第36話

 出てきたのは警察官の服を着た、警察官のジューンズだった。街でよく見る普通の顔だと思っていたけれど、今はなんだか珍しい気がしてしまう。

 ともかく彼はきょとんとしながら、同じくきょとんとしているネノンの方に歩み寄ってきた。

「どうしたんだい、こんなところで?」

「あ、えぇと……」

 どうしたのと聞かれても、ネノンはどうとも答えられなかった。なにしろ自分でもまだ、どうしてここに来てしまったのかわからなかったから。街は辛くて苦しいはずなのに。

 だけど、しどろもどろになっていると、ジューンズはネノンの後ろにあるものを見やって、勝手に納得したようだった。

「あぁ、この家か。ネノンちゃんが空き巣を捕まえてくれたんだったね」

「え、あ……はい」

 頷くのもなんだか辛かったけど、流石に否定はできなかった。ジューンズはそれにうんうんと気軽に頷いて、

「ここはちょっとした名家でね。今は誰も住んでいないけど、近くに住む親戚の人に話したら、とても喜んでくれていたよ。そんな優秀な子、我が家に迎えたいくらいだ、なんて言ってね」

 許嫁かなと軽く笑う。

 けれどジューンズは、ネノンが塞ぎ混んでいるのを見て、すぐに怪訝に眉をひそめた。なぜかと少し考えてから、「ひょっとして」と続けてくる。

「二度目の空き巣退治のことを思い出してるのかな?」

 そのことに触れられて、ネノンはびくりと怯えるように身体を震えさせた。

 ジューンズはそれをしっかり見て取ったんだろう。声を優しくして言う。

「あれはまあ、仕方ないよ。家の人も紛らわしかったみたいだし」

「でも……」

 慰めるような声と言葉。けれどそれに素直に頷くことができなくて、ネノンはぽつりと言葉を返してしまった。

「失敗するのは、やっぱり悪いことだし」

 俯きながらだったから、声はほとんど前に向かわず下に落ちていった。それは目の前の警察官までも届かないのではないかと思えるほどだった。

 だけどジューンズは、それを拾うようにしっかりと聞き取って、「難しいことを言うね」と少し困ったような苦笑いを浮かべた。

 何が難しいものかとネノンは思ったけれど、それを口にする前にジューンズの方が、悩むような吐息混じりに言ってくる。

「特に僕たちみたいな警察官の仕事は、取り返しがつかなくなることだってあるから、失敗は許されないことかもしれない」

 空き巣のことも、もしも自分が間違えて捕まえていたら大変なことになっていた、と語る。

 ネノンはそれを聞いてますます俯いた。肩を縮こまらせて、やっぱり街は辛くて苦しい場所だと思い知らされてしまう。あの時の大人たちの声が頭に響いてきて、笛や太鼓よりも激しくガンガンと叩いてくる。

 けれどその頭の上で、ぽんっと優しい音がした。見上げてみれば、ジューンズがしっかりした顔付きで微笑んでいる。

「でも、だからこそキミは、今のうちにたくさん失敗しておいた方がいい」

「え?」

 きょとんとしたのはネノン。

 そしてさっきのジューンズと入れ替わるように、困った顔を見せながら。

「でも、悪いことなんでしょ?」

「失敗は許されないけど、悪いことではないよ。これはあんまり違わない時もあるけど、やっぱり大きく違うんだ」

「許されないけど、悪くない……?」

 よくわからなくなって首を傾げる。けれどジューンズは笑顔のままで頷いた。わからないというのに、頷かれてしまってもよくわからない。それでもなぜか、ジューンズはその全部をわかった上で、「それでもいい」と頷いているようだった。

「だから、そんなに落ち込むことはないよ。まあこれも、落ち込むことではないけれど、気にしなくていいことでもないから、また少し難しいけどね」

 もうこうなってしまうと、ネノンはますますわからない。今度は反対の方向に首を傾げて、困った顔でジューンズを見上げるばかりになってしまう。困った人を助けるのが警察官なら、これだけ困ったら助けてくれてもよさそうなものだけど、彼は笑っただけだった。

 そうして二、三度、優しく頭を叩くと、「もう行かなくちゃ」と歩き出す。

「ここにはもう空き巣はいないけれど、悪い人がいなくなったわけじゃないからね」

 また謎かけみたいな、そんなような言い方をして、彼は曲がりくねった細道を歩いていき、そのうち見えなくなってしまった。

 ネノンは最後までさっぱりわからない心地で、きょとんとしたまま何度か首を傾げ直していたけれど、わからないままだ。

「許されないけど、悪くない? どういうことなんだろう?」

 考えながら、ネノンも警察官とは反対の方向に歩き出す。顎に手を当てて、うーんと呻って。

 家から離れていっても、音はもう聞こえない。それはきっと当たり前のことだから、ネノンは気付くこともなかった。

 それにもう一つ。

 さっきまでよりあんまり辛くなくなっていることも、やっぱりネノンは気付いていなかった。

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