セルリアンハンター、往く。 2
「こちら巡回ハンター。現在キンシコウと共に、じゃんぐるちほーに潜伏中のセルリアンの元へ向かっています。状況はどうなっていますか? どうぞ」
『こちら駐在ハンター。セルリアンに依然変化は見られず。形態変化も無し。今はハシビロコウが監視してくれている。もう少し遅くても大丈夫だぞ。どうぞ』
「はは……流石に職務怠慢だと言われたくはありませんからね。それにハシビロコウさんにも申し訳無いですし、もう少し急ぐ事にします。どうぞ」
『まぁ、アイツの事だから割と好きで監視してるみたいなところあると思うぞ。ま、その分俺は楽できるから構わんがね。どうぞ』
「……その言葉、後で上に報告しても?」
『良いわけないだろ……ってほらぁ、こっち見てんじゃないのよさぁ……い、いやいやハシビロさんや。別にサボタージュキメようとか思ってないッスよ……つぅわけで、なんかあったらまた連絡する!
「はは、了解。……ふぅ」
小屋から出た俺達は、巡回ハンターの為に支給されたジープに乗り、数キロ離れたじゃんぐるちほーの密林を目指していた。
道中、じゃんぐるちほー駐在のハンターに何度か連絡を送り、まだセルリアンが活動していないのを確認したが、セルリアンにはまだ謎が多い。万が一の時の為に、早め早めの行動が大事だ。
「う、うぅ……」
隣の座席をチラリと見てみれば、ジープの振動に合わせ、キンシコウがギュッとシートベルトを握り締めている。
「やっぱり慣れませんか?」
「え、ええ。この姿になる前までは、木の上での生活が当たり前でしたから……うぉっと」
「この姿になる前」というのはつまり、サンドスターによってフレンズになる以前の、猿としてのキンシコウの事だ。なんでも元は中国に住んでいたらしいが、そもそもキンシコウという動物自体、俺は彼女と会うまでさっぱり知らなかったのだ。
動物園と聞けば、ゾウだとかキリンだとか、そういうメジャーな動物しか知らなかった俺だが、このジャパリパークには数えきれない程のフレンズ化した動物が暮らしている。一口にゾウと言っても、アフリカゾウにインドゾウもいるし、聞くところによれば既に絶滅した動物、更にはUMA……ツチノコのような未確認生物すらもフレンズとしてここに生息しているというのだから、サンドスターのとんでもなさが分かるだろう。
「しかしっ、このクルマというものっ、便利ではありますがっ、こういった地形だとっ、揺れがっ、酷くてっ!」
今乗っているジープ、ジャパリバス同様電気で動いており、駆動音自体は比較的静かなのだが、如何せん走っているルートがルートだからか、砂利が巻き上がるわ、酷く揺れるわで、この文明の利器に慣れている俺はともかく、キンシコウは乗っているだけでも悪戦苦闘している。
「すいません。もう少しの我慢なので、頑張ってください」
「あ、ちょっとっ、なんかっ、見放されてるっ、気がっ、あだーッ!?」
あ、舌噛んだ。まったく、そんなに喋るから……。けど、意外とお茶目で可愛いかもしれない。
僕は微笑ましいものでも見たように、そっと彼女から目を逸らした。
******
なんやかんやとジープを走らせ、数十分。そろそろ合流するというところで、俺は連絡を取ろうと、ジープに備えられた通信機に手を伸ばす。
隣のキンシコウは……うん、ぐったりしてジープの縁にもたれかかっている辺りでお察しだ。
小声で「これも……修行の……一環……」と呻いているが、どうもその修行は達成できなかったらしい。
心の中で、ご愁傷様、と呟き、俺は通信機のスイッチを押す。
「こちら巡回ハンター。間もなくそちらに着きます。セルリアンのいる場所への誘導を願います。どうぞ」
『――ジー……ガー……』
「……? こちら巡回ハンター。間もなくそちらに到着。誘導求む。どうぞ」
