七十三:王墓
「うわー、うわー、ドラゴン剣あるぅ……何でぇ、ファンタジーな世界じゃん此処……」
「物以外で物理法則に反した存在は居ないからな。夢の一つや二つは見たくなるものだろう」
桜参道駅で純と別れ、坂の中腹にある駅から歩くこと数分。およそ三時間。南中を大きく過ぎ、昼下がりの
通りに面したベンチでクロッキーとフリードが足を休める一方、アザレアは売られていた茶を飲みながら、付き人を引き連れて土産物を物色中。可愛らしいストラップやら箱詰めされた菓子やらに混じって燦然と輝く、竜の巻き付いた剣のキーホルダーに子供心を刺激されている横で、トートは抱えていた鞄の中身をごそごそと漁る。
妙に嵩張る革の鞄、その中から現れたるは、年代物の機械式一眼レフ。完璧に手入れされたそれを愛おしげに一撫でし、ストラップを首に掛けて立ち上がった遺影の足が向く先は、山道から大きく張り出した上に作られた無人の展望台である。
人気のないテラスの端まで静々と歩み寄り、フィルムの巻き上げレバーを指の腹で巻いて、テラスから見える適当な遠景に向かって構え。ピントと絞りを合わせ、適当にシャッターを切る。古風なフィルムカメラ故に写りを見返すことは出来ないものの、こと彼に限ってそれは必要ない。ひとまず年代物のカメラが元気に動くことを確認し、トートは速やかに踵を返す。
そこに、クロッキーが立っていた。退路を塞ぐかのように位置取り、画材を入れた鞄を抱えて突っ立っている少年に、寡黙な男が珍しく声を上げる。
「どうした?」
「少し……話せないかな。トートさんがやりたいこと、ボクあんまり知らないから」
返答は、回れ右。そして身体を右に一歩ずらし、空いたスペースを指す。それに従い、隣について手すりに頬杖を突いたクロッキーの方は見ず、トートは手持ち無沙汰とばかり掌中のカメラを撫でた。
彼がかの如く物を扱うことは少ない。葬儀屋と言う因果な役を背負うこの男にとって、道具は道具でしかないのだ。繊細に扱いこそすれ、大切にするという行為とは遠い縁である。なれば、今物の手に抱かれた旧式の撮影機は、単なる仕事道具とは一線を画す愛着の品なのだろう。そうでなければ、葬儀屋がカメラを持っている状況に理屈が立たない。
などと。周囲から浮いた光景に理由を付けようとつらつら考える絵師に、トートが決心したような声音で言葉を綴る。
「山から見る景色は、好きか」
「え? うん。夕焼けとか綺麗でいいよね」
「そうか、オレもだ。……故に、撮り納めに来た」
撮り納め。おうむ返しに尋ねるクロッキーへ頷いて、やおら腕を上げる。手は人差し指一本を立て、まっすぐに目下へ広がる景色の一点を指した。
釣られるようにクロッキーが視線を移せば、丘陵の多いこの地でも一際目立つ、切り立つような丘と朱の構造物多数。桜参道の名の由来たる、この街の礎を築いた国の王を祀る神社の鳥居である。古く人々の寄進によって建立された大鳥居は年々その数を増やし、今や新旧合わせて千本にも届くと言う昔話は、クロッキーも聞いたことがあった。
しかしそれがどうかしたのか。確かにあの千本鳥居は壮観であるが、山から見下ろすのではどうにも迫力に欠ける。まさかそんなものを撮りに来たわけではあるまい。そんなことを尋ねた絵師に、静かな声が返る。
「あの鳥居が直線上に並ぶ
「へぇ?」
「十五年に一度のみ咲く
「繊月……三日月かな。うん」
「全てが重なるのは百年に一度。オレの
言わんとすることが分かった気がして、クロッキーは最早何も言わなかった。ただ視線を遠くに移したまま、続きを促す。
言葉が転がってきたのは、少し後。
「観測が確認された文献は最新のもので二百年前、時は環境を変えすぎた。故に未だ残るか否かは分からない。無ければ、オレは還される。在ったとしても、これ以上
「だから、アザレアも一緒に連れてきたの? 還れなかったときの保険で?」
トートは、しばらく何も言わなかった。
その代わり、ただ小さく首を横に振った。
「文献にはあった。『神が
「トートさん、言葉が難しくて分かんないよ」
「……お前は燃えても物書きの子ではないか」
それ以上語る
ぱちり、と音を立てて額縁の中身を白紙に切り替え、肩に羽織った死装束をゆるりと翻して、トートは音もなく展望台から立ち去ってしまう。その背に声を掛けども立ち止まることはなく、一人テラスに残されたクロッキーは、何とも言えずもやもやとした感情を抱きながら手すりに寄り掛かった。
土産物屋で幸運の御守りを買って出てきたアザレアと合流し、徐々に険しさを増す山道を行くこと更に三時間。日が落ちかけ、明日の晴れを確信させる鮮やかな橙色の陽光が道々を染め上げる中、一行は『
