第30話
「よお、ハスラット」
ニヤニヤとした顔で、ゴッスが呼びかける。お互いに顔見知りのようだ。けれどハスラットの方は厳しい目付きで見返していて、友達という雰囲気では全くなかった。返す声も、今まで聞いたことがないくらいに険しい。
「なにか用か?」
「また偽善活動してたのか?」
「またそんなことを言いに来たのか」
言われてすぐに、彼は言い返した。もう何度も同じことを繰り返しているのかもしれない。ハスラットは疎ましいという以上に、面倒なことを避けたいという様子ですらあった。
けれどゴッスもそんなことで怯んだりはしない。むしろいっそう険悪になりながら詰め寄っていく。ハスラットの背後にある、さっきお婆さんが入っていった教会の屋根、そこに建てられた虫の像を一瞥して。
「人に助けられなきゃいけないような奴なんて、自業自得だろ」
「ボクはそうは思わない」
「お前が思わなくても、そうなんだよ! そんなの助けたところで馬鹿がひとり増えるだけだ」
声を荒げる、ゴッス。そうしてから得意げに胸を張って。
「俺はそこまで考えて、本人のために無視してやってんだ。お前みたいな偽善とは違う、本当の人助けだな」
「…………」
ハスラットは吐息したようだった。目を伏せて、深呼吸でもするように、ゆっくり息を吐いていた。その表情は怒るとも諦めるとも違う、奇妙なものだったけれど……ネノンには、彼の心中がわからなかった。
ただ、そこにテリシシが馬鹿にしたように言葉を被せていく。
「キヒヒ、悔しかったらなにか言ってみろよ! それとも正論過ぎて言い返せないのか?」
「悔しいと思うことなんか、何もない。ただ……」
ハスラットはそう呟くと小さくかぶりを振ったようだった。
「ただボクは、自分に都合のいいことだけを正論なんて言う人には、なりたくないんだ」
そうして急に、歩き始めた。ゴッスたちの間をすり抜けるようにして、悠然と進み出す。後ろからふたりが、「逃げるのか!」などと叫びながら追ってくるが、ハスラットはもう無関係のように無視していた。
ただ、ハスラットの進んだ先にはネノンの隠れている建物があった。そしてネノンはそこからちょこっとだけ顔を出していたせいで、近付いていたハスラットに見つかってしまった。
「あれ?」と声を出して立ち止まられる。そのおかげで後ろにいたゴッスたちにも、「お前、昨日の奴じゃねえか」と気付かれてしまった
そうしてネノンはもう隠れていることもできなくなって、申し訳なさそうに進み出た。
「ネノン? どうしてここに?」
「あ、そ、それは」
こっそり後をつけていた、なんて言ったらやっぱり怒られそうで、事情を話すことはできなかった。だから仕方なく、わたわたしながら「偶然に」と言って誤魔化しておく。一応それで、みんな納得してくれたからよかったけれど。
でもそのあとは、ちっともよくなかった。
ゴッスがニヤッと笑って、言ってきたのだ。
「お前、話を聞いてたんならわかるよな? 俺とこいつ、どっちが悪いと思う?」
「えっ!?」
「本人を成長させてやってる俺と、自分勝手に褒められることしか考えてないこいつと、どっちが本当に正しいことだと思うんだ?」
ネノンはその問いかけに驚いて、困窮した。
もちろんネノンは、ハスラットの方が正しいと言いたかった。けれどそれを言ったら、また昨日みたいに、ゴッスに言い負かされてしまうだろう。それもハスラットも含めて、だ。ネノンはそれに対する反論を持っていなかった。
そのせいで、自分たちが正しいと言いたいけれど、本当は正しくないのかもとさえ思ってしまう。もっともっと深く考えれば、ゴッスたちの言うことの方が正しいのかも。言い方はきついけれど、内容は正しいことなのかも。
そんな風に思えてしまって、言い返せない。
ネノンは「それは……」と呟いて時間を稼ぎながら、三人を見回した。ゴッスは急かすような顔をしているし、テリシシはその横で勝ち誇ってニヤニヤしている。
ハスラットは半身を引いて、顔をゴッスたちの方へ向けていたから、表情はわからなかった。ただ、反論することもなく黙っている。ネノンの答えを聞こうとしているのか、それともハスラットも同じように、言い返すことができないだけなのか。
「わたしは……」
ともかくどうしようもなく、ネノンは恐る恐ると声を出した。出したくなかったけれど、出すしかなかった。泣き出しそうな声を。
「……自分勝手なのは、悪いこと、だと思う……」
その瞬間、ゴッスたちは大笑いした。ゲラゲラと大笑いして、「よく言った!」と褒め称えながら駆け寄ってきた。
ネノンはそんなふたりに挟まれながら、ハスラットの方を見た。見たくはなかったけれど、何か言いたくて前を向くと、そこにはもちろんハスラットがいたのだ。
だけど彼の方はこっちを向いていなかった。前髪で隠すように目を伏せて、また歩き出していた。ネノンたちを追い越して、何も言わずに歩いていく。
慌ててネノンは振り返って、その背中に言葉をかけようとしたけれど、何も思い浮かばなかった。謝ることもできない。だって何をどう謝ればいいのかわからなかった。
その代わりとばかりに、ゴッスたちが色々な罵声を浴びせているのだけは聞こえていた。聞きたくなかったけれど、聞こえていた。「お前も本当に正しいことがわかったみたいだな」と言うゴッスたちに肩を組まれ、耳を塞ぐこともできなかった。
そのうちハスラットは近くの角を曲がって姿が見えなくなった。そしてネノンはゴッスたちに、逆方向に手を引かれた。
「仲間になった祝いに、今から”正しいこと”をしに行こうぜ」
そう言われて、何も答えられないまま連れて行かれる。途中で何度も振り返ったけれど、ハスラットの背中はもちろん見えないままだった。
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