……妙だ。念の為に言い方を変えて繰り返し送ってみたが、何の反応も無い。
それから更に数回、連絡を送る。だが、まるで反応がない。
これにはぐったりとしていたキンシコウも、流石に異変を感じたらしい。上体を素早く起こすと、先程までの悲惨な様子から一転、戦士としての風格を現す。
「敵襲でしょうか」
「……かも、知れません。セルリアンが動き出したのか、あるいは単なる通信不良なのか……」
「……恐らくは、前者かと」
「根拠は?」
そう問いかけると、キンシコウは前方に見えてきた、うっそうと木々が生い茂る緑の世界を見つめ、口を開いた。
「森がざわついています」
一瞬分からなかったが――というか分からなくて当然なのだが――、彼女が言いたいのはつまり、人間が知覚できない領域の事を言っているのだろう。
彼女は見た目こそ人間に近いが、猿としてのキンシコウをそのまま人間大までスケールアップしている為か、人間以上に優れた知覚能力を持っているらしい。
更に、彼女の本来の生息域は森林。つまり、そういった地域の状況把握はお茶の子さいさいというわけだ。
密林には車は入れない為、その前で車を停車させると同時に、キンシコウは
地の能力のみならず、鍛錬で培われた鋭い聴覚を研ぎ澄まし、雑音を跳ね除け、必要な情報だけを得る。万が一の時に備え、エンジン、もといモーターは切っていないが、その音をも彼女は退け、聞き分ける。
素直に凄いと感想を述べたところ、「一緒に修行、どうです?」というありがたいお誘いを受けたが、修行風景を見て、どうも自分にはできなさそうだ、という事で丁重にお断りさせていただいた。
……その時のキンシコウが若干寂しそうにしていたが、流石に目隠しをして周りから飛んでくる丸太を
「……奥の方から、二人、でしょうか。これは駐在ハンターさんと、ハシビロコウさんのものだと思われます」
そんな回想にふけっていると、キンシコウが駐在ハンターと、その相方に当たるフレンズ、ハシビロコウの存在を感知したらしい。
言わずもがな、俺には生い茂る木々しか目に入らないし、集中して音を聞き取ろうにも、モーターの音と、風に揺られる木々の音で何が何だか分からない。
キンシコウの聴力に感心していると、突然、彼女の瞳が開かれる。どうやら、ただ事ではないらしい。
「……どうか、しましたか?」
おずおずと訊く俺に、彼女は努めて冷静そうに振舞いながらも、僅かに顔を青くしながら口を開いた。
「……デカい」
「え?」
「デカいのが、きます」
「――ぉーーーーい!!!」
目に映る密林の奥、生い茂る大きな葉っぱがガサガサと揺れ、人の叫び声が聞こえてくる。
直後、そこから二人の男女が姿を現す。
片や、俺と同じような緑の服を着ているが、ベストを着ていない軽装の男。駐在ハンターだ。
片や、灰色の夏用軍服風の服を着た少女。
少女の方は服と同じ灰色の髪に、左耳横に一房、黄色く染まった毛先の髪が垂れさがっている。何より目立つのは、V字に切り揃えられた前髪から覗く、吊り上がった鋭い目。
何かから逃げている最中だろうというのに、まるでこっちを監視しているようにすら思えるが、気のせいだと思いたい。
自然体でありながら他者を威圧せしめる彼女もまた、フレンズである。じゃんぐるちほー、及びさばんなちほー周辺で、自ら進んでセルリアンの動向を監視してハンターをサポートしている、人呼んで『鬼のジャパリ警察デカ長』。名を、ハシビロコウ。通信で駐在ハンターの口から語られていたのが彼女だ。
「乗せて、乗せてくれぇー!!」
叫ぶ駐在ハンターは不安定な足取りで走ってくるが、ハシビロコウはただ無言で、こちらをジッと見つめてきながら走ってくる。
……ハシビロコウのあまりの眼光に恐れをなして逃げてきたのか?
