出版社のお涙事情に直面。

 厳しい状況が、こんな場所にも訪れていたのか。


「京都の駅付近は平坦な道が多いですので、迷わなければすぐですよ。普段からインドア生活をしているんですから、たまにはきっちり歩いてください」


 そう言って、山梨さんは私の着るコートの右裾を強く掴み、無理矢理駅の外へと連れ出してくる。

 そして――


「うわっ……さぶっ……! なんですかこれ!」

「十一月ですから寒いのは当然です。東北に比べたら暖かい方ですよ。我慢してください」

「えぇ……」


 秋風が私の身体に厳しく当たってくる。

 紅葉の葉を連れてきながら、震え上がる気温であることを痛感する。

 辺りを見ると、皆が厚手の上着を着ている。

 季節はもう、晩秋なのだ。


「出版社は、駅を出て北の方向へ五百メートル、六つ目の信号を右に渡り、三百メートル進んだ先の細長い建物が目印とのことです」

「ああ、そうなんですね。ふーん」


 素っ気ない返事を山梨さんに一つ。


「……先生、私も出版社に訪れるのは初めてなんですから、せめてルートくらいは覚えてください。でないと、極寒の京都を十分以上歩くことになりますよ」

「まあ、努力します……」


 道を覚えるのは苦手だ。

 スマホに表示された地図を見ても、ゴールを覚える感覚に実感がかない。


「ほら、そこのお店でコーヒーを買ってきてあげますから、ちょっとの間は頑張ってください」

「任せてください山梨さん。オールミルクでチョコチップとホイップ多め、ラージサイズでお願いしますね」

「はぁ、八百円以上超えたらトッピング勝手に削りますからね」

「分かってますって。交際費交際費♪」


 出版社の謎ルール。交際費だけはやや緩い。適応させて貰った!

 山梨さんは厳しい人だけど、何故かこういう押しには弱い。


 せっかく奢って貰えるんだし、期待には応えなくてはいけないね。


 ………

 ……


 数分後――


「先生……」

「ん? なんですか、山梨さん」

「先生が頼んだオールミルクチョコチップホイップ多め、ラージサイズは九百七十円でした」

「あ、そうなんですね。じゃあ、サイズがスモールに……」

「ですので、サイズはラージ据え置きで、チョコチップとホイップ無しにしました」


 山梨さんは、そう言うと、チョコチップとホイップ無し、つまり無糖のカフェオレを私に対して差し出してきた。


「…………」

「……なんですか、その目は?」

「い、いえ……何でも……」


 山梨さん、今日も鬼畜。

 甘党の私、撃沈……。


 微かに香るミルクの香りを頼りに、甘みを妄想で補いながら、少し低めのテンションで、出版社へと足を運ぶ。

 頑張れ私、きっと良いことあるからさ。

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