十七:約束

「お、何だか面白いもの持ってるねー。それ何?」

「雇用契約書です。ゾンネ墓地でアルバイトすることになったので」

「人物共同墓地かー。人手が足りなくて仕事が片付かないって愚痴ってたもんね。いいんじゃない? あそこの墓守さん皆優しいし丁寧だし」


 シズの店で頼んでいた服の完成と、ゾンネ墓地から一日遅れで雇用契約書が届いたのは、同日。アザレア達がゾンネ墓地を訪れた三日後のことであった。

 物の街に流れる時は緩慢で、多くの営みも朝遅くからしか始まらない。しかし、シズ達は人と同じ程度には朝に強いようだ。アザレアが『営業中』の札の掛かった扉を開けた時、店内に掛かった時計は九時半を指していた。客どころか起きている物自体が少ない中、早くから開ける利点が何処にあるのかは分からないが、それでも彼等の店は午前の内から門戸を開いている。

 さて。完成と言っておきながら、蓋を開けてみればまだ調整を残していたらしい。彼方此方をひっくり返したり覗き込んだり、仕付け糸を切ったり付け直したりと、縫製士――ピンズの手元は未だ忙しなく動く。その様を横目に、アザレアはシズの用意してくれた椅子に腰を落ち着けた。

 すかさず差し出されたティーカップを受け取り、礼の代わりに目で会釈して、アザレアは裁ち鋏に問う。


「お知り合いですか? ここから墓地は遠いでしょ」

「遠いけど、あそこが還された物を受け容れてくれる最寄りの場所だからねー。それに、墓守さんが花を仕入れに来てた花屋さん、仕立て屋の隣にあったもの」

「えっ」

「そんな怖い顔しないでアザレアちゃん。店が並んでることなんて普通のことでしょー? ただ、とてつもなく不幸で哀しいことが、偶然ぼくの仕立て屋の隣で起こっただけだよ。ぼくは不幸な出来事を皆で分け合って、皆で薄めて溶かす為に葬儀に参列した。それだけ」


 その時に墓守と話す機会があったから、顔を見知っているんだ。

 シズは呟くようにそう続けて、自分の為に注いだ紅茶の杯から立ち上る湯気を吹く。理屈はシズ自身にも分からないが、そうすれば熱い湯が冷めるという結果だけは彼の中にあった。果たして乱れた渦を巻く白い煙を、裁ち鋏はぼうっとした風に見上げる。

 物殺しを前にして危機感や恐怖の欠片もない。フリッカーもそうであったが、物とは皆、彼のように達観して構えているものなのであろうか。悶々と考えにふけりながら含んだミルクティは、砂糖が入っているにも関わらず、酷く苦い味がした。

 思わずしかめそうになった表情を何とか取り繕い、もう一口。苦味は随分と薄れていたが、それでも消えそうにはない。舌の上にいつまでもこびり付いている。振り払うように、アザレアはシズへ話題を放った。


「やっぱり、悲しいことですか? 何かが死ぬって」

「……そうだね」


 少しの間は一体何を意図したものか。

 限界まで押し殺した震えを、しかし三日間様々な物と話したアザレアは聞き取れるようになっていた。故に彼女は目を伏せてしばし考え込み、結論を出す。

 ――畏れている。

 隣近所という日常と隣り合わせの場所からもたらされた、あまりにも凄惨な訃報に。そして、それが近く己に降りかかるかもしれないことに。死そのものではなく死への道行きを、もっと言えば突然降って湧いてきた危難と言う名の澱を、彼は畏れているのだ。

 また一口紅茶を啜る。やはり苦い。

 淹れ方を誤っているのかもしれない。ぼんやりと苦味を心に引っ掛けながら、アザレアは努めて真面目に、けれども朗らかに口角を上げてみせる。


「棺桶にはアマリリスを一杯、でしたっけ」

「あれ? 憶えててくれてたの」

「はい。お願いはなるべく叶えようと思ったんです」

「珍しいね。物殺しの人ってそのへん無頓着だと思ってたよ」


 頬杖を突き、紅茶を啜りながら、裁ち鋏の意識は過去を視ていた。

 命を得てから今日まで五十七年。その長い年月の中で彼が見てきた物殺しは――かの芝刈り機の若者を全員数えるならば――十人ほどである。その誰もが、お世辞にも物の事情を考慮しているとは言い難い乱暴さで物を還していった。命を得た際に持っていたはずの本懐を遂げられぬまま、足掻くことも許されず還された物も数多い。

 死にたくない。やり残したことは山ほどあるのに。逃げ場も頼るべき人や物も亡くし、嘆くばかりの物たちの声を、彼は少なからず聞いてきている。慰めることも出来ずに黙るしかなかった心苦しさは、いつ思い出しても頭がくらくらするほどだ。