などと、妙な考えがよぎったが、次の瞬間、彼らの背後の密林が更に震えた事で、そんなバカみたいな考えは吹っ飛んでしまった。
「……来ます!」
何が、と訊くまでもない。何が来るかなど、俺でも分かってしまう。
果たして、密林特有の
見上げてみて、そして把握する。
――「あれは柱などではない。足だ」、と。
距離があるからこそ、少し見上げるだけで済んではいるが、それでもその巨大さに圧倒され、頭から血の気が引くような気分を覚える。
体長は約6、7メートルはあろう巨躯。当然、その肉体を支える筋肉は隆々と盛り上がっており、誰の目から見ても分かる程の筋肉ダルマだ。その右手には――恐らく周囲の密林から引っこ抜いて来たのであろう――太い樹木を、なんと片手で担いでいる。
そして、それ以上に特徴的なのは頭部だ。捩じれて鋭そうな闘牛の如き二本の角。顔面のパーツを全て取り払い、代わりに中心に据えられている、白黒の大きな一ツ目。
例えるならば、ギリシャ神話に登場する怪物、ミノタウロスか、あるいは……。
ふと脳裏によぎったのは、キンシコウとアレが対峙する絵面。それはまるで、西遊記のワンシーンのようで。そこから連想されたのは――
「……牛魔王?」
「まさか……古代の生物はともかく、セルリアンが物語の存在を模していると?」
「模している」と言ったのは、それが奴ら……『セルリアン』の最もたる特徴だからだ。
セルリアンと称される怪生物は謎だらけ、というよりも、謎しかない。
まず、「そもそも生命をもった存在であるか」という時点で分からないし、「なぜ人間やフレンズを襲うのか」という点でも、不明瞭なところが多すぎるのだ。
最近では生物はおろか、単なる『モノ』――車や建物――すらも標的にしている可能性があるというのだから、ますます分からない。
そんな正体不明の怪物を相手にするのが俺達ハンターの仕事ではあるのだが、勿論、何もしてこなかったわけではない。
奴らに関して分かった事もある。その一つこそ、『セルリアンの模倣・変形能力』だ。
奴らセルリアンは、基本的には球体をしている事が多いのだが、それ以外にも目撃されているのが、どこかで見たような形をしたタイプのセルリアンだ。
船の錨やら足の生えたジャガイモのような奇怪なものから始まり、巨大ナメクジ、果ては古代の恐竜の姿をしたのも目撃されている。
だが、物語に描かれた怪物を模倣するなど、今まで聞いた事も見た事もない。もしこれが牛魔王でなくミノタウロスを模しているとしたら、余計謎が深まってしまう。それはもう、色々と。
生憎と俺はセルリアンを研究する学者でも、ましてや博士でもないから、考察やら何やらは、そういう偉いお方にでも押し付けてしまおう。
俺達はハンターだ。考える以上に、やるべき事がある。
「――なんて心の中でカッコつけてみるけど、流石にここは、『逃げる』事だけを考えるべきですよねー!」
「ちょ、待った待った! 乗る! 今乗るから!」
巨大セルリアン――とりあえずの仮に『牛魔王セルリアン』としておこう――がほとんど目と鼻の先に迫り、もはや一刻も争うというところで、駐在ハンターとハシビロコウがジープの後ろに飛び乗る。
立ち向かわないのかって? 馬鹿を言え。今まで見た事もない、見るからにヤバげな奴に、策も無しに向かって行くなんて、無謀にも程がある。
「出せ!」
「出して下さい!」
ハシビロコウとキンシコウがほぼ同時に叫び、俺はアクセルペダルを蹴りつける。
モーターの駆動音こそ小さいが、急にアクセルを全開にした事で、タイヤが雑草と砂利を巻き込み、けたたましい音を鳴らす。だが、一向に前進しない。
――まずい、タイヤが空回りしてしまっている!
