《√5/世界にひとつだけの》

 誰かが人生は妥協だと言っていた。確かに協調性がなければ世界は生き辛く、その為には多くの妥協がいる。無個性に世界を張り付けていると言った方が良いんじゃないかと感じるくらいだ。ではそのその世界は誰が描き、誰を中心に回っているというのか――


 ヒステリックな母の声。

「オオカミを育てるなんておぞましいわ!」

 重たい父の罵倒の声。

「そんな風に育てた覚えはないぞ!」

 心の中で私は答えていた。「いえ。これがあなた方の結果です」と。


 人は結果を摘み取って進む。でも同じことをしてもそれぞれで結果が違うことから海外では因果応報のことを撒いたものを刈り取るというそうだ。それは実によくできた比喩だと私は感心し、感心しつつスヤスヤと眠る子オオカミの顔を覗き込む。カレにそっくりな寝顔。カレにそっくりな毛並み。でも色は少し違う。人生とは常に過去の結果であり、今も種を撒き続けている。


 こうして寝息をたてる子オオカミの傍にいると学生時代のことを思い出す。カレと過ごした時間を……


 この世界は獣である間、一定の期間は人になる為に学校に通う。けれど多種多様な獣が同じ学校に通うことは少なく、私は幼少期はヤギ専門の学校に通っていた。でも途中からヒツジ専門の学校に通わされることになる。政府の計画でその方が将来が優位になると言われ始めたからだ。そんな計画すぐになくなったけど。

 ヒツジという獣は実に穏やかで集団を好む。悪い言い方をすれば陰険で異物を嫌う。そして子供には当たり前ながら政府の計画など関係なく、種族も毛色も違う私は完全なる異物であり、若干似ているところがより薄気味悪かったのだと今なら理解できる。そのせいでというべきか、おかげでというべきか、そんなことがあったから私は出会った。運命の人、いや、運命の獣。カレという名のオオカミに。群れを追われ、逃げ込んだ裏山で。とても無邪気で、馬鹿で、物知らずで、でも頭が悪い訳じゃなくて、とても器用な手を持ち、おかしなところだけ真面目で、とても強くて脆いオオカミに。

 世界は弱肉強食でそのヒエラルキーは大人になっても健在だ。けれど、大人はそれだけで動けはしない。でも子供は違う。責任がない。無邪気に、ただ無邪気に力をふるえ、許される。私は心から嬉しかった。これでやっと弱者になれるのだと。被害者になれると。強者にも弱者にもなれない立場から解放され、殺して貰えると。なのに……


「まずそっ」


 一声目はそれで、私の毛の色を見て「お揃い」と笑うカレ。悲しくて嬉しかった。沢山の気持ちが浮き沈みする。でも、一番は楽しくて、幸せな時間で、失いたくなくて、殺して貰えるかもしれないというわずかな希望で隣に立っていた。大人になり人の皮を被りきるその時まで。

 カレとの時間を得る為に私は自分の持っている大半のものを批正にした。多くの知識をカレに教え込んだ。途中から今という未来は見えていたけれど、それでも私はカレに与えられるものはできる限り渡した。


大人になったときの結果は《多くのヒツジを殺したエリートオオカミ》と《ヒツジの学校で生き残りはした落ちこぼれの黒ヤギ》。


 私とカレの道は大きく別れ、私はより苦しい道を歩くことになった。温い仲間殺しという罪悪感と共に。それでもあの時間を私は後悔したくない。間違いにはしたくない。だからより早く終わらせたいと願うのだ。私という時間を。

「でも、また約束しちゃったからな……」

 寝息をたてる子オオカミの頬を手の甲で撫でると、子オオカミはほんのりと笑みを浮かべる。この感情は、あの時間以上に複雑だ。

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