第29話
次の日、ネノンはまた街に下りた。
家の中でぽんぽんたちと一緒にいて、遊ぼうとねだられるのが辛かったのかもしれない。それとも単に、家の下からずしんずしんと何かが突き上げてくるようで、揺れるのとうるさいのとで、家にいられる状態ではなかったからだろうか。
どちらにしても、ネノンは家を出たら結局のところ他に行くあてもなくて、街に下りないといけなかった。原っぱは、冬の間だけ咲く花の周りが、いつの間にか砂場になってすっかり枯れ果て、尖った石もあるせいでどこか怖い場所になっていたから。
ただ、街の中もやっぱり怖い。もう噴水の方には行けず、公園なんてもってのほかで、笛や太鼓や歌が響く町の北側はもちろん行けない。ネノンはそういう嫌な記憶の場所を避けて、こそこそ隠れながら街を歩いていた。
幸い脇道はたくさんある。今まで見たことのない道もたくさんある。他の細道と同じような、石塀で埋まった窮屈な道だ。違うのは建っている家の細かな形や表札くらいだ。
いや、違った。よくよく見れば、見たことないと思った理由はそればかりでもなかった。
今まで店や家だった場所が空き地になって、通れるようになっているらしい。半分に切られたような建物がいくつかあった。そしてその反対に、今まで道だった場所にピカピカに光るお屋敷や、くしゃくしゃに丸めた粘土を積み重ねたような、見たことのない変な像が建っていたり、どこから伸びてきたのかわからない深い茨が、道を封鎖していることもあった。
変わっていないと思った町の姿だけど、いつの間にか大きく変わっているようだ。
だけどネノンは不思議と、それが変なことだとも思わなかった。
それよりもただ落ち込んで、変貌した街を歩き続けた。他に歩いている人はいないし、どこかで座り込んでしまいたかったけれど、そうするのは”悪いこと”な気がしてしまう。
それでもだんだん歩き疲れて、誰も見ていないんだから、と思い始めてしまった頃。ネノンはとうとう、自分以外にも歩いている人を発見した。
しわしわで鼻が高くて、頭から深紫色のローブをかぶったお婆さんだ。小さな紙と風呂敷包みを持って、キョロキョロと周りを見回している。道に迷っているようだ。
道の先にその人を見つけて、ネノンは咄嗟に手前の角に引っ込んだ。声をかけることは……やっぱり、できなくなっていた。昨日同じ、いや昨日よりもずっと強い力で止められてしまう。
また拒否されてしまったらどうしよう。また失敗してしまったら。それに自分は、ただ褒められたいだけなんだろうか? それは自分勝手で、悪いことなんだろうか? だとしたら、今ここで手助けしようとするのも、悪いことなんだろうか? 自分にそんなことをする資格なんて、ないんだろうか。
「…………」
ネノンは角に隠れて顔だけを覗かせながら、ただ見つめる。お婆さんが立っているのは十字路の真ん中で、進むべき方向を迷っているらしい。
ひょっとしたらこっちに歩いてくるのかも、と思って、ネノンは少し焦った。だってこっちに来たら、見つかってしまう。見つかって、話しかけられて、案内をお願いされたら……そしてもしそこで失敗してしまったら。そう思うと怖くて仕方がなかった。
ただ、「どうしよう」と困惑するネノンだったけれど、そういったことにはならなかった。
なぜならその前に、お婆さんは別の人に声をかけられたのだ。
「あれ、ハスラット?」
見慣れた感のある、フードの付いた黒いジャケットを着た男の子。まだ少し遠いので顔まではよく見えないけれど、間違いないと思えた。声も聞こえてこないが、彼はなにやら少し話をすると、お婆さんの手荷物を預かり、先導して歩き出した。
「道案内、してあげてるんだ」
そう理解して、ネノンは咄嗟にハスラットを追いかけた。
どうしてそうしたのかはわからないけれど、なんとなく、彼の姿を見ていないといけないような気がしたのだ。
彼の曲がった角を曲がって、彼の背中を見て歩く。早足なわけでもないから、そうすることは簡単だった。少し遠巻きに後ろをくっ付いて歩くだけ。もしも気付かれたら、覗き見してたのかと怒られてしまうかもしれない、とも思ったけれど。
やがて、ぼろけた教会の前に着いたところで、ハスラットは荷物を返した。そしてお婆さんは曲がった腰で深く頭を下げると、ゆっくりと建物の中に入っていく。そこが目的地だったらしい。ネノンが隠れている建物は、ハスラットから家一つ分くらしか離れていなかったから、お婆さんの「ありがとう」というお礼の声も聞こえてきた。
ネノンは思わずそこから目を逸らして通りを見つめた。
少しだけ広い、馬車が一台くらいは通れそうな道だ。今までみたいな茨も像も金色のお屋敷もない。通行人もいないのは、相変わらずだけれど。
いや、違った。その道を歩く人は、ふたりだけいた。だけどネノンはそれにいち早く気付いて……咄嗟に逃げ出そうとしてしまった。
そのふたりというのが、ゴッスとテリシシだったからだ。
人のいない道を悠々と、肩で風を切って歩いてくるふたり。それもただ通行しているというのではなく、一つの目的地に向けて真っ直ぐ進んでいる。
ハスラットがお婆さんを見送り終えて踵を返すと、同時にゴッスたちも足を止めた。ハスラットの目の前で、だ。
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