受付カウンターには二十代半ばと思しき歳格好の物一人。あちこちに焼印の入った八角の
通されたのは、寝台付きの部屋がないのかはたまた宿泊料金を安く済ませる為か、布団を自分で敷いて寝ろと言わんばかりの畳敷きの大部屋。真ん中には大きな囲炉裏が一基鎮座し、くべられた薪には熾火が灯っている。山荘と言うにはややサービス不足の否めない空間であるが、それを殊更不満に思うようなものは此処にいない。物はおおよそどのような場所でも生きていく分には問題ないし、最も不満を抱くべき人間の少女はと言えば、囲炉裏が実際に使われている事実に興味津々。火箸で灰を突き回し、危ないことをするなと付き人に諌められていた。
ともあれ。それぞれが山登りで疲労した脚を休めているところに、山小屋の主が入ってくる。
「やァ、今年こそは来たかライカよ。しかもえらく大所帯で、可愛らしいお嬢さんまで連れて」
木の盆に人数分の湯呑みと茶菓子を載せ、行儀悪くも足で木戸を開けながら、開口一番そんなことを宣った。
一方の
物殺しらしいと言うべきか、直向きで揺らぎのない静かな色の双眸。その目の前に、男は個包装されたマシュマロをひょいと差し出した。
「食う?」
「えっはい」
真面目な空気は須臾の内に崩れ、少女は豆鉄砲を喰らった鳩よろしく目をぱちくり。そんな様を笑いながら、男は細い鉄串にマシュマロを数個刺し、熾火の方へ傾けて囲炉裏に突き刺す。流れるように五徳へやかんを置き、己は両手を火にかざして暖を取り始めた。その様をちらちらと横目に見ながら、男の真似をしてアザレアも火に当たる。
物の街周辺は比較的寒冷な土地とは言え、五月も下旬に入った今の時分に、暖房は最早使わない。それでも手に当たる熱を暖かいと感じるのは、此処が山の上だからか、はたまた囲炉裏という昔の情緒溢れる場を前にした懐かしさ故か。
ぼんやりと考えながら、漫然と熾火を眺める物殺しを、金剛杖の声が現に引き戻す。
「僕はスイタイ、まァしがない山小屋経営者さ。ライカとは結構長ァい付き合いでね、今日の日が来た暁にゃァ宿を貸すって約束だったのさ」
「ライカ?」
「嗚呼、トートの
「あー……何か凄い景色が見れるってことをちょっと盗み聞きしたくらいです。あんまり聞いちゃいけないことなのかと思って」
そんな大層なことはない、とスイタイは手を振りながら笑った。単に絶景を見せて可愛い女の子に格好付けたいだけだ、と調子に乗った笑声が続き、それまで無関心を貫いていたトートも流石に視線を向けてくる。しかして実際に少女をその目的で連れてきた手前、あまり強い否定の言葉も掛けられない。幾許かの逡巡の後、結局そのままカメラの整備へ戻っていった葬儀屋に、スイタイはやれやれとかぶりを振った。
焼け色のついたマシュマロをひっくり返しながら溜息一つ、杖に括り付けられた房飾りを弄る。
「まァでも、此処で絶景が拝めるってことは他の皆には内緒にしといてくれナ。元々此処は王の寝所でね、ライカが見に行くっつってるトコは丁度墓があった場所なんだ。おかしな人間や物に踏み荒らされるのは良くない」
「そうなんですか?」
「実はそう。
「曰く?」
咄嗟に聞き返せど、それには答えず。細かいことは聞くな、と暗に訴えるスイタイの気配に圧され、アザレアはそれ以上の疑問を心の底へ仕舞い込む。代わりに、もう一つの質問を喉の奥から捻り出した。
「それじゃ、えっと……ライカさんはどうしてOK出したんですか? その、見た感じ写真を撮るんですよね、ライカさんって」
「んー。色々理由はあるけど――まァ、死に際の物のお願いごとを却下は出来ないよネ」
そう呟きながら、視線は何処か遠くへ。
寂寥とも悔恨ともつかぬ色を滲ますその先で、一体何を見ているのかと、杖に刻まれた焼印を覗き込む物殺しには構わずに、スイタイはひょいと鉄串を取り上げる。かと思えば、菓子入れに満載した菓子の中からクラッカーを一枚引っ張り出し、その上に焼けたマシュマロを一粒置いて少女に差し出した。
「焼けたよ。食う?」
「えっはい」
焼きマシュマロで有耶無耶にされてしまったような気しかしないものの、折角の焼き立てを無碍にする選択肢などアザレアにはない。素直にクラッカーを受け取り、もしゃもしゃと齧る少女を横目に、スイタイはまた新たなクラッカーを引き出す。
そうこうしている内に湯も沸き、本格的に真面目な話の出来る空気ではなくなった座敷の隅で、トートはじっと黙したまま俯いていた。
時は緩く流れ、翌日の朝。
