*18* 一迅の刃
齢16にして窒素死の危機に瀕した穂花は、すぐさま救出を行った紅による必死の介抱が功を奏し、事なきを得た。
「申し訳ございません。なんとお詫びしたら良いか……」
「ごめんなさいぃ~……!」
「いやいやいや! 大丈夫だから顔上げて、ねっ!?」
只今の状況はというと、膝を突き合わせた紅、蒼、2名による、額を畳に擦り付けんばかりの五体投地が炸裂していた。別名土下座とも言う。
たしかになにやら景色の綺麗な場所へ意識を飛ばしかけた穂花だが、無事戻ってくることができた。こうして陳謝されているほうが心臓に悪い。
その旨を声高に訴えかけたところ、渋々といったように紅、次いで蒼が身を起こした。
これにて
「いやぁ、まさか蒼がねぇ」
「わたしが躾けましたゆえ、そこらの妖には劣らぬものと自負しております。……が、人のかたちを取ることが不得手でありましてな」
「足であるくの、むずかしい……あと、あお力つよいから、よくものをこわしちゃう……」
「悪気はないのです。このように反省しておりますので、どうかご
「あおも、きをつけます……」
この世の終わりのような面持ちで猛省されては、いよいよ胸が痛くなってきた。
「気にしないで。蒼がいい子だって、私は知ってるからね。どうせなら、楽しいおしゃべりでもしようよ!」
「んぅー……」
努めて優しく声をかけたつもりだが、蒼は困ったように眉尻を下げ、唸っている。
「ひとのすがた、ほんとはダメって、ぬしさまに言われてるの。きょうはおつかいで、ひとになってるの」
「おつかい?」
「……少しばかり用事を申し付けたのですよ。して、蒼、成果の程は?」
「うんとね、がんばりました!」
「そうか……苦労をかけたな」
紅玉をやわらげ、紅はおもむろに右手を伸ばす。
晴れた日の空――天色の横髪を退けて指がそっとふれた頬の鱗近くに、切り傷のようなものがある。そのことに、穂花は初めて気づいた。
「褒美というわけでもないが、このままで」
「ぬしさま?」
「おまえと話したいと、穂花がご所望じゃ。しからばその姿で、その声で、お応えして差し上げよ」
きょとんと傾げられる天色の頭を撫でる手つきは、この上なく穏やか。ひとのままでも構わないと、紅は許可したのだ。
数拍遅れて輝きを放つ常磐色の双眸は、歓喜の証。
「ぬしさま、ありがと~っ!」
飛びつく、という表現がまさに適当かと思われる抱擁。顔をしかめながらも咎めはしない紅を見る限り、蒼も加減を憶えたようだ。
見た目こそ同じ年ごろだけれど、幼い弟をなだめる兄の顔をした紅を、穂花は見逃さない。
目前の光景に自然と頬はゆるみ、まぶしげに眼を細めた。
* * *
「ちょっと紅さん」
「はい」
「私の大好物知ってます?」
「あんかけ揚げだし豆腐ですな。すりおろし生姜を忘れずに」
「お茄子もつけるとか天才ですか。味が沁みてる……はぁあ……しあわせ~……!」
うららかな陽気の射し込む居間にて。
穂花の大好物である揚げだし豆腐を筆頭に、食卓にはアジの混ぜご飯、青菜と百合根の卵とじ、麹の味噌汁と、まばゆい朝食が並べられていた。
さすが紅といったところか。その腕たるや、高級料亭の料理人にも引けをとらない。
「ねーさま、にこにこ」
「ホント美味しいよ! 蒼も食べてみて!」
「あおはね、たべられないの」
「食べられない……どうして!?」
「食事を必要としないのですよ。原動力として、わたしの神力を分け与えておりますゆえ」
言い方を変えるならば、紅の神力が、蒼の食事ということだろうか。
「そっか……こんなに美味しいのに、なんか勿体ないね」
言葉を交わせても、所詮はちがう種族なのだと。
当たり前の習慣を共有できない物寂しさが、箸を遠のかせる。
「空腹を憶え、美味と感じるうちは、喜ばしいことではないでしょうか」
かたわらでそっと急須を傾ける紅の、異様なほど静かな草笛が、にわかに異変を伝える。
「確信致しました。――誓約は、まだ続いております」
「なんですって……!」
「貴女様が、こうして変わらず食事をされている。それが証です」
コト……と置かれた湯呑みの透き通った緑に、ゆらめく己が映り込んでいる。困惑の面持ちで。
「永久を司るわたしは、老いや飢えを知りません。味見程度に摂取することはできますが、そもそも食事の必要がないのです」
そうか……だからなのだ。
滅多に食事をしない、したとしてもすずめの涙ほどの量であった理由は、穂花の給仕のために先に済ませていたわけでも、紅が少食なわけでもなかった。
「このイワナガヒメとともに永久を得たのならば、貴女様がお食事をされているはずがない」
「だから誓約は続いてるって…………青い蕾があったのも、それで?」
「おそらく」
穂花の問いに、紅は別段驚くこともなく答えた。その存在を、とうの昔に知り得ていた証拠だ。
「たしかに椿の……赤い花は咲きました。しかし、わたしと貴女様の神力は未だ同化していない。天が仕損じるとは到底思えませぬ。となれば、考えられることはひとつ――〝蕾を咲かせられるか否かの機会を、天は等しくお与えなさった〟」
「それって、つまり――」
「ぬしさま」
それまで大人しくなりゆきを見守っていた蒼が、唐突に声を張り上げた。
背筋を伸ばし、庭の方角へと眼を凝らしている。これまでの姿からは想像もつかないような、鋭利な常磐色をたぎらせて。
「きたよ。あお、また出る?」
主語がなくとも、紅はすべてを理解したらしい。
「……いや、そのままで良い」
なんのことだかわからない。が、なにか良からぬことが起きようとしていることだけは、わかった。
ざわめく鼓動。おもむろにまぶたを下ろした紅へ、声をかけようとしたそのときだ。
翠の絹髪を、一迅の風が舞い踊らせた。
「――動くな。妙な真似をすれば、斬る」
……鼓膜を凍りつかせるは、絶対零度の声音。
呆然と見つめる先で、白銀の刀身が鈍い光を放つ。
「この一晩で、さぞかしおめでたい夢を見ることができただろう」
聞き慣れた音色で、これほどまでに皮肉たらしい響きを、耳にしたことがない。
けれども視界へ映るのは、見慣れた飴色の髪。
「俺の穂花を返してもらおうか。――禍津神」
鋭い言霊、矛先を向けられて尚、紅は焦燥を滲ませはしない。
「……お待ちしておりました、オモイカネ殿」
まるで覚悟していたかのように、しかと紅玉で見返す、ただそれのみ。
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