もちろんなんにも喋らないから、ネノンはひとりで考える。
第27話
■4
ネノンはあの日以来、しばらくは街に下りなくなった。
街を歩くのがいけないことな気がして、前と同じように家の中でぽんぽんたちと遊ぶだけ。
もちろん、それがつまんないなんてことはない。最初に戻っただけのことで、それはそれで楽しかった。なにしろぽんぽんたちは、ネノンを叱ったりしないし、怒ることもない。遊んでいる最中で失敗することなんかないし、なんにも考えずに、夢中で遊ぶことができた。
だけど時々、ネノンは原っぱに出て街を見下ろすことがあった。それも最初に戻っただけのことだけど、そうしていても最初みたいに、ドキドキしたり緊張したりすることはない。その代わりに、ちくちくと胸の奥をつつかれるような、ちょっとだけ痛くて苦しい気持ちになった。
原っぱからは見えないけれど、町には困っている人がいる。そう思うと、もどかしくなってくることもある。
だからネノンは、何日かはずっとぽんぽんたちと家の中にいたけれど、そのうちとうとう、やっぱりまた街へ行ってみることにした。
恐る恐る、慣れていなかった頃と同じようで、またちょっと違う気持ちで、怖がりながら街に下りる。
街は何かが変わっていたわけじゃない。何日かは見なかったけど、毎日街を見ていたのなんて最近だけのことで、ネノンが見ないだけで急に変わるなんて、今まで一度もなかったことだ。
石の道は石のままだし、歩く人は人のままだし、よくわからない店は、よくわからないまま。町の北側から聞こえてくる笛や太鼓の音は少し大きくなっているけれど、メロディは変わっていない。ちっともわからない、不安になる不思議なメロディだ。大きな蛇が地面の中を這いずるような音も、少し大きく、近くなっている気がする。けれど音自体は変わっていない。
ネノンはなんとなく、町全体が大きくなっているんじゃないか、とも思った。
けれどそんなはずはない。どちらかといえば、ネノンが小さくなっていたのかもしれない。しゅんと肩を縮めて、慣れていなかった頃より、もっと身体を縮こまらせていたのだから。
怒られないだろうか、失敗しないだろうか。歩くだけでもそんなことを心配してしまう。
そんな時に。ネノンはいつの間にか花のなくなった噴水の前で、ひとりの男の人を見つけた。
見たことはないけれど、困った顔の男の人。ネノンよりはずっと大人だけど、おじさんと言うほどでもないくらいの人だ。
歩くには不便がないくらいの人混みの中。こっそりとすぐ近くを通ってみると、その人は腕に巻いた時計を見ながら、小さな声で「どうしたもんかなぁ」と呻っているようだった。
どうしよう、とネノンは悩んだ。今まで通りならすぐに話しかけて、手助けしようとしていただろう。だけど今は、すぐにそうすることができなかった。
頭の中に、声が響いてくるのだ。「どうしてくれるんだ!」という怒鳴り声。「人騒がせね」という冷ややかな声。失敗したら、また叱られる。そう思うと声をかけるのに躊躇ってしまう。
(どうしよう)
男の人から少し離れて見ていると、その人は時計と周りをぐるぐると見比べながら、困った顔でそわそわしている。
失敗は怖い。だけどこのまま見ていたり、見ないことにして逃げてしまうのも、ネノンには難しく思えてしまった。
(よ、よし!)
だからネノンは意を決して、やっぱり声をかけることにした。恐る恐る近付いて。
「あ……あのっ。ど、どうかしたんですか?」
「え?」
男の人は、当たり前だけど、突然に声をかけられて少し戸惑ったようだった。しかもそれが自分の半分くらいしかない小さな女の子だったから、なおさら困ったらしい。訝しげに眉を寄せて、首を傾げてくる。
ネノンは続けて繰り返すように、なにか困ったことでもあったのかと聞いた。
すると男の人はやっぱり戸惑っていたけれど、相手が子供だからかもしれない。悩んだあとに話してくれた。
「ここで知り合いと待ち合わせしてるんだけどさ。ちょっと急用で離れないといけないんだよ。けど知り合いがなかなか来ないから、それを伝えられなくてさ」
話しながら、まだ来ないのかと忙しなく辺りを見回す男の人。ネノンはそれを聞き、それならばと名乗りを上げた。
「えと、それじゃあっ。わ、わたしがここで待っていて、代わりに伝言しますっ」
「は? キミが?」
申し出に、きょとんと声を返してくる。その声はむしろさっきまでより戸惑っている様子だった。そして悩むというより、面倒そうに困窮して、言ってくる。
「いや、いいよ……キミみたいな小さな子だと、ちゃんと伝えられないだろうし」
「で、でも」
「それよりほら、公園にでも行ってきな。ここで遊んでると邪魔だから」
そう言って、押し返すように手の平を向けてきた。そしてそれきり、ネノンのことなど忘れたように、また人混みの中から知り合いの姿を探す作業に戻ったらしい。
ネノンはそれ以上どうしようもなく、小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
何に対して謝ったのか、誰に対して謝ったのかもわからない。謝る必要があったかどうかもわからないし、そもそも誰も聞いていなかったけれど。それでもなんだか言わないといけない気がして、呟くと同時に逃げるように、足早にその場を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます