一日目 夕方

この星の一日のなんと早いことか。地球が24時間とすると、この星では10時間程で日付が変わるだろう。

ヴィナスはこの狭い空間の奥の石机に座ったきり喋らない。さぞ痛いだろう、良い物に変えてやりたい。

「ああ先生!頼む、早くしてくれ!」

思うより早く、して人は来た。

戸をぶち破ってなだれ込んできたのは白髪の​───その髪で左目の隠れている​───黒い長コートの男だった。黒縁の丸眼鏡は顔から滑り落ち、無精髭を生やした顔は苦痛に歪んでいる。

いけない、急患だ。

「ヴィナス、ベッドに乗せろ!」

うう、見ず知らずの他人に指示することになってしまったが、ヴィナスは平然と患者を運ぶので、こちらとしては好都合。

男は​────腹が体に似つかわしくないほど大きく膨らんでいる。畜生、腫瘍か。

「しかし手術しようにも器具がないな」

「それなら出しましょう」

そう言うなりヴィナスは瞬く間に手術用の器具を揃えた。一体どこから​────​─いや、今はそんなことに構ってはいられない。

しかし​────いや、ここは無法地帯、私は異邦人、人は少ない、裁く法も無し。ええいなるようになれ。

器具は少ない。本来なら弱い麻酔を使うのだがそうは言ってられない。ゆっくりと強い麻酔を打つとさっきまで騒いでいた男は急にぐったりする。

コートを開き、慣れた手つきでかっさばく。

ゲェッ!なんということだろう!

腫瘍だと思っていたそれは、男には存在不可能の、いわば、永遠の床である、そうだ、そこに子宮があって、今も尚そこでごく一般的な胎児より遥かな質量を携えた物体が蠢いている。

ああ、一刻も早くこの星から​───それより早く目の前の「腫瘍」を取り除かなければ。

思い切って子宮を切り開く。またも恐怖が私を襲う。

切り開くなり子宮から出てきたモノはスクと立ち上がる。

幼児だ。肩まで髪を伸ばした5歳児は、かろうじて耐えている男の内臓に体重を掛けぬようにゆっくり歩いてベッドを降りて、私に向かいてこう言う。

「我は神の子也。救世主の出現を見計らいて死神の名の元に生まれたり。救世主、この男に慈悲を与え給え」

「は……?」

「死んでしまうぞ」

あっけにとられてすっかり忘れていた。

腹を開いたままの男を正す。閉めるに苦はなかった。


男はベッドで眠ったままだ。麻酔が強かったのもあるが、手術時間が異様に早すぎた。この星に保険制度がなくてよかったとつくづく思う。それにしたって​────

「生まれたばかりのお前すら私を救世主呼ばわりか!」

「無論」

「まったくなんで私を選んだ」

「抽選だ」

「ち、抽選……?」

呆れた。流石の私もそんな間の抜けた答えが返ってくるなんて思わなかった。

「勘違いするな」

幼児はなおも真剣な眼差しで語る。

「ただ選んだのでない。我らが神は技術者を求めた。この星の所謂救世主だ。故に我々神の使いに別惑星からの誘拐を指示した」

「技術者。それなら私よりももっと良い人材があったろう」

「救世主はMULTIでなければならない」

見よ、とばかりにベッドに目を向ける。つられて私もベッドに目をやると、白髪の男はすっかり回復したらしく、こちらへ向かってくるのが見えた。

「かようなことができるのはお前くらいだ」

白髪の男は私を見るなり手の甲にキスを始めた。妙な気分になる故思わず手を隠した。

「ありがとう、先生!なんと礼を言えばいいか!」

「いえ、医者の役目ですから。それよりあなたは……?」

「あ、ええ、俺はマーズです。で、コイツはマーキュリー」

もう名付けたのか、とマーキュリーは肩をすくめる。

マーズは眼鏡をかけ直して私の顔を見ては晴れた顔をする。

「アンタ、夢良咲先生っすよね。ノームから聞きましたよ」

急な態度で少し戸惑う。マーズは喋っている間もキョロキョロと辺りを見回している。

「ノーム?」

「ええ、さっき来たと思うんですけど、そうアイツ、変な格好してた」

と、言葉は尻すぼみになり部屋の端を見つめたきり動かなくなった。私も振り向く。

視線の先には​────ヴィナスだ!

「麗しい」

「まったくです」思わず口が滑った。

「ください」

「ダメです」

そう……とマーズは悲しげにマーキュリーを連れて出ていった。まるで嵐のような男であった。

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