《√11/蜘蛛の糸》

 どんな物語でもいわれるのは決して希望を捨ててはいけないこと、手を離してはいけないこと。もし同じ手をもう一度掴めるチャンスがあるのなら二度目は決して離しちゃいけないと私は考える。だから決めていた。あの嵐の夜から結末の道筋を――


 久々に会うと誰に対してもときの流れを感じるものだ。「見つけた」と息を荒げているカレはよりそれを実感しているだろう。「老けたな」と冷静に溜息を吐くように言った私に対してカレは「お前はあんまり変わらないな」と苛立ったように言葉を吐く。

 私よりも身長は高く、たくましく育った子オオカミは昔の無邪気さや顔自体には幼さが見え隠れしているが、今はまるで自分の方が小さな子供、そう十年近く前の頃の様に私にピタリと縋り付いてカレに対して不信感をあらわにする。


「見つかったの?」

 静かな声で問いかけると鋭い目で睨むので少しおどけてみせた。

「見つかっちゃった」

 ケラケラと馬鹿にするように笑うと食い殺すというように口を半開きにした。私は挑発とわずかな願いを込めて服のボタンを外して喉元を露わにする。そんな私とカレの間を遮ったのは子オオカミだったが、その片手はまだ私の袖を掴んだままだ。


「お母さんは見つかったの」

 大抵の親にとって知らぬ間の子供の成長、そしてその言葉はとても動揺を生み出す。カレも例外なくそうなようで私は安心した。

「見つかった」

「三人で暮らすの?」

 子オオカミの質問癖は幼少の頃から変わることがなく、今に至っている。

「いや、離婚はしてないけど別居してる。その、別居っていうのはだな」

 カレが詳しく説明しようとすると「それくらい知ってる」と子オオカミは冷たい口調で言葉を遮り次の質問を口にした。

「なんで今更迎えに来たの?」

 夕方の雑踏の中では大抵の人間が他人のことなど考えることなく歩く。それは他人事だから。教室やオフィス等の閉鎖的空間だったなら一触即発という雰囲気だが、それを見向きする人はいない。

 何か私も痛い言葉を挟もうかと考えてが、あまりにもカレの目の奥が病んでおり、もう私を食い殺すような殺意もなく、動揺と罪悪感の中を彷徨っている様子だ。

「仕事が一段落したから? それとも貯金が一定額貯まりでもしたの?」

 子オオカミがこうして殴り掛かるように喋るのも痛い程理解できる。でもカレの気持ちもわかる。黙り込み続けるカレに対して子オオカミが改めて口を開きかけた。


「高校生に、なるからだよね」


 やっぱり私はカレに甘い。袖を握り続ける子オオカミの手を両手で包みながらカレに対して言葉を投げる。

「フゥ君が高校生になるから、一番良いと思ったんだよね」

 カレは好き勝手に行動している様に見えるけれど相手のことをよく考えている。それにいざというときに動けない。誰かが背中を押してくれないと。それが現実の友達でも、ネット上の友達でも……

「そう。高校を決める前が一番良いってアドバイスされて、だから、迎えに来た。本当は中学に上がるときにしようと思ったけど――」

「勇気が足りなかったんだよね」

 小さな子供を諭すような口調にカレは少し驚いた顔をした。

「それにちゃんと居場所もわかってなかったし、思春期真っ只中の子供の環境を大きく変えることにも抵抗があった」

 油を差したようによく喋る私にカレは動揺を隠せない。

「約束」

 その言葉を口にしながら笑うとカレは「このストーカーが」と精一杯の罵りの言葉を口にしたので「誘拐犯よ」と笑ってみせた。


 少しの間があったがカレは私が目に負えないスピードで動きその手で子オオカミの手を掴んだ。

 わかっていた結果だったけどやっぱり泣きそうな気持ちが込み上げてくる。

「返してもらう」

 昔と変わらずカレはかっこいいな。物語のヒーローの様だ。そして私はどうやっても中途半端な悪役。

「今に始まったことじゃないけど、始まりも終わりもキミは唐突で勝手すぎる」

 とにかく泣きたくなかった。だから子オオカミの手を離してカレの方に軽く突き飛ばす。自分で覚悟していたはずだこのことは。数日中に起こることもわかっていた。でも、やっぱり辛いな。

「お別れだね。フゥ君」

 精一杯の笑顔をつくると子オオカミは逆にとても不安な顔をする。いや、もしかしたら私もそんな顔なのかもしれない。

「ヤダ。ヤダよ!僕はノビノと居る!これからも、ずっと!一緒に!ノビノと一緒に!」

 暴れ出す子オオカミをカレは抑え込み、私は手の届かない距離へと離れる。それでも騒ぐので私は子オオカミの顔に自分の顔を近づける。

「フゥ君。私のこと、殺せる? お願いしてたよね、強くなったら殺してって。お父さんみたいな立派なオオカミに抵抗できるのは強いオオカミだと思うんだ。殺してくれる?」

 さっきよりもボタンを一つ外して首を子オオカミの口元に持っていったけれど、子オオカミは泣きじゃくりそのままそこに座り込んでしまった。

「ゴメンね」私は一度だけ子オオカミの頭をあやす様になだめるように撫でるとボタンを掛け直し、襟元を整える。


「スウ君」


 久々に呼んだ愛しい人の名前。カレは崩れ落ちた子オオカミを支えながら、戸惑いながら返事をした。

「住所はメッセで送ってくれたら、フゥ君の荷物まとめて送るからさ。神紙鬼さん」

 スマホを片手に苦笑してみせる。

「変なものは送らないでくれよ。七匹のウルフさん……で良いのか?」

 問いに私は頷くと「送らないよ。ただ、約束だけはもう破棄させてくれ。いい加減に懲りただろ。私と関わるのも」振り返るともう表情が作れないのがわかっていたから振り返らなかった。それでもカレが何か言おうとしていたのはわかったけれど「ききたくない」と一蹴して走るようにその場を去る。十年ぶりの独りきりの家はあまりにも静かで耳が痛く冷たい。そんな中を子オオカミの幻覚が駆け回る様で、嵐が過ぎたことを実感させられた。

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