第五章
男は助けを乞おうと初めて彼女の顔を見てしまった。
「あっ」
思わず声を洩らす。男の中で、極陰鬱な虚勢が崩壊したような気がした。オニキスの宝石のようにどこまでも黒く澄んだ瞳、天鵞絨のような髪、小さく突いて出た鼻、そしてその、小さいがなんとも甚大な口元。ドクドクと胸は脈打ち、全身がごうごうと音を立てて熱くなるのだから、もう息もできない。男は既に虜だ。戸に掛けた手も力なく落ちる。このまま死んでしまうのではないかとパニックになるほどだった。
「どうしましたか。とても顔が赤くなっていますよ。持病でもあるのですか……熱い」
男はヴィーナスが自分の顔に手を触れるのを振り払わずにはいられなかった。男はひどい赤面症だ。
「あ……その……」
「どうしましたか、救世主」
「ああ、そんなふうに呼ばないでくれ」
今はなんでも言われるままにしてしまいそうだから、などとは口が裂けても言えない。
世は非情なものだ。
「では、なんとお呼びしましょうか。貴方のお名前は?」
「俺……あ……私は……蓮。
それを聞くや否やヴィーナスは笑い出すので、男はすっかり参ってしまった。
「蓮さん。蓮さんというんですね。私はヴィーナス。ただの、ヴィーナスです。これからよろしくお願いしますね、蓮さん」
「よろしく……え?」
蓮は納得しかけたがすぐに首を傾げた。
「それは……どういう?」
「もちろん、タービンを回すまでですよ」
妙な話だ……と蓮は思ったが、これはどうにも帰れそうにないと悟り、仕方ない、タービンを回してやろう、という気になったのだ。
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