白い雲が、夕陽で真っ赤に染まっている。

第33話

■5

 窮屈になった家の広間で、ネノンは昨日のまま寝てしまっていたらしい。朝、軽快な小鳥の鳴き声と、急にそれが途絶える音との中で目を開ける。

 ネノンは泣き止んでいた。けれど大丈夫になったわけじゃない。気分はどんより沈んだまま、ぽんぽんたちに「おはよう」と挨拶することもできなくて、泣く力なんかあるはずない。

 ぽんぽんたちは控えめだけど、朝陽を浴びながら踊っている。毛玉をふさふさ揺らして、輝かせているようだった。ネノンはそれを横目に見ながら、ふらふらと広間を出た。家の中にいるのがなんだか辛くて、そのまま外の原っぱに出る。

 振り返って家を見上げると、随分と小さくなっている。そんなに見上げる必要もないし、壁も屋根もところどころ、ひしゃげて奇妙な角度になっていた。家の中から見たのとはまた違っている気がする。どこも並行ではなくて、この世のものとは思えない奇妙な角度だ。

 壁はどころどころ、特にひしゃげている部分が変色している。どろどろした蛍光緑を塗りたくったような色で、朝陽を浴びて不思議な色に輝いている。少し移動するたびに、そうした壁の色も角度も変わって見えて、そこだけが全く違う空間のようにも思えてしまう。

 屋根にあった鳥の像は、すっかりいなくなっていた。ひしゃげたせいでどこかに落ちたのかもしれないけれど、玄関やその近くには落ちていない。ぐるっと裏手に回っても、落ちた跡も見つからなかった。

 代わりに尖った乳白色の石が、黒いどろっとした液体を根元に付着させながら、今までよりも大きくせり出しているのは見つけられた。やっぱり家を取り囲むように生えていて、家は小さくなったはずなのに、家との距離は近くなっているようにも思える。

 原っぱはまだいくつか芝生を残しているから、まだ原っぱと呼んでいいはずだ。もう砂の方が多くなって、ところどころに大きな蟻地獄みたいな窪みがあって、覗いてみたら奥にはウスバカゲロウの幼虫ではなくて、公園に建っていた像の頭のようなものが見えている。

 今度は町を見下ろしてみると、その景色が変わっているかいないのかは、もうよくわからなかった。昨日の時点で変わっていたのだから、それから比べればそんなに変わっていないのかもしれない。ただ、いくつもの建物の屋根には棘のびっしり生えた茨が絡み付いていた。

 ネノンはそれが痛そうだと思ったわけではないけれど、街に行くのが辛くて、だけど家の中にもいられなくて、原っぱからどこを見るのも苦しくて、くるっと踵を返した。その先にあるのは深い森で、森に入れば迷子になってしまうだろうけど、構わず入っていく。それでもいいと、思えてしまったのだ。

 時間はまだ朝だけど、森の中はもちろん暗い。木々が朝陽を隠している。もちろんそれは今日だけではなく年中同じなので、森の中は湿っていて、もわっと緑を溜め込んだ臭いで満たされていた。それが鼻の奥に入り込んで、入ったばかりの頃は何度かむせてしまう。

 けれどそれでも進んでいくと、そのうちに慣れてくる。薄暗い森の中の景色もハッキリ見えるようになって、家よりもずっと背が高くて、ネノンの身体の倍くらいの太さがある木々や、腰くらいまでの背丈の草や、その下に隠れながら突き出してくる根っこも見える。ところどころに零れている光は雨か、槍のようだった。薄暗い緑色をした森の中で、光の白色は妙に眩しくて、不自然で奇妙に思えてしまう。

 ネノンはその白色の中に入らないようにしながら歩いていた。光が隠されると普通は不安になるのだけれど、今のネノンは暗い方が安心できた。何度か根っこに躓いて、転んで、ふわふわで臭い真っ黒な土の上に顔をくっ付けてしまっても、その考えは変わらなかった。

 そうしてがさがさ、ごそごそと、草をかきわけ進んでいく。時々は低いところの枝や、硬い下草もあったけれど、気にせず闇雲に歩き続ける。自分が今どの方向を向いていて、どこに行くかはわからないけど、どこに行ってもいいやと思っていたから、不安はない。前みたいに心細くて泣きそうになったりもしなかった。ただし、嬉しくもなかったけれど。

 だけどそんな時。ネノンが葉っぱや土を身体や顔にくっ付けながら進んでいると、別の方向から同じように、がさがさごそごそ聞こえてきた。

 ネノンは思わず足を止めた。音はこっちに迫っているわけじゃない。いつもならこういう音は、自分の後ろや地面の中から聞こえてきて、自分と関係があるのかもと思えるのだけれど、今は違う。自分と全く関係ないところで、たくさんの音が響いているのだ。

 だから不安だし、安心もしていた。そしてだからこそ、いつもみたいに全く無視することもできなかった。不思議なもので、関係ないから無視できない。こそっと覗いてみたくなるのだ。

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