第17話

 ふたりを見送って、残ったネノンとエインもどこか拍子抜けにぽかんとしていた。そうして完全にふたりが見えなくなった頃、はふっとネノンが息を吐いた。自分が殴られていたら、今頃気絶しちゃっていたかも、と。

 ひと安心していると、声をかけてきたのはエインだ。

 眼鏡の奥の気弱そうな黒い瞳を揺らしながら。

「あの……あり、がとう。えぇと」

「ううん、気にしないで。なんにもならなくてよかった」

 ネノンはぱたぱた手を振ってから、自分の名前を名乗った。それから「エインくんだよね?」と尋ねると、彼はどうして知っているのかと不思議そうにしながら頷いた。それに満足して、ネノンはまた続ける。

「えっと。ガラス玉、見つからないの?」

「え? あ、う、うん……あと一個、この辺に落ちたと思うんだけど」

「じゃあ、わたしも探すの手伝うよっ」

 そう言って、ネノンはすぐに近くの地面に這いつくばった。さっきエインがやっていたのと同じように、身体を石の床と水平にしながら、キョロキョロと見回す。

「そんな、悪いよ!」

 と彼は言ってきたけれど、ネノンは探した格好のまま、気にしないでと手だけを振った。すると少し戸惑いながらも、「ありがとう」と声が聞こえて、なんだか嬉しくなる。

 そうしてふたりは一緒になって道を這った。地面に顔を近付けると、その下から水の上を歩くような音が聞こえたり、何を言っているのかわからない、どこの言葉かもわからない歌のようなものまで聞こえてきたけど、それはガラス玉とはきっと関係ないだろう。

 けれど地面をどんなに這っても、家と家の隙間を探しても、ちっとも見つからなかった。

「ひょっとしたら花壇の中かも」

 と言い出したのは、ほとんどふたり同時だった。パッと見ただけでは咲きかけの白い花がいくつかあるだけで、ガラス玉はどこにもない。でもひょっとしたら、土の中に入ってしまったのかもしれなかった。少し掘れば見つかるのかも。

「でも、いいのかな? 家の人に怒られるかも……」

「それはそうかもだけど」

 花壇はもちろん知らない家のもので、そこを探していいかどうかわからなかった。

 ネノンは答えながら、頭の中にほんの少し前に聞いたばかりの、オウイの声が浮かんできた。「悪いこたぁしちゃいけんで」と。

 だけど他に探す場所はないような気がしたし、それではエインが困ったままだと思い直す。

「悪いことするわけじゃないし、ちょっと探すだけだから、きっと大丈夫だよっ」

 そう言って、だけどやっぱり少し不安だから、花壇の上にある家の窓を見つめた。擦りガラスの窓はただでさえよく見えない上に、カーテンが閉められていて部屋の中はちっとも見られない。カーテンの柄なのか、蛙のような魚のような顔がいくつも並んでいたり、かと思ったら砂漠みたいな不思議な風景に変わったりもしたけれど。

 それをいつまでも見ていても仕方がないので、ネノンは意を決して花壇の方に向き直った。そもそもここは外だから、道を歩いている人もいるのだけれど、それでも隠れるように、そーっとそーっと土に手をかけようとする。

 その時だった。

「あれ、ネノン?」

「はきゃあっ!?」

 いきなり後ろ声をかけられて、ネノンたちは驚いて悲鳴を上げながら飛び上がった。

 すぐに「ごめんなさい!」と言おうとしながら腕で顔を隠して振り返る。……けれど。

「どうしたのさ。何してるの?」

「……はへ?」

 怒られないどころか、きょとんと首を傾げられて、ネノンはゆっくり腕を下げた。見えてきたのは、目の前に立つ男の子。

 見覚えがないわけがない。それはハスラットだった。

「なんだぁ」

 てっきり家の人がやって来て怒られるのかと思ったから、ネノンは拍子抜けと安心で大きく息を吐いた。一日に二度も怒られそうになったせいで、思わずへなへなとその場に座り込んでしまいそうになる。

 とりあえずそれは堪えていると、彼はネノンの隣の男の子にも気付いたらしい。

「あ。キミは、エインだったよね」

「う、うん。えっと……ハスラットくん、だよね」

「あれ? ふたりとも、知ってるの?」

 ふたりの間で視線を往復させる、ネノン。するとハスラットは微笑みながら、エインは少し照れたようにしながら頷いた。

「少し前に、公園で本を読んでるのを見かけて、その時に話すようになったんだ」

「それで何度か、勉強を見てもらったりして」

「はへー」

 ネノンはハスラットにもエインにも尊敬の目を向けた。勉強なんてすごいことだ。

 もっと大きな町には学校というところがあって、子供はそこに集まって勉強する、という話は聞いたことがある。だけどこの町にはもちろんそんなのないし、学校へ行くためには勉強しなくちゃいけないらしい。勉強するところのために勉強するなんておかしな話だと、ネノンは不思議に思っていたけど、ひょっとしたらエインは学校に行きたいのかもしれない。

 そうでなくても、勉強のために本を読むなんてネノンはちっともできなかった。読むのはせいぜい、家にある絵本くらいだ。黒い山羊とか、色んな動物かくっ付いた変な生き物とか、不思議な絵がいっぱい描かれていて楽しいから、ネノンは満足なのだけれど。

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