第23話
塀の上の動物は、なぜかじーっとネノンの方を見つめていた。赤い眼。ギラギラしているけれど、エインが持っていたガラス玉と同じくらいに綺麗だと思える眼だ。
ネノンは、どうしたんだろうと首を傾げた。そのついでに、ふと閃く。
(そうだ。この子が動いたら、わたしも張り込みをやめていいことにしようっ)
新しいルールを作って、そのタイミングを逃さないようにと自分も動物をじっと見つめ返す。
するとその途端に、動物がいきなり塀の上を走り始めた。
「わっ、は、早いよ!」
ネノンは慌てて、塀から背中を引き離した。
そして「動物が動いたら自分も動く!」と決めていたおかげで、思わずその動物を追いかけるように、同じ方向に走ってしまう。
「あ、でもなんかこれも警察官っぽいかも?」
足を止めようと思ったけれど。犯人を追跡している気分になって、ネノンはそのまま動物の後ろを走ることにした。
蛇が通ったように曲がりくねる細道で、少しの間だけ追いかけっこする。さらに、「待てー!」と叫ぶと警察官っぽいかもしれないと閃くが、残念ながらそれはできなかった。
なぜならそれを言おうとした時、動物はぴょんっと塀の奥へ飛び降りてしまったのだ。
「あれっ?」
意表をつかれて急ブレーキするネノン。
動物はすっかり塀の奥の家へと入ってしまい、全く見えない。ひょっとしたら追われて嫌がったのかもしれない。
せっかくならもう少しだけ追われてほしかったけど。と残念に思いながら、肩を落とす。
と、そこでネノンはふと気が付いた。
動物が入っていったのは、道に玄関を向けた家だったのだ。少し先に、表札の付いた塀の切れ目が見える。
「ここの家の子だったのかな?」
ネノンはそれ以上は追いかけるつもりもなかったけれど、せっかくだからと家を覗いてみることにした。
塀の切れ目からこそっと顔だけを出して、中を見る。ネノンの家と同じ、丸っこい三角形をした屋根をかぶった、レンガ造りの古い家だ。汚れた赤茶色をした二階建てで、見える窓は全てカーテンが閉まっている。
庭はそんなに広くなくて、塀から玄関の扉までも、道として埋まった丸い石が、三つか四つくらいしかない。
そこにさっきの動物の姿はなかった。けれど代わりに、もっと違う、すごいものが見えた。
玄関の前でしゃがみ込んで、扉をガチャガチャ弄っている、灰色のコートを着た人の背中だ。
それを見た時、ネノンはあんまり驚いてしまって、咄嗟に大声で叫んでいた。
「あっ、ど、どろぼーっ!?」
「うおあ!?」
その声を聞いて、今度は泥棒の方が驚いた。
顔を上げるとこっちを向いて、「くそ!」と言って走り出す。それも、こっちに向かってだ。
「わわわわっ!」
またまた今度はネノンが驚いて、どうしようと手をばたばたさせる。もちろんそれでどうなるはずもなくて、ネノンは走ってきた泥棒にどしんっと突き飛ばされてしまった。
そして泥棒は、ネノンが歩いてきた道を引き返すように走っていく。
「あわわ、え、えぇと」
まさか本当に泥棒がいるとは思っていなくて、どうしたらいいんだろうと混乱して、キョロキョロ辺りを見回してしまう。けれどもちろんそこには誰もいない。
ただ、家の中から視線を感じた。さっきの動物と似ているような赤い眼が、家の二階の窓から、カーテンを少しだけ開けて覗いているような気がしたのだ。泥棒は留守だと思ったようだが、ひょっとしたら中に人がいたのかもしれない。
ともあれ、その視線に押し出されるような心地で、ネノンはハッとして立ち上がると、すぐに泥棒を追いかけ始めた。
「ま、待てーっ!」
さっき言えなかったことを叫びながら、懸命に走る。
曲がりくねった窮屈な道で、泥棒の姿はすっかり見えない。けれど足音は聞こえていたし、ここには分かれ道がないから、前にいるのは間違いなかった。
ただ、大人の足と小さなネノンの足では歩幅も違うし脚力も違う。前を走る足音は、すぐにどんどん遠ざかっていってしまう。
「っど、どろぼー! どろぼうだよー!」
このままじゃ逃げられちゃうと思って、走りながら必死に声を上げるネノン。けれど玄関を向けている家が少ないから、例え人がいても、すぐに出てくるのは難しいはずだ。
そうするうちに距離はどんどん離されてしまうし、もうすぐ大きな道に出てしまいそうだった。そこまで行ったら人はいるかもだろうけど、隠れる場所もたくさんあるし、脇道もたくさんある。そうなったら見つけられないかもしれないというのは、ネノンにもわかった。
(逃げられちゃったら、わたしのせいだ! わたしが捕まえなくちゃ!)
なんだか泣きそうになりながら、ネノンは必死に足を投げ出した。
必死に必死に、追いつきたいと思って走り、そんな時だった。
前を走る足音よりももっと遠くに、違う足音が聞こえた気がした。水に落ちた人のような、べちゃべちゃした湿った音。それはネノンが走るたびに、音の方からもどんどん近付いてくる。
前を走る泥棒はそれに気付いているのかいないのか、わからないけど止まる様子もない。
そしてほんの少しすると……
「うわあ!?」
「ぐわっ!」
足音が消えて、ふたりの男の人の声に変わった。
どうしたんだろうと思いながら、ネノンがそこに辿り着いたのは、声が聞こえた少しあと。息を切らせて、大きな通りに出た時のことだった。
「捕まえたぞ、連続空き巣犯!」
「くそ! あの辺りは狙い目だって聞いたのに」
そこではジューンズが泥棒をしっかりと押さえ込み、手錠をかけているところだった。
「あ、あれ?」
ぜえはあと息をしながら、状況を理解しようとするネノン。周りを見てみると野次馬が垣根を作っていて、好き勝手に「おぉー」と歓声を上げていた。もちろんそれは、捕り物に対するものだったけど。
ネノンがきょとんとしていると、手錠をかけ終わったジューンズがこちらを見つけて、犯人の手を引きながら歩み寄ってきた。湿っていない普通の足音だ。
「やあ、さっきの子だね。キミが見つけてくれたんだよね」
「え、あ、は、はい。えぇと」
「キミが声を上げてくれたから、すぐに駆けつけることができたんだ。キミのおかげだよ」
そう言って、警察官はネノンの頭を撫でてくれた。
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