「早く! 早く!」
分かってる! と叫んで返す暇もなく、俺はひたすらにペダルを蹴りつける。
動け、動け! 動け!
「動けェ!」
次の瞬間、背後からブワリと風が吹き、一瞬車体そのものが浮かび上がったかと思うと、すぐに万有引力の法則が働いたのか、ガシャン、という嫌な音と共に車が再び大地に足を、もといタイヤをつける。
何が、と後ろを振り向けば、牛魔王セルリアンが右手に持った樹木を左の方へと持っていっている。
いや、そんなややこしい言い方をする必要はないか。つまり奴は、樹木を振るったのだ。こちらを仕留める気満々で。だが、運良くその攻撃は外れた。
しかし、油断はできない。一見すると
「……チィ!」
ここからは、後ろを気にしてなどいられない。俺はハンドルを強く握りしめると、再びアクセルを全開にする。
今度は、タイヤが空回りする事なく発進。猛スピードで走り出す。
「キンシコウ! 二人は無事ですか!?」
運転に集中しているせいで後ろを確認できない俺に代わり、キンシコウに後ろに乗り込んだ二人の様子を確認させる。
「はい、無事そうです!」
「いっつぅ……ちぃとばかし膝打っちまったが、問題ねぇ!」
「こちらも問題ない」
後ろから三人の声。キンシコウ、駐在ハンター、そしてハシビロコウの順で応えてくれた。
……そういえば、ハシビロコウと実際に会うの、初めてだな。思った以上にクールっぽいというか――
「――い、おい!」
「ッ、なんです!?」
「右だ! 右に切れ!」
唐突に掛けられたハシビロコウの声に、俺は反射的にハンドルを右に切る。
それと同時に、左の方から土煙と共に強い風が吹き付けてくる。
「すいません! 助かりました!」
「何、目は良いからな! 礼など今はいい! 今は逃げる事だけに集中しろ! 次、左!」
はい、と返事を返す前に、左にハンドルを切る。すると先程と同じように、風が土煙を伴って吹き付ける。
右、左、右、左と、俺は無我夢中でハンドルを捌く。
内心、いつやられるかというネガティブな思いで、心が押しつぶされそうだ。
心臓も、普段以上にバクバクと鼓動を鳴らす。「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせても、焦燥感は無くならない。
普段以上の修羅場に、僕の頭が着いていけていない。今の僕は、ただ車を動かすだけの機械のようにならねば、回避運動を維持できない。
だが、牛魔王セルリアンは一向に攻撃の手を緩めない。頬を叩きつける風が、否応なしに危険の気配を感じさせ、それが俺の生存本能を激しく刺激する。
「―――――ッ!!」
「―――!」
「~~~~~~!!!」
ついには、言葉そのものが理解できないところまで来てしまった。
後ろで何か叫んでいるのは分かるが、何を言っているかまではまるで分らない。三人同時に喋っているせいか、あるいは俺の頭がダメになったか。
「――――ターさん!」
ふと、際立って聞こえる声が一つ。
「ハンターさん!」
そう呼ばれ、俺の意識が少し、ほんの少しだが我に返る。
「ハンターさん! 気をしっかりもって!」
また少し、自らの意識がはっきりするのが感じられる。
そうだ、俺はハンターだ。セルリアンハンターなんだ。仕事は? そう、セルリアンを狩り――そして――
「……って、オイオイオイ! 野郎、マジかよ!?」
そこで、駐在ハンターの慌てふためく声が聞こえてくる。
直後、視界が、重力が、何もかもが回転する。
耳に届くのは、ドカン、という破砕音。
回転する視界に合わせて、身体が捩じれるような感覚、そしてジワリとくる苦痛がやってくる。
永遠のようにも思える時の流れの中で、俺はただ、他の三人が無事かどうか、それだけを考えていた。
己の感覚が全てが消えるまで、そんなに時間はかからなかった。
セルリアンハンター、往く。 Mr.K @niwaka_king
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