第34話

 今まで気にせず音を立てていたのが、今度はそーっと、自分のじゃない音に近付いていく。もちろん森の中では自分の音も消せないから、気持ちの問題だけど。

 そうして少し自分のじゃない音に近付くと、今度は声が聞こえてきた。唸り声でも、意味のわからない歌でもない。しかも聞いたことがないわけでもない声だ。

「おい、そっちにいったぞ!」

「早くしないとまた逃げられるぞ!」

「もっと右だ、右!」

「だからまずお前が右に動いてからー!」

 と、騒がしそうな楽しそうな声。ネノンが木の陰から顔を出すと、その姿も見ることができた。以前に会った、四人組の男の子たちだ。名前は聞いていなかったけれど、顔はしっかり覚えている。全員、いかにも活発そうな顔をしている。

 よくよく見ると彼らは、木の上にいる虫を捕まえようとしているところらしかった。ふたりが指示を出して、ふたりが肩車で虫を狙っている。ただし下になっている子はそれほど大柄でもないから、足元がふらふらしていて、今にも倒れそうだった。おかげで上に乗った網を持っている子も狙いを定められずにいる。

 木の上にいる虫は手の平サイズで、凸凹した羽をした、足の多い変な虫だ。網からはもう一歩届かない位置で悠々と樹液を吸っている。

 さらに男の子たちがどうにか必死に手を伸ばして網を触れさせようとすると、それを嘲笑うように、パッと一瞬で飛び立ってしまった。すごい速さで薄暗い森の中を駆けて、木漏れ日の差し込む白い隙間から空の中へと落ちていく。

 男の子たちは「逃げられたー!」と悔しそうに声を上げ、その姿を目で追って……肩車されていた子が、どしんっと地面に落下した。

 その拍子に、じっと見ていたネノンのことに気付いたようだった。

「あれ? お前、この前の奴じゃねえか?」

 真ん中の子(今は真ん中じゃないし、地面に落ちてひっくり返っているけど)が、きょとんとして言ってくる。

 それを合図にしたように、虫を追っていた他の子たちも一斉にネノンをの方を向いた。

「あ、その」

 盗み見していたことを怒られるかと思って、ネノンは少し焦った。思わず逃げ腰になってしまうけれど、それより早く彼らはぱたぱた駆け寄ってきた。もちろん真ん中の子も、土や草を払って前に立つ。

「お前もひょっとして、虫捕りに来たのか?」

「え? えと……そういうわけじゃないけど」

「そりゃそうだろ。虫網も虫かごも持ってねえし」

 と言って帽子をかぶった子が網を指差す。ただし誰も虫かごは持っていなかったけれど。

「けど虫捕りじゃなかったら、なんでこんなところにいるんだ?」

「ひょっとして、迷子か? だったら帰り道くらい教えてやるぞ」

「そういうわけでもないんだけど……」

 実際、帰り道はわからなかった。というより、ここが森の中のどこなのか、ネノンはさっぱりわかっていない。闇雲に進んできたから、町からどれくらい離れているのかもわからないのだ。男の子たちがいるのだから、実はそんなに離れていないのかもしれないけれど。

 それよりも、ネノンはふと首を傾げた。「じゃあお前も一緒にやるか?」と快活に笑いかけて、虫網を差し出してくるのを曖昧に断りながら、考える。

 今、自然と人助けをされたような?

「この辺の虫は見つけにくいから、人が多い方がいいんだけどなー」

 網を引っ込めながら、残念そうに言う真ん中の子。他の子たちもそれに同意しながら、思い思いのことを口にする。

「もっと奥ならいっぱいいるらしいぞ」

「奥の方はやばくないか? ダメだって言われてるし」

「森はどこでもダメって言われてるし、いまさらじゃね?」

「けどこの辺だと、虫より先にオレたちの方が捕まっちまうぞ」

 上手いことを言った、という顔で胸を張ったのは坊主頭の子だったけれど、それはさておき。

 ネノンはそんな話を聞きながら、また少し考えた。考えて、恐る恐る彼らの話の間に割って入る。「ちょっと聞いてもいい、かな?」と控えめに言うと、男の子たちはみんな「どうしたんだ?」と首を傾げてこっちを向く。そうしてみんなに見られながら

「あの……もしもわたしが、そんなことしちゃダメだよって言ったら……みんな、怒る?」

 問いかけに、男の子たちはきょとんとした。顔を見合わせてまた首を傾げて、真ん中の子が不思議そうに答えてくる。

「は? なんで怒んなきゃならねえの?」

「え、だって……」

 問い返されるとは思っていなかった。だから理由を言おうとして……けれどその先は続かなかった。どうして男の子たちが怒るのか。どうして自分が怒られるのか。その理由がいまいちわからないままだったと、ネノンはいまさらに気が付いた。

 その間に、男の子たちは次々に言う。

「止められそうになったら、怒る前に逃げるって」

「だよなー。そりゃいつも止められてたら、なんだよアイツーってなるかもしれねえけど」

「悪いことやってるのはオレたちだしな」

「でもやめられねーんだよな!」

「オレたち悪い奴だなー。ははは!」

 四人みんなで笑い合う。ネノンが悩んでいるのも気にせず、純粋に楽しそうに笑うのだ。

 そうしてひとしきり笑ったら、絆創膏を貼った子が「あ、それより早く次の虫を探そうぜ!」と思い出したように言った。すると他の三人もそれに頷いて、すぐに虫探しの準備を始めた。

 ネノンの頭がまだ追いつかないうちに、森の奥へ行こうとする直前、彼らは一度振り返って。

「もしまた仲間に入りたくなったら言えよな。新しい秘密の場所見つけたんだぜ!」

「ただし見つかったら、今度はお前も一緒に怒られろよな!」

 あくまでも快活に、どこまでも元気いっぱいに言って、みんなばたばたと駆けていった。

 薄暗い、木々が生い茂る視界の悪い森の中、彼らの姿はすぐに見えなくなる。ネノンはそれを、どこか呆気に取られたように、しばらく見送り続けていた。

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