 気を遠くし、取り落としかけたティーカップをそっとソーサーの上に置いて、シズは遠い昔に寄せていた意識を現に引き戻した。


「それならさ、アザレアちゃん。ぼくのお願いも聞いてくれる?」

「私が出来る範囲で、なら」

「大丈夫。きっと簡単だから」


 そう言って、口を一瞬噤み。

 意を決したように、告げる。


「今夜、来ておくれよ。十時過ぎに」


 それが何を意味するか分からないほどアザレアは愚鈍ではなかったし、臆病でもなかった。平静を取り繕い、ごく自然に、けれども何かを振り千切るような勢いで紅茶の残りを飲み干すだけだ。まだ熱い紅茶が喉を焼くものの、それを彼女が気にした様子はない。

 ふう、と大きく決心の溜息を一つ。息を肺腑に吸い込み、答えた。


「それがお望みなら、必ず。十時過ぎに、此処へ」

「うん。ありがとう」


 震えのない返答が一つ投げ返される。

 同時に、作業に集中しきっていたピンズが頭を上げた。アザレア、と通る声で物殺しを呼び、はぁいとばかり明るく応対した彼女へ、先程まで調整を繰り返していた服を両手に広げる。出来た、と言いたいらしい。

 しかし、その詳細をアザレアが見て取るより早く、縫製士はわくわくしきりな声で言い渡すのだった。


「ねぇ、ちょっと着てみてくれない? 絶対似合うから!」

「え、えぇ、はい。大丈夫です」

「OK! それじゃあ兄さん、外出てて!」

「えっ、あ、うわぁ!?」


 戸惑いがちにアザレアが返答した途端、シズは作業室から蹴り出された。

 此処からしばらくは男子禁制である。いくら服の型を決めて布を裁ったのが彼とは言え、女性の、しかも女子高生の着替えを呑気に見ていて許されるはずがない。尻を蹴らなくても、とぶつぶつ文句を言いながらも、裁断士は素直に作業室を辞する。

 ――シズが再び作業室へ入る許可を得られたのは、それからたっぷり十分も経ってからだ。


「え、あ、あの、めっちゃ恥ずかしいです……!」

「大丈夫大丈夫。すごく似合ってるわ!」


 黒いインナー、しっかりとした生地の白いブラウス、ブラックウォッチ柄のやや短いベスト。七分丈の黒のズボンは裾や尻ポケットにチェック柄を部分使いし、また諸所にツツジの花の刺繍が施されている。足元は編み上げのブーツで固め、両手には革の手袋を着けて、戦闘時には腰からナイフホルダーを提げる格好だ。髪は高い位置で一まとめにされている。

 比較的女の子らしい恰好を好むアザレアとしては、このボーイッシュな服装はどうも恥ずかしいらしい。顔を真っ赤にして姿見とピンズとを交互に見る物殺しへ、しかし縫製士はひどく楽しげだ。両肩をばしばしと激しく叩きながら、ピンズは姿見に映る女子高生を見ては嬉しそうに笑う。

 部屋の中の騒ぎに気付いて入ってくる兄。それに気付いた妹が、ほら見てとばかりアザレアの肩を掴んで百八十度ひっくり返す。耳まで赤くして顔を両手で覆う物殺しに、シズは穏やかに笑いかけるばかり。


「そんなに恥ずかしがらなくてもいいんじゃない?」

「だ、だってこんな服着たことない……」

「そう? そんなことないと思うけどな」


 だってきみは美人だもの。何だって似合うよ。

 そう言いかけて、彼はそれをそっと胸の奥にしまい込んだ。彼女を称賛するに余計な言葉は必要ないと考えたのだ。言おうと思えば歯の浮くような褒め言葉も紡げたであろうが、どんな言葉を並べても彼女の前では全て虚飾になるだろうと、彼は心の内で直感していた。

 結局、よく似合っていると当たり障りのないことだけを口にした裁断士へ、縫製士はやや不満げ。もっと何か言うことはないのか、と憤慨したように責められ、長く長く沈黙した後に、シズはようやく一言だけ綴った。


「きみに作った分が一番しっくり来るね」

「!?」


 驚いたのはピンズである。

 言葉もなくその方を向いた妹は、ドアに寄りかかり、辛そうに床を見つめる兄の、悲愴な佇まいに二の句すら失った。

 対する兄は、一度言葉にして吹っ切れたのだろう、饒舌に言葉を編み上げていく。


「完成品を着てもらった時にね、何となく“違う”っていつも思ってた。勿論フィッティングが悪いとか技術的な問題じゃなくって、全体的な雰囲気の問題でね。ぼくは何時だって全力で服を仕立てているし、お客様だってとても満足してくれたけど、ぼく自身が納得したことってないんだよ。あんまり」

「兄さん」

「でもアザレアちゃん。断言する。何百着も作ってきたぼくが言う。きみに仕立てたその服が一番満足な出来だ」


 もし彼が人間なら、その顔は笑っていただろう。

 されど、そこには今や布を裁てぬ鋼の鋏が付き立っているだけだ。


「だからさ、自信持ってアザレアちゃん。よく似合ってる」


 物殺しは黙ってはにかんだ。

 笑えぬ物の分まで笑うように、精一杯。

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