第五章

男は助けを乞おうと初めて彼女の顔を見てしまった。

「あっ」

思わず声を洩らす。男の中で、極陰鬱な虚勢が崩壊したような気がした。オニキスの宝石のようにどこまでも黒く澄んだ瞳、天鵞絨のような髪、小さく突いて出た鼻、そしてその、小さいがなんとも甚大な口元。ドクドクと胸は脈打ち、全身がごうごうと音を立てて熱くなるのだから、もう息もできない。男は既に虜だ。戸に掛けた手も力なく落ちる。このまま死んでしまうのではないかとパニックになるほどだった。

「どうしましたか。とても顔が赤くなっていますよ。持病でもあるのですか……熱い」

男はヴィーナスが自分の顔に手を触れるのを振り払わずにはいられなかった。男はひどい赤面症だ。

「あ……その……」

「どうしましたか、救世主」

「ああ、そんなふうに呼ばないでくれ」

今はなんでも言われるままにしてしまいそうだから、などとは口が裂けても言えない。

世は非情なものだ。

「では、なんとお呼びしましょうか。貴方のお名前は?」

「俺……あ……私は……蓮。夢良咲蓮むらさき れん、地球では医者をしていた、25歳、血液型はA型、身長は186cm、視力は両目Aでいい方……だと、思う……」

それを聞くや否やヴィーナスは笑い出すので、男はすっかり参ってしまった。

「蓮さん。蓮さんというんですね。私はヴィーナス。ただの、ヴィーナスです。これからよろしくお願いしますね、蓮さん」

「よろしく……え?」

蓮は納得しかけたがすぐに首を傾げた。

「それは……どういう?」

「もちろん、タービンを回すまでですよ」

妙な話だ……と蓮は思ったが、これはどうにも帰れそうにないと悟り、仕方ない、タービンを回してやろう、という気になったのだ。

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