日が落ちると同時に無理矢理寝かしつけられ、夜が明ける前にトートから起こされたアザレアは、鞄の奥底にぎゅう詰めにしてきた服に着替え、今は寝ぼけ眼でヘアセットの真っ最中。その傍らでは、早く出発したいらしい写真家が残りの人員の肩を揺すって回り、最後に残った寝起きの悪い付き人を起こすのに悪戦苦闘している。
力尽くで起こそうにも腕力不足、言葉で言って聞くはずもなく、だからと言ってそれ以上の暴力的手段に訴えるわけにもいかず、無言で腕組み。もう一度肩を叩けども、返ってくるのは嗚呼だのううだのと要領を得ない呻き声ばかり。起きてくれ、と懇願の声を上げても上体を起こす気配すらなく、いよいよ弱り果てたトートへ、すっかり支度を終えた主人が手助けに入る。
布団と枕を没収し、それでもぐだぐだと横たわる付き人の服の襟を掴んで、引き剥がすぞと本気の脅迫一つ。そこでやっと起きてきたキーンと、してやったりと満面の笑みを浮かべる少女を交互に見ながら、トートは額縁の中身を桜並木に切り替えた。
「御見事」
「いつものことですから。ほらケイさん、服。もう出発しちゃいますよ。ほらほら」
「嗚呼分かった分かった、分かったから……ネクタイを引っ張るんじゃない……」
気怠そうにベストとジャケットを引っ掛け、ネクタイを締めるキーンを引っ立てて、既に準備万端のクロッキーとフリードも連れて、焦燥を押し隠した
外で一行を待つのは、ブーツを履き込み、首を隠すように上着のフードを被った
「杖は手に持って使うものだからネ、取れても不思議じゃないでしょ。意外とこう言う物って多いよ」
「はぇー」
「さー行こう。僕が
そう言ってまた杖を地面に打ち付け、スイタイはさっさと踵を返す。そこへ並ぶようにトートが続き、周囲の空気に取り残されたアザレア達は、疑問符も露わに互いを見合わせて小首を傾げた。
未だ空は暗く、日の出までは一時間以上間が空いている。一体何処まで目指す気なのか知れぬが、ゆっくり登ったとて目的地までは十分に余裕があるだろう。と言うのに、彼等の焦燥感は何事か。昨日から妙に歯切れの悪いことと言い、単純な風景の撮影と言うには――約一名にとっては死出の旅路であることを加味しても――雰囲気が怪しい。
何か、得体の知れない害意にでも巻き込まれているのか。そんな不安を込めてアザレアはキーンを見上げ、付き人はそんな主人を安心させるように、ゆっくりと首を横に振った。
「俺も詳しくは知らないが、何も悪意で此処まで来たわけではない。少なくとも、命に関わるような不運が俺達に降りかかることはあるまい」
「言い方が悪意ありすぎです」
「そうとしか言いようがない。……強いて言えば、この辺りは所謂心霊スポットだ。不可解な現象が度々起こるとは噂がある」
「心霊スポット!?」
既にして
信じられない、と言わんばかりに目を剥く少女に、キーンは軽く手刀を見舞う。
「死者が自分の遺志一つでどうにでも形を変える世界で、心霊現象が起きない訳があると思うか? 此処もその類だ。何しろ大勢人が死んでいる」
「はい!?」
「この地は元々戦地の只中だ、アザレア。大半の死者は何処かへ散っただろうが、そうなれなかった者もいる。今も此処に残っているものは流石に少ないが全く消え去った訳ではない」
「そうなんですか……戦争、戦争ね……」
「今は戦争を起こせるほど暇ではないがな」
溜息混じりに言いながらやおら手を伸ばし、僅かな獣道を塞ぐように伸びた木の枝を上に退け、軽く背を押して主人を先に行かせ。拾い上げた適当な木の棒を振り回し、道の先に張る蜘蛛の巣を取り除けようと奮闘する少女を眺めながら、付き人もまた落ち葉の上に足を踏み出した。
一方で
「流石に力があるネ」
「ふん」
投げやりな褒め言葉を投げやりに受け止め、アザレアが服の土埃をはたき終わったのを見計らって、どちらからともなく先を行く。
正規の登山道から外れ、人が通らなくなって久しい道は、しかし元は神社であった面影を僅かに残している。恐らくは此処が参道であったのだろう、所々に立てられた手すり代わりの杭と
ある種の心霊スポットであるという前情報も相まって、何とも言えず不気味である。最初こそは棒を手に意気揚々と先行していたアザレアも、時が進むほどに不安を煽られ、三十分も歩けばすっかり閉口して付き人にくっつく始末だ。頼られて嬉しがれば良いやら纏わりつかれて辟易すれば良いやら、壊滅的に女子供を扱えないキーンは困惑しいしい、アザレアの頭をくしゃくしゃと適当に撫で回した。
――ともあれ。
横切った野生動物に無闇と大きな悲鳴を上げてスイタイから笑われたり、どう考えても呪いの儀式としか思えぬ有様で
トートの目的地は、そこにある。
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