《√3/ねない子だれだ》

 人は意識的であれ無意識的であれ優先順位というものを付けてしまう。それを選択の際にどのように扱うかは話が変わるが、どれも大切というような優先順位の付け方はどれも大切ではないと言われても仕方がなく、逆に優先順位がハッキリしすぎているのも一種の狂気であり依存の現れだと感じる――


 暗い夜道。しかも路面の悪い山道を走行しているとチャイルドシートごと子オオカミは右へ左へ、上へ下へとシェイクされている。自分がその立場なら吐き気をもよおしているだろうがそこはさすがはオオカミというべきか、子オオカミはジッと窓の外の暗闇を眺めていた。

 まだ満月に近い月明かりのおかげで道自体は見えやすい。それでも不気味さが拭われることはなく、ラジオもCDもかけてない車内は車自体が揺れ軋む音と後ろにぎっちりと積まれた荷物暴れる音だけが支配している。日頃なら「ねぇねぇ」とこちらが口をガムテープで縛っておきたいと考える程うるさい子オオカミも黙り込んでいて、それがより不気味さを増幅させている。


「ねぇねぇ、さがしてるかな」


 やっと口を開いた子オオカミの言葉はソレだった。私は跳ねる車を抑え込むのに必死で「探してるよ。だからお父さんは私にフゥ君を預けた」とその姿を見ることなく返事をした。

「違う、おかあさんじゃなくて……」

 再び黙り込んだ子オオカミ。私は大きな失敗をしたような苦い気持ちに襲われる。日頃は無邪気に笑っていても周りの気持ちがわからないわけじゃない。子オオカミは子オオカミなりに気遣いもし、恐怖と戦っているのだ。そんな小さな子供にこの状況は酷という他ない。

 私は停車できるスペースを見つけると即座に車を止め、鞄の中に入れておいた飴玉を一つ子オオカミに渡す。子オオカミはそれを食べようとはせずジッと見つめている。車内には月明かりが差し込み眩しいくらいだ。

「大丈夫。探してるよ。お父さんも、お母さんもフゥ君のこと探してる。だから私はこうして逃げてる」

 缶コーヒーをあけてグッと私は飲む。横目に今にも泣きそうな子オオカミの顔が見えたけれど私はそれを直視できなかった。だから横を見ないまま手を伸ばし、まだ少し産毛の残る頭を撫でる。それ以上のことはできなかった。


「私は今、フゥ君のことを誘拐してるんだ」

「ゆうかい?」


 コーヒーを一口飲む度に何か笑いにも似た感情が込み上げてくる。黒い自分の感情。

「そう、誘拐。実はねぇ、あのお月さまが真ん丸だったときにお母さんが家にきたんだよ」

「おかあさんが?!」

 驚く子オオカミに対して私は笑みをこぼす。

「うん。フゥ君が寝てるときにきたんだ。だけど私はフゥ君を返したくなかったから誘拐することにした」

 怯える子オオカミの黒めの中に映る私は昔の自分だった。全ての毛が黒く獣だったときの自分。

「お父さんがお母さんを見つけたかはしらない。でも、お父さんもお母さんもフゥ君がどこにいるのかは知ってた。だから私は隠すことにした。このことに気が付いたら、お父さんは必ずフゥ君のことを探すだろうね。でも私は逃げ続けるよ。フゥ君を連れて」

 月に雲がかかり、少しずつ薄暗くなる。

「どうして、ノビノは、そんなこと、するの……」

 絞り出すような子オオカミの言葉。私はコーヒーをすべて飲みきり缶を私達の真ん中に音をたてて置いた。

「探して欲しいから。君のお父さんに。必死になって」

 黒い私が笑みをこぼす。

「どうして……」

 子オオカミは完全に震えていた。

「お父さんが約束を守ってくれそうになから、かな」

 自分で口にした言葉なのに脳の中では「「約束」」と自分とカレの声が響く。でもそれ以上に掻き消せない声が繰り返し脳の中を駆け巡り、それを引き出すかの様に再び車内を月明かりが照らす。

「ノビノは、おとうさんと、なんのやくそくしたの?」

 眩しすぎる月を見上げながら私は「秘密」と目を細めた。満月、特に銀色の満月が私は嫌いだ。掻き消せない声は次第に私の頭の中を埋め尽くしていく。苛立ちという感情が一番だろう、そんな感情に飲まれかけていた私を引き戻したのは缶の上に置いていた手に乗せられたぬくもりだった。


「ぼく、ゆうかいされてあげる。だからぼくともやくそく、して!」


 少し叫ぶように子オオカミは縋る目で私を見つめている。

「ナニ?」

 できる限り白い自分、今の自分で作れる笑みを向けたつもりだ。


「ぼくをおいていかないで!ぼくをひとりにしないで!どこでもついていくから。おいていかない、で――」


 それは無意識だった。無意識に私は子オオカミを抱きしめていた。強く、強く。言葉は何も口にできなかった。子オオカミの寝息が聞こえてきたのはその直後で、私はソッと体を離す。「お前はどうしてそういう選択しかできないんだよ。本当に不器用だな。もっと楽な方法なんていくらでもあるのに。バカだな」そう言いながら私のことを抱きしめてくれたときに見た月は半月で金色でカレの目にそっくりだと思った。ある意味でそれは今に至る始まりで、今でも思い出せる。あの風景とカレの手のぬくもり。カレの香り……隣で寝息を立てる子オオカミに起きる気配はなく、私は再び車を走らせ始めた。荷物と様々な想いを乗せて。

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